後日談1 婚約・前編
【後日談1】
今夜は、善見城で盛大な宴が開かれることになっていた。
名目上は、阿修羅との戦いにけりがついたお祝いだ。だが、忉利天の主神帝釈天は、そこで咲千との結婚を宣言するらしい。
帝釈天の妃になる――。
阿修羅城から帰ってすぐ、咲千はいわゆるプロポーズを受けた。
(びっくりしたけど、なんか、なんかもう……!)
恥ずかしさと、嬉しさと、どうなっちゃうのかという思いで、頭が大混乱している。
(だって、神妃だよ!?)
前世では結婚どころか、異性とのお付き合いもしたことがないのに。
一介の社畜の自分が高貴なる神の妻になるなど、想像もできない。
さらに、せっかちな相手は交際ゼロ日婚を望んでいるという、わけのわからない状態だ。
(いやもう、たぶんこれ、ドッキリとかなんじゃないかな?)
その気にさせられて宴会場へ行き、帝釈天の傍に座ったとたん、床が抜けて落とし穴に落ちるとか。
(うん、きっとそうだ)
頭の中でそう結論づけて、ひとまず心を落ち着けた。
一通りの身支度を整えて、咲千は宴会場へ向かう。
(どんなリアクションが来ても、動じないようにしよう)
心して、両開きの扉をくぐった。
すると、珍しい人が中から出てくる。
「この度はおめでとうございます、シャチさん」
開口一番、涼やかな声で出迎えてくれたのは、毘毘こと多聞天だった。
(ほらやっぱり! いるはずのない人がいるもん)
多聞天は時には天女の姿に扮して隠密活動を行うなどしている関係で、普段は表立った宴の席には出てこないと聞いた。
いるはずの人がいる=ドッキリ映像まっしぐらだ。
「シャチクとやら、誠に不本意ではあるが、今日だけは主への酌を譲ってやってもいい」
さらには、琵琶を抱えた持国天まで出てくる。
彼は『帝釈天への酌は誰にも譲らない』と豪語していた人である。それが、自らこんな申し出をしてくるだなんて。
(確実にドッキリか夢オチのパターンでしかない)
わたしは、騙されない!
きりりと唇を引き結ぶと、次に広目天がやってくる。第三の目がばっちり開いていて、勝手にこちらの心を読んでくる。
「ぶくくっ、相変わらずおもしろいこと考えてるねー」
指をさして笑われて、咲千は頬を膨らませた。
「だって」
「なにがそんなに不安なのさ?」
「不安……ですか?」
「うん、そう。不安の裏返しでしょ? 主はさっきからずっと、お姉さんのこと待っているってのにさ」
(帝釈天様がわたしを待っている……?)
「早くそばへ行ってあげなよ。そうしたら、変な迷いも吹っ飛ぶんじゃない?」
励ますように、軽く背中を押される。
すると、宴席の奥に座す主神が立ち上がった。
「シャチ、いつまで待たせる。早くここへ来い」
輝くばかりの美貌で告げてくる帝釈天が指し示す場所は……彼の隣の席だった。赤い絹地に金糸で雲龍模様が刺繍された可愛らしい座布団が置かれている。
(嘘。膝の上とかじゃない)
しかも、新品のふっくら座布団まで用意して。
(わかった。きっとあれは、座ったらおならの音が鳴るブーブークッションなんだ)
慎重な歩みで彼の傍へ向かう。
焦れたのか、帝釈天もこちらへやってきた。
伸びてきた手が、咲千の肩を引き寄せる。すっぽりと胸の内に抱きこまれ、あたたかなぬくもりに包まれた。
「え……、あの……?」
「聞こえたぞ。お前、不安なのか?」
さっきの広目天との話を聞いていたらしい。
「じ、地獄耳ですね」
「馬鹿言え。ここは天国だ」
(そういう意味じゃないんだけどな……)
ただ、否定しても話が通じない気がしたので、言葉をのみ込む。
社畜と神。なかなか異文化交流が難しいときがあるのだ。
「わかるぞ。お前は人間時代の記憶を色濃く持っている。だから、これほど偉大な神の隣に並ぶのはたしかに気が引けるのだろう。しかし、大丈夫だ。お前はそのままでいい」
鬼畜の極みな神サマが、珍しく励ましてくれる。
(わたしのありのままを認めてくれるってこと? なんだか、優しくて調子くるう)
しかも、帝釈天は咲千の髪をそっと撫でてきた。繊細なガラス細工にふれるようにされると、なんだか頬がじわじわと熱くなる。
「かわいいシャチ。いつまでも俺の隣で俺を楽しませろ」
武骨な指が、ふと耳たぶをかすめた。
「ひゃっ……」
妙な疼きが背筋に走って、首をすくめる。そんな咲千を見て、帝釈天は笑みを深めた。
「今すぐにでもお前を奪ってしまいたい。だが、まずは宴が先だな――」
「主!」
そこへ、新たな声が割り入ってきた。
増長天だ。
いつもは無口で決してでしゃばらない彼だが、なぜか今日は声を張り、前へ進み出てくる。
「どうした、増長」
「お取込み中たいへん失礼いたします。ですが、どうぞこれを」
彼はくるんと巻かれた書簡を差し出した。
「ああ、ご苦労。釈尊様からの返事か」
帝釈天は咲千を放し、それを上機嫌で受け取る。
「俺の上司にお前とのことを報告したのだ」
「へっ、例のあの方……」
武勇神の帝釈天に、無茶な量の事務仕事を大量に押しつけてきたパワハラ上司だ。
天上天下唯我独尊が座右の銘だとかいう、帝釈天をはるかに超える俺様気質の偉い方である。
(そんな方に報告しちゃったら、もう後戻りはできないじゃん)
戦々恐々として、書簡を開く帝釈天を見上げる。
書面には、咲千の読めない梵字でなにやら短い一文が書かれていた。
「……」
目を通した帝釈天の表情が凍りつく。
傍に控えた増長天が、沈痛な声で付け足した。
「さらに伝言もございます。『文一つで済ませるつもりか?』とのことです」
「――……あんの●●上司め!!」
およそ神とは思えない悪態をつき、帝釈天は書簡を真っ二つに破った。
「なんて書かれてあったのですか?」
おずおずと尋ねると、帝釈天は掃き捨てるように答える。
「ただ一言『認めん』と!」
「えっ、そうなんですか!?」
突然の結婚に躊躇していた気持ちはあった。とはいえ、上司から反対をされたとあらば、それはそれで大問題なのだった。




