清浄な気
【第41話】
阿修羅城に、何者かが侵入してきたらしい。
(もしかして、増長天さま?)
多聞天から、追って増長天が合流すると聞いていたので合点がいく。
地響きの衝撃で呪縛が解けたのか、琴が駆け寄ってきて阿修羅王の背にすがる。
「お怪我はございませんか!?」
しかし、阿修羅王は憤怒の形相を向けた。
「お前、帰ってきたときに天界との道を閉ざさなかったな」
「いいえ、閉ざしました」
「嘘をつくな」
「嘘ではございません」
二人の慌てぶりから、咲千の考えが当たったのを予感する。
(やっぱり増長天さまが来てくれたんだわ。これで柚有さまたちを助けてもらえる)
できれば咲千もそこに合流したい。
だが、むしろ今はここで時間を稼げるだけ稼いだほうがいい気もする。
なにせ天女は四人もいる。運び出すのに時間がかかるだろう。
(全員が逃げ切れるくらいの時間、この二人を見張っていよう)
幸いなことに、阿修羅王は咲千を『舎脂』だと思っていて、危害を加えてこない。
(時間稼ぎは任せて)
胸を張ったそのときだった。
琴が腕をぎゅっと摑んでくる。
「阿修羅王さま、こういうときこその人質ですわ!」
(ぎょえー! ナイフとか突きつけられるやつ!?)
あわあわしながら、慈悲を訴えかける。
「琴さんっ、お願いやめて。わたしたち、友達だったじゃないですか」
絶対に聞いてくれないのはわかっているが、社畜は諦めが悪かった。
「なに言ってるの。先に裏切ったのはあなたじゃない!」
「違います! きっと誤解があるんです。わたしはなにもしてなくて」
絶対に多聞天が余計なことをしたのだ。逆恨みしたくなる。
「今さらなによ。わたくしだって友達を売るのは寝覚めが悪かったのよ! 曲がりなりにもあなたのこと気に入っていたんだから」
「本当ですか? なら、もう一回友達を信じてください。わたし、本当になにもしていません」
「でも無理よ。あともう少しでわたくしは阿修羅王さまの妃になれるんだから。古来より『友情より愛情』っていうでしょうが」
(ああ、琴さんってそういう人だった……)
いっそ清々しくてぐうの音も出ない。
だが、当事者のはずの阿修羅王が琴に反論した。
「馬鹿を言うな。舎脂を盾になどさせぬ」
「阿修羅王さま! いい加減に――」
「本当にいい加減にしろ!」
阿修羅王と琴の言い合いにかぶせて、第三者の怒号が響き渡る。
同時に、黄金の光がカッと差した。
まばゆくて、清浄であたたかく、凜とした気配が辺りに満ちる。
「く……」
「きゃああっ」
阿修羅王も琴も苦しげな声を上げ、よろめいて床に膝をつく。
(まさか……!)
こんな清浄な気。
思い当る人物は、一人しかない。
「帝釈天さま!?」
振り返ったそこには、黄金の鎧を身にまとい、剣呑なまなざしで立つ帝釈天がいた。
咲千の胸はにわかに高鳴る。
喉もとに熱いものがこみ上げて、鼻の奥がつんとした。
(助けに来てくれたの?)
増長天が来るはずではなかったのか。
帝釈天は忉利天の北で交戦中のはずだし、だいいち、主神である彼が自ら敵の本拠地へ乗り込んでくるなどとんでもない。
「シャチ、遅くなって悪かったな」
「嘘……なんで」
「天界最強の戦神を侮るな。己の抱き枕一つ守れぬはずがない」
(抱き枕って……この状況でそれはなくない?)
せっかくの感動が引っ込んで、すーんとなった。
帝釈天は咲千を引き寄せ、背にかばう。
そして阿修羅王たちに向き直った。
「というわけで、俺は俺の抱き枕を回収させてもらう」
「ふざけるな!」
よろめきながらも、阿修羅王は立ち上がる。
琴は帝釈天の聖なる力に圧倒されて、床に伏したままだ。
「ふざけているのはお前だ、阿修羅王。だが俺は寛容な神。選択肢を与えてやる。二択だ、今すぐ決めろ。この城に雷を落としすべてを粉々に砕くのと、城はそのままで中身を皆殺しにするのとどちらがいい?」
「え?」
咲千はつい気の抜けた声を上げてしまった。
(城を木っ端みじんか、中を皆殺し?)
さらりと言うような内容ではない。
「ふざけるな!」
当然、本日二度目の『ふざけるな』である。
しかし、帝釈天は笑顔を浮かべた。
「俺は至って真面目だ」
背後には、黄金色の炎がゆらりと立ちのぼる。
灼熱の太陽のごとき熱がじわじわと漏れ、辺りの気温を上昇させた。
だというのに、咲千は背筋が凍るようなものを感じる。
(ものすごく怒ってるの……?)
帝釈天は笑顔の裏腹、その内心を怒りに沸騰させていた。
こぼれる凄まじい気迫に、阿修羅王がごくりと唾をのむ。
「……そんな外道なことをすれば、許さないわ」
琴が震える声で反発する。
「許さない? 誰に物を言っている」
帝釈天は横目で琴をちらりと見た。
それだけで、琴は凍りついたように動かなくなる。
「忉利天の散歩は楽しかったか?」
「は……、なに、それ……」
「俺を暗殺しに来るのかと思えば、怖気づいてまったく来ぬから、がっかりしたぞ」
その物言いは、帝釈天が天界にいたときから琴の正体を知っていたかのようだった。
「帝釈天さま、琴さんのこと、ご存じだったんですか?」
「俺を誰と心得る。お前と挨拶に来たときから知れていた。面白そうだから泳がせていただけだ」
「お、面白そうって……」
そういえば、彼は永遠に続く輪廻に退屈していたのだった。
「だが、今は非常に不愉快だ。早々に八つ裂きにしてその首を阿修羅界へ送り届けておけばよかった」
「……すれば、よかったじゃないの。なぜ、しなかったのよ」
「天界で殺生などすれば、天女たちが穢れに触れて犠牲になるからな」
そこまで言って、帝釈天は剣呑なまなざしにさらなる凄絶な光をたたえる。
「だがここは阿修羅界。存分にいたぶってやろうではないか」
冗談なんかではない。
凄みのある雰囲気に、琴は言葉を失い、咲千も背筋を凍らせた。
このままではスプラッタな光景が広がってしまう。
いくらなんでも、琴のそんな残酷な姿は見たくない。
咲千は必死に阻止しようと試みる。
「待ってください」
「待たぬ」
「琴さん友達! 人類皆兄弟ネ!」
「は?」
「ミンナ神ノコ、信じる者はスクワレマース」
「それは宗教が違う」
(知ってた!!)
でも、八つ裂きはやりすぎだ。いたぶるのも辞めてほしい。
いくら彼女に振り回されたとはいえ、琴には琴の事情があってやったこと。過激な『ざまぁ』展開はお断りだ。
だが、場を混乱させる一言がまた斬り込んできた。
「そうだ。兄弟だったのだ。舎脂は儂の妹でもあった。返してもらおう!」




