阿修羅王
【第40話】
(琴さんと話しているのは、阿修羅の王なの?)
帝釈天が戦っているという。
この城の持ち主にして、魔人障や悪蛇を率いる悪の親玉、つまりラスボスの登場なのだった。
「どけ」
冷ややかな命令が下された。
すると、琴の身体は操り人形のごとくぎこちない動きで咲千の前からどく。
なんらかの魔法じみたものをかけられたようだった。
「阿修羅王さま!」
「黙れ」
「んぅ……っ」
不思議な力に絡めとられたように、琴は動きも言葉も封じられてしまった。
「これが人質か」
阿修羅王が近づいてくる。
(ギョワー、どうしよう!)
咲千は逃亡した人質だ。
映画とかで、そういう場合は残虐に痛めつけられたりするのを見たことがある。
(お願いお願いお願いお願い。できるだけ優しく扱ってください! 女の子はシャボン玉なので!!)
恐怖でわけがわからなくなって、おかしなことを祈り続ける。
頭のてっぺんから足先まで真っ黒のローブで固めた阿修羅王が目の前に立つ。
目深にかぶるフードの中、赤い目が血のごとく艶やかに光っている。
研ぎ澄まされた刃のごとき鋭いまなざしに射すくめられて、咲千は怖いのに視線を外すことができなくなってしまった。
「……舎脂?」
ふいに名を呼ばれて、「はい」と答えかける。
(いや、残念。ちょっと違う)
「咲千です」
言い直すと、阿修羅王はこちらへ伸ばしかけてきた手をわなわなと震わせた。
「舎脂! 舎脂!! 舎脂ではないか、戻ってきてくれたのだな!?」
がばっと両肩を摑まれて、激しく前後に揺さぶられる。
(ノオォォォ! 人違いでーす!)
あまりの激しさに声が出せず、心の中で絶叫する。
勢いで、阿修羅王のフードがはらりと後方に落ちた。金色の長い髪がこぼれて背に垂れる。
(えっ、金髪赤目!?)
とたん、暗黒に黄金の雨が降り注いだかと思った。
華やかさを絵に描いたようなあでやかな顔立ち、透き通るほど白い繊細な肌、すっと通った鼻筋、艶めかしい唇。
阿修羅王の華々しく美麗な全貌が明らかになる。
(超ド級のイケメン……!)
帝釈天を初めて見たときも思ったし、多聞天にも感じたが、阿修羅王もまた、凄絶な美形なのだった。
「舎脂、会いたかった。何千年待たせるのだ、待ちくたびれたぞ」
(何千年!?)
事態に頭が追いつかない。
よくわからないが、阿修羅王は咲千を誰か大切な人の生まれ変わりと勘違いしているようだ。
感極まった様子で瞳を覗きこまれて、当惑する。
(本当にごめんだけど、訂正させてもらうわ……)
あとから真実に気づいて『騙したな』とか逆恨みされても困るので、ちゃんと本当のところを告げることにする。
「すみません、わたしは咲千といって、帝釈天さまのもとで天女をしています。前世は人間で、しがない社畜でした。人違いです」
だが、阿修羅王はかぶせて言いつのる。
「天女や人間が儂を前にして正気を保てようはずがない。お前は阿修羅族の舎脂だ」
「えっ」
咲千はほかの天女と違ってこの手の穢れに強い。
帝釈天や持国天、広目天は咲千を見て、ほかの天女と少し違うと言っていた。
(きっと転生したばかりだからだと思っていたけど……)
社畜時代の記憶ははっきりしている。
だが、社畜から天女に生まれ変わったように、その前だってあるはずなのだ。
(まったく記憶にないけど、この人の言うことも完全に否定はできない)
なにせ彼らは何万年も生きているのだ。
何度も輪廻を繰り返し、帝釈天と戦い続けながら。
「舎脂は、ある世では儂の妹、ある世では娘、ある世では……妻でもあった。いつの世でも、お前はずっと儂の傍にいたのだ。だが」
感動に満ちていた阿修羅王の目が、ぎらりと光る。
見る間に穏やかな色は憎しみに塗り替えられた。
「あの外道天の暴挙を止めるため、お前は犠牲になった。そして、儂のもとへ還らなくなった」
「どういう意味ですか」
外道天とは、帝釈天のことだろうか。
琴もそんなふうに言っていたのを聞いたことがある。
阿修羅族の者たちは、帝釈天に深い恨みを抱いているようだ。
「阿修羅界にはほとんど日が差さぬ。作物は育たず、民は飢餓に苦しみ、やせ衰えていた。すべてが満たされた天界から奪うしか、儂らの生きる道はなかった」
それで天界に挑み続け、帝釈天に退けられてを繰り返していたらしい。
「だが舎脂は、天界の恵みを奪うのではなく、手を取り合えないかと言ったのだ。そして自分が変化の風になると言った。その後、阿修羅界での命を終え、儂のもとへ二度と戻らなくなったのだ」
(変化の風……?)
前にも聞いたことがある。
贅を尽くした善見城での宴会の最中、帝釈天が言ったのだ。
――『なにやら変化の風でも吹いてきたか』
帝釈天は終わりの見えない阿修羅族との戦いに辟易していた。
変化を求めていた。
阿修羅王の縁者だとかいう舎脂は、天界と阿修羅界の関係を変えようと、決められていた輪廻の道を外れ、変化を選んだ。
(天界に生まれ変わって、帝釈天さまと会うために……?)
阿修羅族の娘が、天と地ほどの隔たりがある天界に生を受けるのは並大抵のことではない。
それこそ、何百回と転生を繰り返す必要があったはずだ。
(全然実感はないし、信じられないけど、本当にもしかしたらもしかして、わたしが何千年も前に死んだ舎脂さんだったのなら……)
社畜だった咲千が天女に生まれた理由が明確になる。
――そのときだった。
薄暗い廊下に、鋭い金色の光が差す。
「え」
稲妻のごとくまたたいたかと思ったら、轟音と地響きが同時に襲いかかってきた。
天井から小さな石のかけらがばらばらと落ちてくる。
思わず頭を抱えてその場に屈みこむと、それを庇うように阿修羅王が咲千に覆いかぶさる。
思いがけない優しさに、面食らってしまう。
「な、なに……? 地震?」
だが、阿修羅王は瞳を怒りに煮えたぎらせた。
「くそっ、侵入された!」




