舎脂
【第39話】
部屋を出ですぐ、薄暗い廊下の床には複数の物体が転がっていた。
「えっ、きゃあ!」
思わず飛びのく。
湿った石の床に伏していたのは、人だった。
忍者のごとく全身を黒装束で包み、目深に黒い頭巾をかぶっているため顔も性別もわからない。
「大丈夫です、か……?」
安否を尋ねようと一歩踏み出したところで、すさまじい悪寒に襲われる。
(この人たちの気配、すごく禍々しい……)
人ではないものだと直感する。もしかして彼らが魔人障とかいう存在かもしれない。
だとすると、多聞天が部屋を脱出する際に倒していった可能性がある。
彼らは人質の見張り担当だったのではないか。
(これが魔の気配ね)
天女たちにとって天敵ともいえる。
一分一秒でも長く当たらないほうがいい。
(たいへん、柚有さまたちを守らなきゃ)
咲千は慌てて、石の扉に手をかける。
ものすごい重さで、全体重をかけても一ミリくらいしか動かない。多聞天はこれを音もなくさらっと開けてしまったなんて、信じられない。
「うんしょ、よいしょ、どっこらしょ」
大きなカブでも抜いているような掛け声と共に、扉を全力で押し閉ざす。
ようやくぴったりと部屋の入り口をふさいだ頃には、両手両足がびりびりと痺れていた。
「ふう~」
一仕事を終えてため息をついた咲千は、はたと我に返る。
(わたしが締め出されちゃった!)
とんでもないことに、外側から押し閉ざしたために、咲千だけ部屋の外へ取り残されてしまったのだった。
「待って待って待って、開かないっ」
重い重い石の扉は、いくら引っ張っても、うんともすんとも言ってくれない。
咲千も閉ざすのに限界まで力を振り絞ってしまったから、もうこれ以上力が出せない。
「どうしよう」
部屋には戻れない。多聞天の姿はもう見えない。
足もとには倒れた魔人障たち。ずっとここにいれば、さすがの咲千も魔の気配に当てられてしまう。
にっちもさっちもいかない。
(多聞天さまと合流するしか……)
姿は見えないが、物音をたどろう。
耳を澄ましながら、薄暗い廊下を歩いていく。
(ここはお城なの? ずいぶんと陰気な場所)
長々と続く廊下はどこまでも薄暗く、じめじめしている。
辺りにはカビの匂いが充満していて、明かりと言えば、石壁のうんと高い位置に三日月形の小さな窓があるだけで、ごくかすかな光が差しこむだけだ。
高い天井には、蜘蛛の巣が張って不気味さを助長している。
どこぞのテーマパークのお化け屋敷を思い出させる雰囲気だ。
そのうち、廊下が右と左に分かれる。右はいびつな高さの下り階段で、下のほうは闇に沈んで見えない。左は小部屋が連なっている。
(どっち? それとも、引き返すべき?)
下手に迷えば、多聞天にもあとから来る増長天にも迷惑をかけてしまう。
やはり戻るべきか。
置いてきた柚有たちの様子も気になる。
と、そのときだった。階下から感情的な女性の声が聞こえた。
「それでは約束が違いますわ!!」
(この声、琴さん?)
こちらへ足音も近づいてくる。
どうやら歩きながら琴が誰かと話しているようだ。
「帝釈天の弱みを握り、苦しめたいと。そうすればお心が晴れるとおっしゃいましたよね? だからわたくしは危険を冒して忉利天へ潜入し、人質を連れて戻ってきましたのよ!」
(なんだかわからないけど、隠れなきゃ)
咲千は手ごろな隠れ場所を探す。
廊下を左に曲がった先のどこかの小部屋へ逃げ込もう。
「わたくし命を張ってあなたさまの願いを叶えました! ですから今度はわたくしの願いを叶えてくださる番ですわ!」
興奮して荒ぶる琴の声に、太く低い声が答える。
「褒美をとらす。欲しいものを言え」
(今の声――!)
聞いたとたん、咲千の全身にぶわっと鳥肌が立った。
だが次の瞬間、自分のそんな不可思議な反応に驚く。
(え、なに、今の……。声って、全然知らない声なのに)
多聞天のものでも増長天のものでも、もちろん帝釈天のものでもない。まるで知らない人の声だ。
だというのに、知っている気がする。
(誰なの?)
痛いような、苦しいような、悲しいような、でも……愛おしいような。
不思議な感情群が胸の内で膨れ上がる。
だから隠れることなんか忘れて、茫然と立ち尽くしてしまった。
「褒美ではありません。わたくしを妃にしてください。それだけがわたくしの望みです!」
「何度も言うが、儂の心に住まうのは舎脂ひとり」
(え……シャシ?)
咲千、シャチ、シャシ――違うようで似ていて、同じ気がする。
自分を名指しされた心地がして、喉がひゅっと鳴った。
「舎脂さまはもう何千年も前にお亡くなりになりました! いい加減にお忘れください!」
黒装束の人影が二つ、いよいよ姿を見せた。
呆けていた咲千の姿は、簡単に見つかる。
「あなた……! どうしてここに」
琴が指をさし、唇をわなわなと震わせた。
彼女は大股に階段を駆け上がってきた。
(しまった、逃げなきゃ)
今さら踵を返すが、もう遅い。
彼女は首に巻いていた黒いストールのようなものを素早く外すなり、咲千の身体へ巻きつけてくる。
しかし、予想外だったのは、琴は捕えた咲千を壁に押しつけ、自分が背を向けてその前に立ちふさがった。
両手を広げて咲千を男性から庇うような姿勢をとる。
「琴さん……なにを……?」
不可解な彼女の行動に首を傾げる。
琴の背中越しに、知らないはずなのに知っている気がする男の声がした。
「今隠したものはなんだ」
「わたくしが命がけで捕まえてきた人質ですわ」
「ならばこちらへ引き渡せ」
「いやです」
「なんだと」
「わたくしを妃にしてくださると約束するまでここをどきません」
(痴話げんか?)
どうやら仲間割れをしているようだ。
(この機会に逃げられないかな?)
二人が揉めている隙を縫って逃げたい、そう思ったときだった。
「この阿修羅王にたてつくならば、女と言えども容赦はせぬぞ」
(――阿修羅王!?)
まさかのラスボス登場に、咲千は凍りついた。




