甘い拘束
【第32話】
咲千が首飾りを返せば、帝釈天はあからさまに気分を害した表情になった。
「なんだと」
威圧感に怯みそうになるが、ぐっとこらえて立ち向かう。
「どうしてくださるのかわからないので」
「意味など考えなくていい。ありがたく受け取れ」
「ありがたくないです」
「神に対して生意気を言うな」
「生意気とかじゃありません。くださるなら、どうしてなのか教えてください」
負けじと言い張るものの、俺様上司は決して譲ってはくれない。
「俺がやると言えばやるで決定だ」
「わたしはいらないと言っています。ほかの方に差し上げれば?」
たとえば、さっきの天女とか。
自分でそんなふうに考えて、自分で傷ついた。
せっかくの勢いがしゅうんと萎んで、咲千は劣勢になる。
その隙を、帝釈天は見逃さなかった。
衣擦れの音がしたと思ったら、太い腕が咲千の背に回る。
……再びきつく抱擁されていた。すっぽりと納まった胸の中では、抵抗なんて一切封じられてしまう。
「興奮するな。命を落としたくはないだろう」
囁くような声が耳朶に直接吹き込まれる。
(あ……)
そういえば、天女は激しい感情の起伏に弱いのだ。
帝釈天は咲千の荒ぶった心を鎮めようとしてくれているのだった。
「そこには俺の力が託してある。肌身離さず持っていろ」
帝釈天は咲千を抱きすくめたまま、肩先に顔をうずめてくる。
首筋をかすめる柔らかい髪の毛の感触に、背筋がぞわぞわと粟立った。
(だから、どうしてなの……?)
こんなに甘い声で、甘い仕草で。
このままでは、咲千は変な勘違いをしてしまう。
はぐらかさずに、きっぱりと教えてほしかった。
けれども帝釈天は、やはり答える気はないのだった。
声色を変え、冷静に告げてくる。
「俺は今後しばらく北の方へ出ることになる」
(北天へ行くということ?)
さっきの天女が住まう場所だと思うと、なんだか胸がちくちく痛む。
だが、それだけではない気がした。
(帝釈天さまは、鎧をつけて戦支度をしている)
ただ北天へ向かうのではないのでは。
北天のさらに北、つまり、忉利天の外かもしれない。
(もしかして、魔人だかブリ虎だとかという敵と、戦うの?)
ばっと顔を上げる。
唇を開きかけたところへ、彼の大きな手が押し当てられた。言葉が封じられる。
「お前はなにも知らず、なにも聞かずに俺の帰りを待っていろ」
そんなこと納得できない。
ぷるぷると首を横に振るが、帝釈天は冷たく突き放す。
「命令だ」
天女は待遇に不満を持ってはならない。
すなわち、上司の命令は絶対なのだった。
うなずく以外の道は残されておらず、咲千はしぶしぶ首を縦に動かした。
すると、帝釈天の手からは緊張がほどける。彼は、ほっと息をついたように見えた。
「それでいい」
唇から手のひらのぬくもりが離れていく。
咲千は脱力して肩を落とした。
「では部屋に戻れ」
「……わかりました」
もう抵抗する気力は残っていない。踵を返して出ていこうとした。
だが……。
「あの」
上目づかいに帝釈天をうかがう。
「なんだ」
「出ていけと言いませんでしたか?」
「出ていけとは言っていない」
厳密には『部屋に戻れ』だが、同じ意味だ。
咲千はもじもじと肩を左右に揺すった。
「部屋へ戻りたいのですが」
「ああ、そうしろ」
「ですが、拘束されたままです……」
帝釈天の両腕は、しっかりと咲千の腰へ回ったままだった。
試しに両手を突っ張って見るが、びくともしない。
まったく離す気がないとばかりだ。
「拘束とか緊縛とか言うな。いかがわしいだろう」
(さすがに緊縛は言ってない!)
心の中で激しく突っ込みながらも、この状況に戸惑うばかりだった。
「放してください」
「だめだ」
「ですが、それでは部屋に戻れません」
だんだんと、新手の嫌がらせなのではないかと思えてきた。
そっけなかったり、とびきり甘かったり、ふり幅が大きくて混乱する。
そんな中、帝釈天がぽつりとつぶやいた。
「離れがたい」
(……っ!)
切なげな声に、咲千の胸はぎゅわっと鷲摑みされる。
私もです。
思わず、そう答えてしまうところだった。
でも、歯を食いしばって言葉をのみ込む。
だって、帝釈天がどういう意図でそんなふうに言うのか、皆目見当がつかなかったから。
(だけど……もう少しだけ、このままでもいいのかもしれない)
ほだされたように、ゆっくりとまぶたを閉ざす。
二人きりの室内はとても静かで、くっついていると互いの心音が聞こえた。
帝釈天の力強い鼓動と咲千のいつもより早い鼓動が合わさって、ひとつの楽曲を奏でているかのような心地がする。
不思議な陶酔感が胸を満たした。
どれだけそうしていたのか。
夢と現実の境目がわからなくなってきて、咲千はまどろみかける。
そんな頃、ようやく帝釈天が咲千を解放した。
「さあ、行け」
軽く背を押された。咲千は、ふらふらと部屋を出る。
なんだか頭が蜜で浸したようにとろとろしていて、そのあとどうやって部屋まで帰ったのかよくわからなかった。




