引っ越し
【第33話】
翌朝、帝釈天が城を空けたため、散華はしばらくないとの旨が伝わってきた。
(本当に出かけてしまったんだ……)
昨晩興奮が過ぎてあまり眠れなかった咲千は、寝台に腰かけたままあくびをかみ殺す。
朝のお勤めがないと聞いた同室の天女たちは、誘い合わせて天気の良い外へ繰り出していった。
咲千がうつらうつらとしていると、外側から窓が開く。
ぬっと顔を突き入れてきたのは、おなじみの同期天女、琴だった。
「やっほー」
いつも明るい彼女だが、今日はまたずいぶんと機嫌がよさそうだ。
鼻歌を歌いながらするりと窓枠を抜けて、部屋へ入ってくる。
「琴さん、前にも言いましたがドアから入ってきたらいいじゃないですか」
「細かいことは気にしないの。それで、空いている寝台はどれ?」
彼女はきょろきょろと部屋を見回しながら言う。
座るところを探しているのだと思い、咲千は自分のベッドをあける。
「ここへどうぞ」
「そこはあなたの寝台じゃないの。わたくしが言ったのは、いなくなった天女のことよ」
「え……」
少し前に二人の天女が姿を消してから、補充員は入ってきていない。
だから、咲千の部屋は今五人部屋で、空いた二つのベッドはしばらく使われていなかった。
「わたくし、今日からこの部屋に引っ越してくるわ。荷物ももう持ってきたの」
言われてみれば、彼女は風呂敷を背負っている。
かなり膨れており、中身がぎっしり詰まっている様子がわかった。
「そんなの勝手に決められませんよ」
「でも帝釈天は留守じゃない。平気よ。あ、ここね。空いているのは」
整った寝台の一つを見つけ、彼女は風呂敷をどすんと下ろす。
勝手知ったるとばかり、靴を脱いで上がってしまった。
「突然どうしたんですか?」
「どうもこうもないわ。お友達と同室のほうが楽しいじゃない。恋バナでもしましょうよ。あなたと話したら楽しそう」
「そんなこと言って。琴さんの同室の天女さんたちが心配しますよ」
「あら、わたくしは最初から一人部屋よ」
「え? そうなんですか?」
意外だった。
天女たちは七人部屋が普通なのかと思っていた。
「だから、部屋が開いたら引っ越すものなのよ」
(そういうことなら、問題ないのかな?)
咲千の一存では決められないが、先輩天女らが戻ってきたら確かめようと思う。
(こんなとき帝釈天さまは留守なんだもんね……)
なんとなく恋しくなって、枕の下に押し込めていた象の首飾りを手で探る。
指先に絡めて引っ張り出したら、じゃらりと金属の擦れる音が立った。
「ちょっと! なによそれ!!」
と、いきなり琴が大声を出す。
飛びのくように寝台を下り、両手を顔の前にクロスして立った。
(なにそのポーズ。バトルシーンの防御姿勢みたいな……)
あっけにとられる咲千に対し、琴はやたらと緊迫した声を出す。
「気味が悪い! 早くしまって!」
「え? あ……これが?」
「そうよ!! 早く!」
つばを飛ばす勢いで訴えかけられ、咲千は慌てて枕の下へそれを押し込めた。
「どうしたんですか? 象さんが嫌いとか?」
虫が嫌いな人がいるように、象の形が生理的に無理とか、そういう人もいるのかもしれない。
咲千にとっては愛嬌があってかわいらしい象だが、好みは人それぞれだから。
琴は柳眉をひそめたまま、鋭い口調を続ける。
「それ、あの男のものね」
帝釈天を『あの男』呼ばわりするのは琴くらいだろう。
「どういうつもり? あいつは別の天女に心を移したんじゃなかったの?」
「そんなの……わたしだってわかりません」
「わからないってなによ。そんなのもらっておきながら?」
「直接もらったというか、人づてに渡されたんです」
「人づて? 誰から?」
「その……琴さんが言う『別の天女』の方から」
嘘は言っていない。
その後帝釈天の部屋へ行き、抱きしめられたり甘い言葉を囁かれたりしたことは、言わないでおいた。
琴は眉間に皺を刻んでしばらく考え込む。
ややあって、ぽんと手を打った。
「わかった。手切れ金よ」
「はい?」
「別の天女に心変わりしたから、適当な物を与えて遠ざけようっていうのよ。散々あなたをもてあそんでおいて、外道ね。絶対に受け取るべきじゃない。今すぐ捨てたほうがいいわ」
琴は言いながら、徐々に怒りを募らせるように顔を赤くしていく。
「あいつは光の中だけを歩いてきた男。切り捨てた闇には一切目もくれないの」
(どうしたの)
彼女の言葉には、憎しみがありありと溢れている。
咲千は聞いているだけで、鋭い刃を喉元へ突き付けられたような感覚がした。
(凄まじい絶望と、渇望、そして悲しみ……苦しみ)
雪山でひとりぼっちの飢えた狼が涙を流している、彼女はそんな姿に見えた。
なぜか放っておけない。
その狼が抱く苦しみを、咲千も知っているような気がしたから。
(わたしが知っているわけはないのに、どうしてだろう)
社畜だったとはいえ、琴の抱える闇とはベクトルが違う。
なのに、身体が芯から冷えていく感じに、心当たりがあると思えてならない。
「琴さん、あなたは……」
ふらふらと彼女に歩み寄る。
しかし、その肩先に触れようとした寸前、彼女は大きく身を引いた。凄まじい眼力でにらみつけてくる。
「さわらないで。あなたは消したくない」
(え……!?)
投げつけられた言葉に驚き、手を引っ込める。
琴は興奮を隠せない様子で、両腕で自らを抱きしめた。
「弱っちい天女は少しの穢れであっけなく死ぬのよ。この寝台を使っていた子たちのようにね」
「どういう意味……?」
「しゃべり過ぎたわ。頭を冷やしてくる」
琴は顔を背けた。
大きく息をつき、飛び上がる。
咲千の横をすり抜けて、やはり窓から外へ飛び出していった。
咲千は茫然として、それを見送った。
(さっきのは、いったい)
同室の天女たちがいなくなったのは、穢れに触れて死んだとでもいいたげだった。
そして、まるで琴がそれに関わっているかのような。
それにあの、ほとばしるような怒りに近い激情。
(どうしてだろう。怖いというよりも、すごく……共感してしまうような、変な気持ち)
咲千の胸の中にも、似た感情が潜んでいるような気がしてならない。
(社畜時代の話なの? でも、全然思い出せない)
自分の影を追いかけているように考えても考えても答えには辿りつけなくて、もどかしくなった。




