偵察
【第30話】
琴は泣きそうな顔で言いつのってくる。
「ごめん! ごめんって。やっぱり言わなきゃよかったかも。あんな最低最悪外道天でも、あなたは仲良くしていたんだし、浮気されたなんて気分が悪かったわよね」
「いや待ってください。いったん浮気から離れましょう」
帝釈天と咲千は、別に恋仲でもなんでもない。
だから、彼が別の天女を部屋へ呼ぼうが、愛でようが、まったく関係ないはずだった。
(うん。関係ない)
なのに、どーんと気分が沈む。
おかしい。
咲千にとって帝釈天は、喉から手が出るほど欲しているスローライフを邪魔してくる存在だったはずだ。
むしろスローライフを脅かす敵であって、放っておかれる今の状況は、願ってもない。
(だけど……なんでこんなに引っかかるんだろう)
持国天の城へ連れていかれたとき、ものすごく心配してくれた。
咲千のことを特別扱いしているような行動に、口ぶりだった。
それが、日をまたいだら手のひらを返したように興味をなくしてしまうなんて。
(やっぱりなにかあったのかもしれない)
咲千があずかり知らぬところで、原因となるなにかが起こっているとしたら。
「腹立つわよねえ」
「腹が立つっていうか、ちょっとどういうことなのか気にはなりますね」
すると、彼女はずいっと身を乗り出してくる。
「わたくし、一肌脱いであげる。一緒に偵察へ行きましょう」
「偵察!?」
「相手の女がどういう子か気になるんでしょうが」
(そうじゃない。でも……なにか変だなって気にはなる)
「さあさあさあ! 行くわよ」
勢いに押されるまま、咲千は琴に連れられて殊勝院へ向かった。
琴はどこからともなく柳の枝葉の箒を持ってきた。
「あなたは掃除が得意でしょう? だから、これが使えると思うわ」
言って、箒を咲千へ押しつけてくる。
「え? どうするんですか」
「廊下掃除をするのよ。さすがに現場には乗り込めないでしょう。素知らぬふりをしてここで掃除をしてて、女が部屋から出てくるところを目撃するのよ」
(なるほど)
うなずけば、琴は右目をつむってウインクしてくる。
「じゃ、頑張って」
「一緒に偵察してくれるんじゃないんですか?」
「箒が一個しかなかったのよ。それに、二人でいたら怪しいかなって思って」
(えーっ!)
「あとでどうだったか教えてね」
なんと、琴はミッションを押しつけて立ち去ってしまった。
(ああ……、あの子はこういう子だった)
きっと悪気はないのだろう。
だが、巻き込み体質な琴に、またしても巻き込まれてしまった。
学ばない自分の阿保さ加減に呆れて、ため息をつく。
(どうしようかな。わたしも帰ろうかな)
殊勝院の近くは、掃き掃除なんてしなくてもピカピカだ。
むしろこんなところで箒を使っていたら、おかしく思われるだろう。
(帰ろ)
別に帝釈天の様子なんて気にならない。
(気にならないもん)
ぷいっと背を向けたときだった。
背後で扉が開く音がする。
(え!)
気にならないと思ったくせに、やはり振り返ってしまう。
そして、咲千の視線は釘付けになった。
(誰?)
殊勝院から出てきたのは、帝釈天ではなかった。
琴の言ったとおり、天女である。
(わ……)
どえらい美人だった。
咲千よりもずっと長身ですらりとしていて、身につけている衣裳の色合いは天女にしては珍しい墨色。
首や胸、腕につけた装飾品の銀色の光が冴え、肌までも輝かせている。
顔立ちの整い方は、これまで出会った天女たちの中でも群を抜いていた。
若干つり上がった目尻は中性的な美を際立たせて、いっそう彼女の魅力を輝かせている。
(見たことがない子だ。新しい天女さんなのかな)
彼女ほどの美貌であれば、一度見たら決して忘れない。
とにかく目が離せない。
ただそこに立っているだけで、凄まじい存在感である。
彼女と比べれば、どんな美人も路傍の石だ。
(わたしなんて、石ですらない。微生物みたいなもんよ。ゾウリムシとか)
よくわかった。
最近帝釈天がいきなり咲千から興味を失ったのは、目の前に現れた新しい天女に目を移したからに違いない。
(もともとわたしは、いじると楽しい存在だったんだし)
単なる退屈しのぎだった。
帝釈天は何万年も生きていて、永遠のループに飽き飽きしていると言っていたから。
(わたしはもう用済みってわけね)
新米だから興味があっただけだったのだ。
だんだんと天界に馴染んできた咲千の反応は、きっと帝釈天にとって新鮮ではなくなったのだろう。
自分で出した結論は、妙に納得できた。
(だって、あの子は美人すぎる)
比べるのもおこがましいくらい輝かしい天女から、目が離せない。
あまりにも凝視しすぎていたせいか、彼女は咲千の視線に気づいた。
そして、わずかに表情を曇らせる。それすら哀愁が漂い、絶妙の美しさをかもしだす。
(帝釈天さまバリの圧倒的オーラだわ……)
好きな芸能人に偶然出会ったファンのように、ただ茫然と立ち尽くしてしまう。
「シャチさん」
「へっ」
突如として、名前を呼ばれて気をつけの姿勢になる。
いや、名前というかあだ名だが。
彼女は、まるで氷の上を滑るように足音を立てずに近づいてきた。
目と鼻の先まで来たところで、身長の高さにおののく。
(遠目で見ても背が高いと思ったけど、頭一個分違う)
スーパーモデルのようだ。
彼女と並ぶと自分はなんとちんちくりんなのか。
「ちょうどよかった、あなたに会いにいくところでした」
凄絶な美貌で見下ろしながら、さほど高くも低くもなく抑揚のない声で、彼女は予想外のことを言ってきた。
「なんでですか? あなたはいったい……?」
「わたしは、多――毘毘とでもお呼びください」
彼女はにこりともせず、自己紹介をしてきたのだった。




