利用価値
【第29話】
(増長天さまが声をかけてくるなんて、なんだろう)
警戒するわけではないが、訝しく思う。
「送ろう」
意外すぎる申し出に、咲千は肩を撥ね上げる。
道がわからなくなったと告げたので、親切心からだろうか。
「い、いえ、大丈夫です。今度は迷いませんから」
「だが、そなたは逆方面へ向かっている」
「そうでしたか、すみませんでした」
ありがたく背後を振り返る。
遥か向こうには、小さくなった善見城が見えた。
(あれ? ここはもう南天なんだよね? あっちへ行ったら、もとへ戻っちゃうんじゃ……)
首を傾げる咲千に構わず、増長天は先導するように歩き出す。
「え、あの、待ってください。わたしは今から南天へ行こうと……」
「ここは既に南天だ」
「あ、はい。その……南天の知りあいに会いに来たんですけど……」
「その目的も達したな」
(まさか増長天さまに会ったことを知り合いにカウントしろと?)
わけがわからなくて目が回り出す。
だが、なんというかこの大柄な神サマには特有の威圧感があって、うまく言い返せないのだった。
なぜか善見城へUターンして帰る羽目になる。
「昨夜はなにやら騒がしかったようだな」
「っ」
背を向けたまま言われて、咲千はびくりと肩をすくませた。
(持国天さまのこと、もう知っているんだ……)
なんとも返事のしにくい質問だ。咲千は黙る。
「しばらくは善見城を出ぬほうがよいのではないか?」
(もしかして、それで『送ろう』って言いだしたのかな)
増長天なりの気づかいだったのかもしれない。
言葉が足りないのでよくわからない神サマだが。
(やっぱり、四人の中で一番まともそうに見える)
大きな背中を見ながら、なんとなく思う。
帝釈天は鬼畜な俺様だ。
持国天は自分語りが多すぎるし、広目天は第三の目とやらで心の中を読んでくる。
(そういえば、もう一人の四天王って、会ったことない)
仏教に詳しくない咲千は、その神サマの名前も知らない。
増長天が南天で、持国天が東天、広目天が西天の神なので、残りの一人は北天を守っているのだろう。
(阿修羅とかいうのは北から攻めてくるって言ってたから、北天の神サマは持ち場をあまり離れられないのかな)
ぼんやりとそんなことを考えながら歩く。
増長天はほとんど語らないので、二人で歩く時間は永遠に感じられるほど長かった。
たっぷりと時間をかけて善見城まで戻ってきたところで、ようやく増長天が振り返る。
「送っていただきありがとうございました……」
「うむ」
彼は顎に手を当てる。そして、ぽつりと独りごちた。
「利用価値がある……か」
(え、なんのこと?)
けれども、咲千が訊き返す前に、彼は背を向けてしまった。
来るときはずいぶんゆっくりだった歩みは、帰りは速く、あっという間に姿を消す。
きっと咲千の歩幅に合わせてくれたのだろう。
(一番まともな神サマ……だよね?)
なのに、去り際の言葉が引っ掛かる。
――利用価値。
誰が誰を利用していると言いたかったのだろうか。咲千は誰かに利用される側なのか。
気にはなるが、答えてくれそうな人はここにいないのだった。
それからしばらく、咲千は善見城でおとなしく過ごす。
同室の天女は数が減ったまま、戻ってこなかった。
(どうしたんだろう。まさか、汗をかいたり、待遇に不満があったりして天女じゃなくなっちゃったのかな)
自分も二度死にかけただけに、他人ごとではない。
それと、気になることはまだあった。
(ここしばらく、帝釈天さまとお話ししてない……)
朝に散華が行われれば、姿を見ることはある。
夜の宴の際も、四天王を脇に従えて座すのを遠目には見かける。
だが、咲千は身近に呼ばれなくなった。
前は過剰なくらいスキンシップが激しかったのに、あまりの変わりようだ。
(なんでだろう……)
持国天と揉め事を起こしかけたためだろうか。
正直、それ以外に思い当ることはない。
時折、遠目に窺っていると、広目天の第三の目と視線が交差したりする。
それはそれで内心を覗かれているようで気まずいから、こちらから目を逸らしてしまう。
しかしながら、帝釈天とはまるで目が合わない。
(そりゃ、わたしはもともと新米天女で、偉い神サマたちとお話するような立場じゃないけど)
帝釈天は忉利天の主神だ。
声がかからなければ、こちらから話しかけられる相手ではない。
(でもさ、あれだけ距離を詰めておいて、なんなの)
胸に小さな針が刺さったようだ。
痛痒い気分をもてあます。
そんなさなかだった。
「咲千ー! お元気?」
部屋に、琴が遊びにきた。
とびきり明るい笑顔と声を携え、開け放ってあった部屋の窓から侵入してくる。
「わわっ、琴さん。ドアから来てくださいよ」
「一個一個開けてあなたがいるか確かめるの? 面倒くさいじゃない」
ということは、窓の外から咲千の姿を探して遊びに来たのだろうか。
それはそれで面倒くさいと思うが、言わないでおいた。
彼女は当たり前のように咲千の寝台にどっかりと座り、話し始める。
「ごめん。元気? なんてつい聞いちゃったけど、そうじゃなかったわよね」
「いきなりどうしたんですか?」
琴は眉をひそめ、心の底から同情したようなまなざしを送ってくる。
「わたくし慰めにきたのよ。あなたが悲しそうにしてるって思って」
「悲しそう? そうでしたか?」
「自分ではわからないのかもね。でも、わたくしはお友達だから、わかっちゃうの。あいつのことで悩んでいるのよね」
「あいつ?」
「帝釈天よ」
素手で心臓を摑まれたような心地がした。
(たしかに最近全然話せなくて……ちょっともやもやしてたけど)
改めて他人に指摘されると、ひどく極まりが悪かった。
咲千の顔色の変化をすぐさま読み取って、琴はさらに眉尻を下げる。
「こんなこと言わないほうがいいのかもって思ったけど、あなたは知る権利があると思ったの」
「なにをですか?」
「あなたを傷つけようとして言うんじゃないのよ。ただ、わたくしの腹の虫が治まらないだけで」
やたらともったいをつけてくる。
琴としては咲千への気づかいらしいが。
「ズバッと言ってもらえませんか? むしろ気になっちゃうので」
「じゃあ……言うわよ」
一呼吸おいてから、琴は声を太くして告げてくる。
「あいつの部屋に、最近別の天女が出入りしているの」
「…………はああ!?」
あまりのことに、大声を上げてしまった。
幸い同室の天女たちは全員外にいたが、部屋の外まで響いていたらどうしようと慌てて口をふさいだ。
琴はまなじりを吊り上げる。
「浮気するなんて鬼畜な上に最低最悪よ」
「ホント最低! って、いや、違いますよ! 浮気って、わたしたちはそういう関係じゃないですし」
「じゃあどういう関係だったというの?」
真面目に問いかけされる。
(わたしと帝釈天さまとの関係ってなに?)
咲千こそ聞きたいくらいだった。




