異変
【第28話】
どいつもこいつも油断がならない。
神サマというのは、なぜ自分の部屋へ新米天女を連れ込もうとするのだろうか。
(せっかく気分が昂っていたのに……台無しだよ)
感動を返してほしい。
ちょっとでも帝釈天にほだされた自分を、過去に戻って殴りたい。
「わたしは自分の部屋へ帰ります」
通常モードを取り戻した咲千は、額にぴしりと青筋を走らせて答えた。
あからさまな拒絶に対し、帝釈天は唇をかすかにふるわせつつ、笑みを浮かべた。
「待て。返事がおかしいぞ」
「おかしいのはそちらです」
「今の流れは素直に俺の腕の中へ飛び込んでくるところだ」
咲千も負けじとひきつった笑顔を向ける。
「そんな馬鹿な。恐れ多くて」
「別にいかがわしいことをしようと言うのではないぞ」
「むしろそんなふうに言われたら、逆張りして勘繰りますよ!?」
「失敬なやつだな。神を疑うなど言語道断だ」
「失礼いたしました。以後気をつけます」
なんだろう。
言い合っているうちに、おかしくなってきた。
引きつった笑顔はいつの間にか自然になっている。
帝釈天もまなじりを穏やかにしていた。
「お前といると、なにかが変わる。永遠のつまらぬ繰り返しの日々が、まもなく終わるような、不思議な予感がするのだ」
「よく……わかりませんが、悪い意味ではないのですよね?」
「そうだな。お前をいじる日々は、楽しい」
(楽しいのなら、それでもいいのかな……?)
咲千もなんだかんだいって、帝釈天とのこういうやり取りは嫌いじゃない。
(むしろわたしも楽しい……ような気もしないでもないかもしれないかも)
はっきりと認めてしまうのは癪なので、語尾のほうはぐちゃぐちゃと濁して考えておく。
長かった忉利天の夜は、こうして更けていった。
次の日の朝、咲千は目覚めて異変に気がついた。
(あれ、先輩天女さんたちが、少ない)
七人部屋だったはずなのに、咲千を含めて五人になっている。
昨夜咲千は皆が寝静まってから帰ってきたので、どの時点から彼女らがいないのかわからなかった。
「あの……、配置換えでもあったのでしょうか?」
尋ねてみると、先輩天女たちは悲しげに眉をひそめる。
「わかりませんの。突然いなくなってしまって」
「どこへ行ってしまったのかしら」
「咲千さまも昨夜は姿を消してしまって、心配したのですよ」
「す、すみませんでした。わたしは道に迷ってしまって」
とっさに嘘をついてしのぐ。
どうしてか、持国天のことは告げてはいけない気がした。
(それにしても、わたしがいなくなったのと同時に、ほかの天女たちも?)
まさか持国天が三人まとめて部屋に連れていったというわけでもなし。
単なる偶然なのだろうか。
(ほかに昨日いつもと変わったことといえば……)
帝釈天が留守だった。
兜率天とかいう別の天界へ出かけていたらしい。
(不在中に天女が消えるなんて、なんだか不穏ね)
改めて考えると、背筋がぞくぞくとした。
(帝釈天さまに訊いてみたほうがいいかな)
きっと今日もどこかの時間で退屈しのぎに呼ばれるのではと、期待する。
(って、期待なんかしてないから! ただ、訊きたいことがあるだけで)
誰にかわからない言い訳を心の中でして、咲千は寝台に座り直した。
しばらくして、他の部屋の天女が知らせを持ってくる。
「今朝の散華はございません。各々自由にお過ごしくださいませ」
(そうなの?)
仕事をしたいわけではないが、帝釈天に会える機会がなくなってしまった。
「まあ、ではなにをいたしましょうか」
「お庭で日向ぼっこしましょうよ」
「咲千さまもいかが?」
先輩天女たちが誘ってくれるが、咲千は申し訳ないながら首を横に振ってしまった。
(とはいっても、一人で部屋にじっとしているのもな)
まるで番犬のごとく、帝釈天が声をかけてくれるのを待っているみたいだ。
それはそれで気に食わない。
(そうだ、柚有さまに会いに行こう)
南天を離れてしばらく、会っていない。
こちらが元気にしていることを伝えにいこうと思い立つ。
(ええと、南天……。南、南? どっち?)
善見城は東西南北の中心に建っている。
すなわち、360°見晴らしがよく、どちらが北でどちらが南なのかてんでわからなかった。
(ううん、落ち着いて。太陽の位置を見ればわかるんじゃなかったっけ)
たしか小学校の理科で習ったはずだ。
太陽は東から昇り、南を通って、西へ沈む。
(……でもそれ、地球上の話だよね? 天国はどうなの?)
考え出すと、さっぱりわからなくなってきた。
しかも、今の時間もいまいちわからない。
朝なのかもう昼なのか、それによって太陽の位置も変わってくる。
南と東を間違えれば、持国天のいる東天についてしまうかもしれない。
(それは避けたい!)
顔を合わせるのはなんだか気まずい間柄になってしまった。
ごちゃごちゃ考えながら周囲を右へ左へさまよい、旋回を続ける。
やがて、誰かの視線を感じた。
「そなた」
彫りの深い顔立ちに、青みのかかった灰色の目をした男神がいた。
「増長天さま」
咲千は怪しげな徘徊をやめ、地上に降りる。
今まで知り合った神サマズ四人の中では一番まともそうな人だ。
きちんと頭を下げて挨拶をした。
「こんにちは」
「うむ」
「増長天さまがいらっしゃるということは、こちらは南天ですか?」
「うむ」
「よかったです。わたし、南天に来る途中で道がわからなくなっていまして」
「うむ」
相変わらず無口な神サマである。
特に会話が広がらないので、このまま失礼することにした。
「それでは」
「待て」
ぺこりと頭を下げてきびすを返したところで、なぜか咲千は呼び止められたのだった。




