心の琴線
【第17話】
帝釈天は顎をしゃくって、咲千の手のひらにあるペンダントを示してくる。
「お前にやる。大事に持っておけ」
どうやら彼のものだったらしい。
「いえ、結構です」
即座に返そうとすると、押しとどめられる。
「いいから、しばらく持っておけ」
「え? なんなんですか?」
「象だ。本物を見たことがないのなら今度見せてやる。俺も白いやつを一頭飼っている」
「白い象を飼っているんですか!? それはちょっと見てみたい気も……って、モチーフを訊いたわけではなくてですね、なぜこれをくれようとするのかって訊いたんです」
摘まみあげてみると、ぼんやりとあたたかいことに気づいた。
金属なのに、小動物を抱いているような不思議な感覚がする。
「それを通して俺の力を送っているからだ。穢れを浄化してやっている」
「えっ、これって魔法具的ななにかですか?」
「お前の言っていることはたまによくわからない」
(いやそれ、わたしこそ言いたいですけどね……)
前世社畜と天上の神サマとのあいだには、なかなか深い文化の隔たりがあるようだった。
(でも、このペンダント、ちょっと好きかも)
豪華な屋敷に住む偉い神サマの持ち物にしては、素朴でかわいらしい。
しかも、伝わってくるあたたかさに癒される。
(あったかい中にも、どこかピンと張りつめるような感じがして……すごく綺麗ななにかを感じる)
ふと顔を上げる。
咲千の様子をうかがう帝釈天と目が合った。
(あ……、この瞳)
清浄な光をとどめた神のまなざしと、ペンダントが放つ不思議な力が同じものなのだと気づいた。
彼はとんでもない鬼畜上司ではあるが、この瞳は好ましい。
光が映すものを咲千も一緒にのぞきこみたくなるような……見つめていると、深淵に引きずり込まれそうになる。
それは、彼が高位の神である証なのかもしれなかった。
「やはり天女とは、儚いものだな」
ぽつりと帝釈天がこぼす。
その声には、ほんのりと寂しさが滲んでいた。
なんとなく放っておけない気分にさせられる。
「そんなつもりはなかったんですが」
「俺もお前はもしや違うのではと思った。なぜなら初めて会ったとき、お前は俺にふれてきただろう?」
そうだったっけ? と思い出してみると、たしかに怪我をしているのに驚いて、手当てをしたのだった。
「天女はな、少しの穢れであっけなく命が尽きてしまう。汗をかいたり、汚れたりするだけでもうだめなのだ。なのに、戦から戻り穢れと邪気に満ちた俺の傷口にふれた。なぜお前はそれで生きていられた?」
最初に柚有から聞いた五か条は、天女失格の烙印ではなくて、あれを守らなくては死んでしまうという警告だったのだと改めて知る。
現に咲千は、帝釈天のいじりに対して怒った。
それで死にかけた。
「もしかして意地悪をしてきたのは、わたしが怪我にふれても死ななかったから変に思って探っていたのですか?」
「違う。風変わりなところに心惹かれたのだ」
「……っ!」
照れもなくまっすぐに告げられて、咲千のほうが動揺した。
「俺は戦の神だ。どれだけ散華で浄化しても、骨の髄まで染みついた穢れは抜けない。だからこれまで、聖なる存在の天女にはふれたことがなかった」
だが、咲千は自らふれてしまった。
彼の心の琴線に――。
金環を宿した黒の瞳がじっと見下ろしてくる。
「お前にはふれられる。だから、もっとふれたい」
声にも視線にも、これまでのようなからかう色はない。
居丈高な態度はすっかりなりをひそめていた。
(……なんて顔するの)
咲千は目をみはる。
彼の瞳は、まだ血を流し続けているかのような痛みをたたえていた。
怪我は甘露の雨で癒されたはずなのに、心の傷はふさがっていないのだ。
それに気づいてしまったら、拒む声は出せなくなった。
「ふれていいか」
「じゃあ……手だけなら」
譲歩して右手を差し出す。
帝釈天はうなずくなり、がばっと咲千の頭を大きな手で包んできた。
「はっ!? 手だけって言ったのに!」
慌てて身を引こうとするが、頭を摑まれていては逃げられない。
「手でしかさわっていないだろうが」
「そういう意味じゃないですよっ」
逆に、手じゃなかったら、ほかのどこでさわるつもりだったのか訊きたい。
「お前はさわっても本当に消えないのだな」
骨ばった手が、猫でも撫でるようにぐりぐりと頭頂部をかき混ぜてくる。
強引な仕草ながらも、覗き込んでくる目はどこか不安げだ。
それを見たら、拒む言葉は喉の奥に引っ込んでしまった。
「消えません」
「そうしてくれ」
いつしか咲千を撫でる手は、試すような手つきから、いたわるような優しいものに変わっていた。
やがておくれ毛をたどり、頬にふれてくる。壊れ物でもさわるみたいにそっと、指の背で撫でられると、咲千の胸は変なふうに高鳴った。
(なんだか甘やかされているみたいで、調子がくるう……)
くすぐったさに首をすくめると、彼の手はようやく離れていった。
遠ざかる熱が惜しいような気がして……そんな自分に驚いた。
「俺は……儚い天女にとって天に生を受けることは幸福なのか、難儀なのかわからぬ」
「少なくともわたしは、社畜時代よりはよかったなって思います」
「ならば、俺のそばにいろ」
(……それは、どうだろう?)
雰囲気に流されてうなずきかけたが、さすがに踏みとどまる。
けれども、鬼畜な神サマはやっぱり人の話を聞かないのだった。
「次の戦に出るまでのあいだ、お前は毎日俺のそばにいること。命令だ」
「命令!?」
「そうだとも、社畜なアイドルシャチ」
もう、わけがわからない、そのネーミング。
なのに、どうしてか強く拒否できない自分がいたのだった。




