デートの誘い
【第18話】
善見城は香木を原料として建てられていた。
夜明けの朝露が落ちる頃、しめやかな芳香が城中に漂い始め、天女たちに朝を告げる。
「おはようございます」
「今日も素敵なお天気ですわね」
「散華が済んだら、南のお花畑へ飛んでいきましょうよ」
天女たちはみな、朝から穏やかで健やかで美しい。
窓から見える空は青く晴れ渡り、曇り硝子を澄んだ水色に染めている。
優しい鳥の声がぴちゅぴちゅと聞こえてきて、いっそう心を穏やかにさせてくれる。
そんな最中――。
「シャチ! どこにいる?」
廊下に低く鋭い声がこだました。
この城の主、帝釈天の呼び声だった。
「あらまあ……」
「どうなさったのかしら」
「誰かをお呼びですの?」
同室の天女たちがざわめきたつ。
咲千は、簪を挿しかけていた手を止めて青ざめた。
(呼ばれているの、わたしだし!)
シャチ呼ばわりなことも知られたくないし、帝釈天と親しいと思われたくもない。
精一杯のさりげないふりを装って言った。
「そんなことより、ちょっとわたしは南天へ行ってきますね。前の所属先なので……」
自分でもわかる。
咲千は嘘が下手すぎる。
だが、純真無垢の象徴である天女たちは、明らかに怪しすぎる咲千の言葉を、まったく疑ってこなかった。
「行ってらっしゃいませ」
「お気をつけてね」
(ああ、天女サイコー!)
優しすぎる同僚たちに囲まれて咲千は幸せです!
(上司は変態みが強いけど……)
やれやれと肩をすぼめて部屋の外へ出る。
太陽のごとく輝かしい神の姿は目立つため、すぐに見つかった。
「シャチ!」
「おはようございます……」
「いるなら即座に返事をしろ」
「すみません」
電話はワンコール以内で取れとかいうやつとちょっと似ている。
「お前いったいなにをしていたんだ?」
「先ほど起きたばかりです」
「なんだと。俺はとうに目が覚め、持て余していたというのに」
(おじいちゃんですか!?)
思わず突っ込みたくなったのを、ぐっと我慢する。
「明日からは目覚めたらすぐ殊勝院へ来い。殊勝院とは俺の部屋だ」
「なにかご用が?」
「お前の仕事は俺の傍に控えていることだろうが」
断言されて、ぐうの音も出なくなる。
(うん……知ってる。仏教画とかで見たことあるよ)
仏像の近くには、天女がふよふよ浮いているのが常だ。
帝釈天はあの役を咲千にやれと言っているのだ。
「守れないのなら、殊勝院で寝泊まりさせる」
「は!?」
「それがいいな。抱き枕にできるし」
「こ、困ります……!」
しかし、帝釈天は咲千の受けごたえなどまるで聞いていない。
「今日は象を観にいくぞ」
「えっ、象?」
「そうだ。俺の白象だ。昨日見たがっていただろう」
(いや言ってないはず。でも、たしかに白い象は気になるかも……)
昨日無理やりくれようとしたペンダントを思い出す。
つぶらな瞳がかわいい白象で、とても心が惹かれた。
とはいえ結局は、理由なくもらえないと固辞して返してきたけれど。
(象がいるってことは、動物園みたいな感じなのかな。わあ、小学校の遠足以来かも)
年甲斐もなく浮かれてしまい、頬を上気させた。
すると、大きな手が差し出されてくる。
「ほら」
(手、つないでいくの?)
それではデートのようだ。
胸がにわかにときめき出す。
そんな自分に慌てた。
(いや待って、相手は鬼畜な上司サマよ!?)
たかが象くらいでほだされてどうするのだ。
ここは毅然とお断りするべきだ。
白い象は観たいけれど。
その躊躇が、つけ込まれる隙を与えてしまった。
「ぐずぐずするな」
最初は優しかったはずが、すぐに強引になる。
帝釈天の手は咲千の膝裏へ差し込まれた。
あっという間に抱き上げられる。
(ひえ~、またお姫様抱っこ!)
問答無用とばかり、彼は廊下を進みだした。
磨き上げられた滑らかな木目の床は、小気味の良い音を立てる。
咲千の手首や足首を飾る鈴もしゃんしゃんと鳴って、天井には美しい楽の和音が反響した。
「待ってください、今朝も散華があるのでは?」
「象を見たらすぐ戻ってくるから大丈夫だ」
「近くで飼っているのですか?」
「西天だ」
そこへ、廊下の向こうから新たな神が現れた。
「主、お知らせが」
彫りの深い顔に青みの強い鎧をまとった増長天だった。
咲千の、無口な元上司である。
「どうした、増長。俺は今から西天へ行くところなのだが」
「その西天で、広目と白象が揉めておりまする」
「なんだと。あいつら、また喧嘩しているのか」
(象が喧嘩? 野生動物かなにかと……?)
穏やかな動物園のイメージは一気に崩れ、殺伐としたサファリパークのような雰囲気に塗り替えられる。
行ってみたいような、行きたくないような。
帝釈天は憤然として咲千を振り返る。
「悪いが象はまた今度だ。俺は仲裁に行ってくる」
(象の喧嘩の仲裁……)
よくわからないが、神サマの仕事はいろいろあるようだ。
帝釈天は咲千を下ろし、増長天の横に並ぶ。
「散華のあとで殊勝院へ来い」
「わかりました」
去っていく二柱の背中を眺めながら、咲千はなんとなく残念なような気分に支配されたのだった。




