抱き枕
【第15話】
「ちょっと、すみません、降りますっ」
帝釈天の膝の上で、咲千はもがく。
しかし、凄みのある声がうなじにぶつかった。
「善見城の天女ともあろうお前が、よもや主に逆らいはすまいな?」
「ひっ」
偉い神サマの一言に、咲千の身体は凍りつく。
抵抗する気を失ったのがわかったのか、帝釈天の声はまろやかになった。
「そうだ。ここでくつろぐといい」
「くつろぐのは……さすがに難しい体勢かと……」
「それは悪かった」
なぜか妙に素直に謝られた。
あれ? と思って肩の力を抜いたところで――
「きゃあっ」
ぐるりと身体の向きを変えられて、帝釈天と胸をつき合わせて向かい合う形にされる。
(な、なんで……!?)
まるで恋人同士が座って抱き合っているような体勢だ。
ごく間近から金環の瞳に色めかしく見つめられて、頭が沸騰しそうになる。
「広い胸に抱かれて安心しただろう?」
(いや、むしろ危機感しかないっす……)
この神サマは距離感がバグっているのではなかろうか。
いや、帝釈天だけではない。
持国天も増長天も周りにいる天女たちも、誰一人としてこの状況をおかしいと思っていないのか、てんで無関心だった。
これぞ文字通り『浮世離れ』という雰囲気なのかもしれない。
こうくっついていると、相手の香りが間近にわかる。
帝釈天は、さすが天の神サマというだけあって、藤と蓮を混ぜたような高貴な香りがした。
嫌な香りというよりむしろ……心惹かれるもので、傍で嗅いでいるとうっとりさせられてしまう。
(って、あっぶな!)
馴染んでいる場合ではない。
なんとか腕から抜け出さなければいけないのに。
「お前、抱き心地がいいな。なぜ枕に転生しなかった? 戦にも持っていきたい」
「ふぁっ! だだだ抱き枕って……!」
「そこでしゃべるとくすぐったい。ちょっと黙っていろ」
(無茶です!)
しかし、拘束は深まる。
背に回された手にはさっきよりも力がこもり、匂いやかな胸板へ頬を押しつけられた。
恥ずかしさのあまり言葉を失った咲千は、図らずも帝釈天の意のまま抱き枕になってしまう。
「戦といえば、此度の戦況は」
そこへ、増長天の硬い声が割り込んでくる。
そんなことより咲千のかわいそうな状況に突っ込んでほしいのだが、まるで見えない世界にでもいるみたいに、話は勝手に進む。
「たいしたことはなかった」
「お怪我をされたそうでしたが」
「大事ないと言っているだろう。ただ悪蛇の数が多くてこずっただけだ。阿修羅のやつは高みの見物でもしていたのだろう。このところ姿を見せない」
(アシュラ……?)
なにやら聞いたことがある名前である。
(プロレスラーとかだったっけ? それとも、漫画のキャラクター?)
咲千の疑問をよそに二柱の話は続く。
「次は私めにも同行をお許しください」
「必要ない。お前たち四天王の役目は主不在の忉利天を護ることだ。ただでさえここは天界の最北端。常に阿修羅界を警戒しなければならない」
「わかっております。ですがこの頃、戦の頻度が気になります」
「そうだな。なにやら変化の風でも吹いてきたか」
ちなみに、帝釈天と増長天が語らう隣で、持国天はいまだに「自分がいかに酌の名人か」を語り続けている……。
(よくわからないけど、不穏な話)
転生した初日に柚有から、天女は戦いなどしないと聞いた。
だが、その直後に花畑で出会った帝釈天は太刀傷を負っていた。
さらには、今の話をまとめると、なにやら阿修羅とかいう人だか集団だかと何度か戦っているらしい。
(そういえば、帝釈天ってどういう神サマだったっけ?)
柴又とかのお寺が有名だった気もするが、咲千は行ったこともなければあまり興味もなかった。
しかし、なんとなくのイメージだが、優しげな雰囲気のお釈迦様とかと違って、鎧とかを着ているタイプだった気もする。
(神サマにも文系と体育会系がいるのかもしれない)
そして帝釈天は体育会系のほうだ、きっと。
身体つきもがっしりとしていて、頬を押しつけられた胸板は厚く、立派で、腹筋は絶対六個に割れていると思う。
いや、八個かもしれない。
そういえば、十個に割れる人っているんだろうか。
(って、腹筋の話じゃないでしょ!)
上司の腹筋を想像するなんて、痴女のようだ。
意識したら、かーっと頭に血が上る。
「ん? シャチ、どうした」
くっついているから、咲千の顔が熱を持ったのに気づかれてしまう。
「なんでもありません」
とっさに誤魔化したが、帝釈天は納得しなかった。
「天女の前で戦の話などするものではなかったな。今宵の宴はこれで終わりだ」
言うなり、咲千を抱いたまま立ち上がる。
(えっ、嘘、これ……お姫様抱っこ!?)
あまりにも軽々しく持ち上げられたので、驚くやら実感がないやらでおろおろする。
帝釈天の鶴の一声で、楽や歌声がぴたりと止んだ。
神々は頭を下げてかしこまる。
天女たちもおしゃべりをやめて、静かにその場でお辞儀をした。
「あ、あの、下ろしてください……」
静まり返る広間で声を張るわけにはいかず、小声でお願いする。
しかし、鬼畜上司はまるで意に介さないのだった。
「お前はもう少しつき合え」
「はい!?」
なににつき合わされるのか。
二次会だろうか。
「主」
さすがに見かねたのか、増長天が咎めるような声を出す。
「わかっている。少し泳がせてみたいのだ」
「なぜ」
「永遠の繰り返しに飽き飽きしていたところへ、ようやく訪れた転機かもしれないからな」
そして、なぜか意味ありげなまなざしを咲千へ向けてくる。
「まったく意味がわからないんですが……」
「お前はまだわからなくていい」
「え、いや、困ります。教えてください」
帝釈天は咲千を下ろすことなく歩き始める。
慌てて問いかけるが、人差し指で唇を塞がれた。
「しー。待遇に不満を持ってはならぬ」
「っ!」
危うく天女失格を言い渡される寸前だった。
どうしようもなくなった咲千は、帝釈天に抱かれたままどこかへ運ばれていく。
文句は言えないにしても、さすがに不安がつのってきた。
おずおずと聞く。
「ええと……どこへ行くんですか……?」
「俺の寝所だ」
とんでもない答えに、咲千の思考は完全にフリーズしたのだった。




