広がる可能性と不穏な影
伊織の言葉が終わると、会場にはしばらく静かな時間が流れた。
誰もすぐには言葉を挟まなかった。
それぞれが、伊織の言葉を考えているようだった。
そんな中、虎太がゆっくりと立ち上がる。
「……じゃあ、次は俺たち学園よろずやからの提案を話します」
奈緒も立ち上がり、用意していた資料を手に取った。
「こちらが私たちの案です」
奈緒が会場に資料を配っていく。
資料を受け取った生徒たちが、次々と目を通していく。
「俺たちが考えたのは、旧校舎を取り壊すんじゃなくて、そのまま活用する方法です」
虎太が話し始めた。
スクリーンには、旧校舎の写真と、改修後の利用イメージが映し出される。
「まず、最初から大規模な施設として運用するんじゃなくて、週に一回くらいから試験的に始める」
虎太は資料を示した。
「イメージとしては、学童のような場所です」
会場の何人かが顔を上げる。
「地域には、普通の学童に入れない子供たちもいます。そういう子供たちが、放課後に過ごせる場所として、この旧校舎を利用できないかと考えました」
虎太はそこで一度言葉を切った。
「それと、もう一つ考えていることがあります」
資料をめくる。
「各学年に数名ほど、クラスに馴染めずに学校へ来られなくなっている生徒もいます」
会場が静かになる。
「そういう生徒たちが、昼間の間だけでもここに来て、勉強できる場所にできないかと考えています」
何人かの生徒が顔を上げた。
「教室には入りづらい。でも、勉強することまで諦めたいわけじゃない。そういう生徒が、ここで自分のペースで勉強できる場所があってもいいんじゃないかと思っています」
虎太は続ける。
「もちろん、利用するためのルールや先生との連携、安全面については、学校と相談して決める必要があります」
そして、さらに資料を示した。
「それだけじゃありません」
「地域の人たちの仕事を、実際に生徒や子供たちが知ることのできる場所にもしたいと思っています」
会場から、興味を示すような声が上がる。
「例えば、地域で働いている人に来てもらって、どんな仕事をしているのか話してもらう」
「子供たちが普段知らない仕事を知るきっかけにもなると思います」
虎太はそこで少し間を置いた。
「それに、この学校にいる全員が大学へ進学するわけじゃありません」
その言葉に、何人かの生徒が顔を上げる。
「卒業したら就職したいと考えている生徒もいます」
虎太は続けた。
「そういう生徒たちのために、地域の仕事を知るだけじゃなくて、実際に企業の人に来てもらって、就職説明会みたいなことも、この場所でできたらいいんじゃないかと考えています」
会場から、再びざわめきが起こった。
「学校の中で、地域の企業の人から直接話を聞ける」
「どんな仕事なのか、どんな人材を求めているのかを知る」
「そういう機会があれば、卒業後の進路を考えるきっかけにもなると思います」
虎太は資料をめくる。
「進学する人だけじゃなくて、就職する人にとっても、この場所が将来を考えるきっかけになればいいと思っています」
そして、さらに話を続ける。
「もちろん、問題もあります」
会場が静かになる。
「誰が子供たちを見るのか。安全面をどうするのか。運営をどうするのか」
「そこは、まだこれから学校や地域の人たちと相談して決めていく必要があります」
そして、次の資料を示す。
「そこで、今、地域の退職された方たちにも話を聞いています」
「教員免許を持っている方にも声をかけて、ボランティアに近い形で協力してもらえないか、という相談も計画しています」
何人かの生徒が資料を覗き込む。
「そして、費用についてです」
虎太は続ける。
「新しい施設を一から建てるんじゃなくて、今ある旧校舎を改修することで、建て直すよりも費用を抑えられると考えています」
資料には、改修費用についての見積もりが載っていた。
「実は、もう業者さんにも見てもらって、見積もりを出してもらっています」
「もちろん、それでも安い金額ではありません」
虎太は正直に言った。
「だから、学校とも相談しながら、クラウドファンディングで資金を集めることができないかという話もしています」
会場がざわついた。
その時だった。
「私、いいと思います」
声を上げたのは、女子バスケットボール部の新部長、佐藤美穂だった。
虎太が美穂を見る。
「佐藤さん?」
美穂は手元の資料を持ちながら、ゆっくり立ち上がった。
「私の家みたいなところには、こういう場所があったら助かると思います」
会場の視線が美穂へ集まる。
「私の父って、仕事から帰ってくるのが遅いことが多くて……」
美穂は少しだけ言葉を選ぶ。
「弟の迎えが遅くなった時は、私が迎えに行かなきゃいけないこともあります」
「だから、週に一回でも、弟みたいな子が安心して過ごせる場所があるなら、家族としては助かると思います」
美穂は資料へ目を落とした。
「それに、クラスに馴染めなくて学校に来られない子が、昼間だけでもここで勉強できるっていうのも、いいと思います」
美穂は顔を上げる。
「もちろん、安全面とか、誰がどうやって運営するのかとか、考えなきゃいけないことはいっぱいあると思います」
そして、はっきりと続けた。
「でも……最初から完璧なものを作ろうとするんじゃなくて、まず週一回から試してみるっていうのは、いいと思います」
「…………」
会場から、ぽつぽつと声が上がり始める。
「確かに、それなら試しやすいかも」
「地域の人が関わるなら、学校だけで全部やる必要もないんじゃない?」
「子供の居場所になるっていうのはいいと思う」
「就職を考えてる奴には、企業の人から直接話を聞けるのもいいな」
「進学だけじゃなくて、就職のことも考えてくれてるんだな」
少しずつ、賛同する声が増えていく。
虎太は会場を見渡した。
最初はただ資料を聞いていた生徒たちが、それぞれ自分たちの生活や将来と照らし合わせながら話し始めている。
伊織も、その様子を見ながら嬉しそうに笑っていた。
奈緒も静かに頷く。
「……ちゃんと伝わってるね」
「ああ」
虎太が答える。
そして美穂が、もう一度口を開いた。
「私も、これなら一度やってみてもいいと思います」
その言葉に、周囲からも頷きが広がった。
学園よろずやの提案は――。
少なくとも、会場にいる生徒たちの中に、確実に届き始めていた会場に広がっていた。
その様子を、生徒会側の席から静かに見ていた梨愛は――。
「……」
隣に座る一条の足を、靴の先で――。
コツン。
一条がわずかに視線を動かす。
梨愛は何も言わない。
ただ、一条を見る。
その表情には、どこか意味ありげな笑みが浮かんでいた。
一条は一瞬だけ梨愛を見る。
そして――。
すべてを理解したような表情を見せた。
「……なるほど」
小さく呟く。
梨愛は満足そうに前を向いた。
そして一条が、ゆっくりと手を挙げる。
「一つ、よろしいですか?」
会場の視線が一条へ集まった。
虎太も顔を向ける。
「はい」
一条は立ち上がる。
「学園よろずやの提案そのものは、とてもいい案だと思います」
会場の空気が少し落ち着く。
「旧校舎を有効活用し、地域の子供たちの居場所を作る」
「さらに、学校に来づらくなっている生徒の学習場所としても利用する」
「地域の仕事を知る機会を作り、就職を考える生徒には企業の方から話を聞ける場まで用意する」
一条は資料へ目を落とす。
「非常に幅広い生徒や地域の人たちのことを考えた案だと思います」
虎太は少し意外そうな顔をした。
「……ありがとうございます」
しかし――。
一条はそこで言葉を止めた。
そして、よろずや側へ視線を向ける。
「ですが」
会場の空気が変わった。
「一つ、気になることがあります」
「……?」
虎太が眉を寄せる。
一条は落ち着いた口調のまま続けた。
「そんな場所を必要とする生徒を作ってしまう原因のような人材が……」
そこで一度、間を置く。
「実は、学園よろずやの中にいるのではないでしょうか?」
「…………」
一瞬。
会場の空気が止まった。
「……え?」
「どういうこと?」
「原因って……?」
あちこちから、ざわめきが起こる。
虎太も表情を変えた。
奈緒も一条を見つめる。
伊織は何を言われているのか理解できず、目を瞬かせている。
「どういう意味ですか?」
虎太が問い返す。
一条は答えず、よろずや側を見つめたまま立っていた。
その横では――。
梨愛が、何事もなかったかのように座っている。
口元には、ほんのわずかな笑み。
そして会場には、さらにざわめきが広がっていった。




