討論会開幕!
そして――討論会当日。
学園よろずやの部室には、いつもとは少し違った空気が漂っていた。
机の上には、今日の討論会で使用する資料。
その横には、会場と繋ぐためのタブレットが置かれている。
今日、会場へ向かうのは三人。
部長の一ノ瀬虎太。
副部長の神崎奈緒。
そして――天川伊織。
「よしっ!」
伊織が両手を握りしめる。
「いよいよ本番だね!」
「おう」
虎太が頷いた。
「今まで準備してきたことを、そのまま話せばいい。変に気負う必要はないぞ」
「分かってる!」
伊織は元気よく答えた。
奈緒は手元の資料を確認する。
「資料も大丈夫。じゃあ、そろそろ行こうか」
「うん!」
三人が立ち上がる。
その様子を、部室に残る晃星と月姫が見ていた。
晃星は会場へ行かない。
体調が悪いからではない。
あの一件以降、大勢の人間が集まる公の場に出ることそのものが、晃星にとって精神的な負担になっていた。
だから今日は、会場には姿を出さず、部室から後方支援に回る。
「じゃあ、行ってくる!」
伊織が元気よく手を上げた。
「行ってくるぞ」
虎太も続く。
「行ってきます」
奈緒も笑顔を見せる。
「みんな、頑張って!」
「うん。頑張ってね!」
晃星と月姫が手を上げる。
伊織が晃星のところへ歩み寄った。
「じゃあ、あっきー!」
パァン!
ハイタッチ。
「任せたぞ、伊織ちゃん」
「任せて!」
続いて虎太。
パァン!
「後は頼んだぞ!」
「部長も頑張って!」
そして最後に奈緒。
パァン!
「晃くん、後方支援よろしくね」
「任せてください、奈緒ちゃん」
三人は笑顔で部室を出ていった。
扉が閉まる。
「……行ったね」
月姫が呟く。
「ああ」
晃星はタブレットを確認した。
「こっちはこっちで、しっかり仕事しますか」
「うん」
二人は画面を見つめた。
やがて――。
討論会が始まった。
会場には、先生たち。
旧校舎に関わっていた委員会の委員長たち。
そして、今回の議題に興味を持った各部活動の部長たちが集まっている。
生徒会側には、一条をはじめとした生徒会メンバー。
その中には、藤宮梨愛の姿もあった。
梨愛は、会場へ入ってきた虎太、奈緒、伊織を見ていた。
そして――。
その後ろを見る。
晃星はいない。
梨愛の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
(やっぱり……あっきーは来てない)
そう思いながら、梨愛は自分の席へ戻った。
討論会が始まる。
まずは生徒会側からの提案だった。
一条が資料を手に立ち上がる。
「それでは、生徒会側から旧校舎跡地についての提案を説明します」
会場が静かになる。
「今回、旧校舎を取り壊した後の土地について、生徒会では三つの施設を中心に検討しました」
一条が資料を示す。
「一つ目は、有名大学への進学を目指す生徒を対象とした、進学コースに特化した小規模な校舎」
資料には、新しい校舎のイメージが載っている。
「二つ目は、運動部のためのフィジカルトレーニングルーム」
運動部の生徒たちが資料へ目を向ける。
「そして三つ目が、他県から入学する生徒のための寮です」
会場から、小さなどよめきが起こった。
一条は続ける。
「当然、これらを整備するには大きな費用が必要になります」
その言葉には、何人かの生徒が頷いた。
「しかし、これらは短期的な利益だけを考えたものではありません」
一条は資料をめくる。
「進学面、スポーツ面、そして県外からの生徒を受け入れる環境を整えることで、学校全体の魅力を高める」
「その結果として、学校のブランド力を高め、長期的に見れば、この学校を卒業する生徒たちにも利益があると考えています」
「確かに……」
「進学コースはあったらいいかも」
「フィジカルトレーニングルームは運動部にはありがたいな」
賛成する声も出る。
しかし――。
「でも、完成はいつなんだ?」
別の生徒が呟いた。
「完成する頃には卒業してるんじゃない?」
「新しい施設ができるのはいいけど……」
会場には、様々な反応が広がった。
虎太も腕を組み、黙って聞いている。
伊織も資料を見ながら、一条の話を聞いていた。
やがて一条が説明を終える。
「以上が、生徒会側からの提案です」
一条が席へ戻ろうとした、その時だった。
「一ついいか?」
虎太が手を挙げた。
「どうぞ」
一条が促す。
虎太は一度会場を見渡してから、口を開いた。
「今の生徒はどうなる?」
会場が静かになる。
「特に、今の二年生や三年生だ」
虎太は続ける。
「新しい施設ができるまでには時間がかかる。それなら、今ここにいる生徒の中には、卒業までほとんど使えない奴もいるんじゃないか?」
「……」
何人かの生徒が頷く。
「確かに」
「俺たちもそうだよな」
「せっかく新しくなるのに、自分たちは卒業してからってことか」
虎太の質問に共感する声が広がる。
一条はその反応を見ながら答えた。
「その点については、確かに今いる生徒全員が在学中に十分な恩恵を受けられるとは限りません」
何人かが顔を見合わせる。
「しかし、学校が新しいことを始める時、必ずしも全員が同じ時期に利益を受けられるわけではありません」
一条は落ち着いて続ける。
「たとえ今の生徒が新しい施設を十分に利用できなかったとしても、学校の進学実績や知名度が上がれば、この学校を卒業した後の就職活動などで、その恩恵を受けられる可能性があります」
「……」
「今の生徒だけではなく、これから入学してくる生徒たちのことも考える必要があります」
一条は資料を閉じた。
「これは、学校の将来の価値を高めるための投資です」
会場には、納得したように頷く生徒もいた。
一方で、まだ考え込んでいる生徒もいる。
そして――。
その様子を部室から見ていた晃星が、ふと画面を見つめた。
「…………」
「どうしたの?」
月姫が尋ねる。
「……伊織ちゃん?なんでこんな変な顔してんだ?」
「え?」
月姫も画面を見る。
伊織は、席に座ったまま一条の答弁を聞いていた。
だが――。
「……」
明らかに身体が硬い。
表情も強張っているというレベルじゃない表情になっている。
普段なら、何か思うところがあればすぐ顔に出るはずの伊織が、じっと前を向いたまま動かない。
「……い、伊織って…ああ見えて緊張しいだから」
月姫が苦笑する。
「おいぃぃぃ!!」
晃星が頭を抱えた。
「このままじゃ秘密兵器どころか不発弾で終わるぞこれ!?」
「……どうする?」
月姫が聞く。
晃星は画面を見つめる。
そして――。
「……月姫」
「うん?」
「月姫こっち来て!!」
「……ふふっ」
月姫はすぐに晃星の考えを理解した。
「分かった」
月姫が晃星の隣へ移動する。
「奈緒ちゃん!」
晃星がタブレットへ声をかける。
『ん?』
「伊織ちゃんにこっち見るように伝えて!」
『あきくん達の方?』
「そう!お願い!」
奈緒は少し不思議そうな顔をしながら、タブレットを伊織へ向けた。
そして画面に映ったのは――。
「…………」
月姫の膝を枕にして、幸せそうに寝転がっている晃星だった。
「あっくん、気持ちいい?」
「最高……」
月姫は楽しそうに晃星の頭を撫でている。
「あーん」
「ん」
月姫が晃星へお菓子を食べさせる。
「おいしい?」
「うん」
「よかった」
あまりにも平和な光景だった。
「…………」
伊織が画面を見つめる。
数秒間。
そして――。
「あ?」
伊織の眉がピクリと動いた。
「コイツ何やってんだ?」
その瞬間。
伊織の頭が一気に現実へ戻った。
「おい!!」
会場に声が響く。
「ちゃんと仕事しろ!!」
「……!」
会場がざわつく。
奈緒が思わず伊織を見る。
虎太も驚いたように目を見開いた。
だが、すぐに口元が緩む。
「……遅いって!秘密兵器」
奈緒も小さく笑う。
「うん。いつもの伊織ちゃんだね」
部室では、晃星が膝枕されたまま拳を握った。
「よし!」
月姫も笑う。
「ふふっ。大成功」
そして伊織は、まだ画面の向こうの晃星を睨んでいる。
「ったく……!」
だが、その表情にはもう先ほどまでの強張りはなかった。
いつもの伊織が戻っていた。
そして――。
「……あの」
伊織が手を挙げた。
一条が伊織を見る。
「どうぞ」
伊織は一度だけ深呼吸した。
今度は、しっかりと前を向いている。
「先々のことも、これから入ってくる子たちのことも、確かに大事だと思います」
会場が静かになる。
「でも……」
伊織は一度言葉を止める。
「今、この学校にいる私たちのことも大事じゃないですか?」
何人かの生徒が顔を上げた。
「今の私たちが過ごしている高校生活って、今しかないですよね?」
一条は黙って伊織を見る。
「学校のブランド力が上がるかもしれない。卒業した後の就職活動で有利になるかもしれない」
伊織は一条の資料を見る。
「でも、それって……まだ『かもしれない』ですよね?」
会場の空気が変わった。
「もちろん、これから先の子供たちのことを考えるのは大切だと思います」
伊織は続ける。
「でも、今ここにいる私たちが高校生活を過ごせる時間は、絶対に戻ってきません」
静かな会場に、伊織の声が響く。
「高校一年生は、二年生になったら一年生には戻れない」
「二年生は、三年生になったら二年生には戻れない」
「三年生になったら……卒業です」
伊織はまっすぐ前を向く。
「だから私は、これから先の子供たちのことだけじゃなくて……」
少しだけ間を置く。
「今ここにいる私たちの高校生活も、大事にしてほしいと思います」
会場の何人かが、静かに頷いた。
伊織はさらに続ける。
「友達と笑ったり、部活を頑張ったり、くだらないことで騒いだり……」
少し照れながら笑う。
「そういうのだって、私たちにとっては高校生活なんです」
そして、一条を真っ直ぐ見た。
「だから……」
「将来のために何かを作ることだけじゃなくて、今いる私たちが『この学校で高校生活を送れてよかった』って思えることも、同じくらい大事なんじゃないですか?」
会場は静まり返っていた。
虎太は伊織を見ながら、小さく笑った。
「……やっぱり、ウチの看板娘はちゃんと秘密兵器だな」
奈緒も頷く。
「うん。ようやく起動したね」
部室の晃星も、画面を見ながら笑っていた。
「ししし」
月姫も嬉しそうにスマホに映る伊織を見つめていた。




