ほんとは絶対無理なんです
――ドクン。
奈緒は、自分の胸がいつもより早く鼓動していることに気づいた。
「……?」
隣を見る。
そこには、さっきからずっと自分を助けてくれていた男の子がいた。
どうして。
お姉ちゃんと仲直りできて安心したから?
それとも――。
「奈緒ちゃん?」
「……っ!」
急に声をかけられ、奈緒は慌てて顔を逸らす。
「な、なんでもない」
男の子は不思議そうな顔をしていた。
「そっか?」
「……うん」
真央に教えてもらった応援席へ向かい、二人は並んで座った。
コートでは、選手たちが試合前の準備を始めている。
「おー、結構近くで見れるじゃん」
「うん……」
奈緒は頷きながらも、さっきから少しだけ気になっていた。
隣にいる。
それだけなのに。
胸の鼓動が、なかなか落ち着かない。
今日、初めて会ったばかりなのに。
どうしてだろう。
そんなことを考えていると。
「……じゃあ、そろそろ行くわ」
男の子が立ち上がった。
「え……」
奈緒も思わず顔を上げる。
「友達二人も待たせてるし」
「あ……」
そうだった。
男の子は、自分のためにずっと友達を待たせていた。
「……ごめんね」
「なんで奈緒ちゃんが謝るんだよ」
男の子は笑った。
「友達助けるの当たり前って言ったでしょ?」
「……うん」
奈緒も小さく笑う。
でも。
男の子が帰ってしまうと思うと。
さっきまでとは違う胸の重さを感じた。
――寂しい。
その気持ちに、自分でも驚く。
今日、初めて会ったばかりなのに。
「あの……!」
男の子が振り返る。
「ん?」
奈緒はぎゅっと手を握った。
聞きたい。
でも、怖い。
また言葉に詰まってしまうかもしれない。
変に思われるかもしれない。
それでも。
もう会えないかもしれないと思ったら。
聞かずにはいられなかった。
「あの……」
「うん」
男の子は急かさず、奈緒を待ってくれている。
「……名前」
「ん?」
「名前……聞いてない」
一瞬、男の子が目を丸くした。
「あー、言ってなかったっけ?」
そして。
笑った。
「俺、晃星! 言いづらい名前だから、みんなはあっきーって呼ぶけど、呼びやすいのでいいよ!」
奈緒は少し考える。
「あきくん……でもいい?」
男の子の顔が、ぱっと明るくなる。
「いいよ!」
そして。
満面の笑顔で。
「じゃあ奈緒ちゃんは、あきくんで!」
奈緒も。
つられるように小さく笑った。
「……うん」
――あきくん。
初めて会った男の子の名前を。
奈緒は心の中で、もう一度呼んだ。
⸻
一年前。
あきくんに出会って。
すごいなぁと思った。
私もあきくんみたいになりたいと思った。
だから努力した。
人と話すのが苦手だった私が、自分から誰かに話しかけられるように。
困っている人を見かけたら、見ているだけじゃなく声をかけられるように。
失敗して。
恥ずかしい思いもして。
それでも。
少しずつ。
少しずつ。
私は変わっていった。
全部。
あの日、あきくんに出会ったから。
そして今年の春。
まさか同じ高校で、またあきくんに会えるなんて思っていなかった。
見つけた瞬間。
胸が高鳴って。
嬉しくて。
思わず舞い上がってしまった。
――また会えた。
それだけで。
あの日の私には、十分すぎるくらい嬉しかった。——
「……先輩!
「奈緒先輩!!」
「ひゃぁぁ!!」
突然、大きな声が飛んできて。
奈緒はびくっと肩を跳ねさせた。
一気に我に返る。
「な、なに!?」
「いや、だから一年も前から奈緒先輩に好かれてる人、羨ましいって話ですって!」
晃星がケラケラと笑っている。
「……っ!」
奈緒の顔が、一瞬で真っ赤になった。
さっきから晃星に聞かれていた。
――奈緒先輩、好きな人いるんですか?
その答えを考えているうちに。
気づけば一年前の出会いを思い出してしまっていた。
そして。
目の前では何も知らない晃星が、楽しそうに笑っている。
――あきくんなんだけどな……。
そんな奈緒の様子には気づかず、晃星がふと思い出したように言った。
「そういえば先輩」
「……なに?」
「奈緒先輩は心霊系大丈夫なの?」
奈緒が固まった。
「……」
さっきまで真っ赤だった顔から、すうっと血の気が引いていく。
「……あれ?」
晃星が奈緒の顔を覗き込む。
「もしかして……」
「だ、大丈夫」
奈緒が即答する。
しかし、目は完全に泳いでいた。
テーブルの下では、もう手が震えている。
「べ、別にそういうの全然……」
「絶対嘘だこれ!!」
「ひゃっ!」
晃星のツッコミに奈緒がびくっと肩を跳ねさせる。
「なんで行くって言ったの!?」
「そ、それは……」
奈緒はもじもじと視線を逸らした。
「だって、ひ、一人で一年の晃星くんだけ行かせるのは違うかなと思ったって言うか……」
「でも俺、一人で大丈夫って言ったのに」
「うっ……」
本当は違う。
伊織ちゃんが行かないとなったら。
――あきくんと一緒になれるかな。
そう思っただけだった。
もちろん、そんなこと言えるわけない。
「まあ、本当に怖いなら」
晃星が少し笑う。
「奈緒先輩も待ってていいですよ」
「……っ」
「俺、一人でも大丈夫ですし」
奈緒は震える手をぎゅっと握った。
「……全然怖くないですけど」
「いや、顔真っ青ですけど!?」
「……っ!」
「さっきからめちゃくちゃ震えてるじゃないですか!」
「今日、さ、寒いなぁって……」
「いや、夏、真っ盛りですけど!?」
奈緒は少し俯く。
怖い。
ものすごく怖い。
旧校舎。
夜。
誰もいない音楽室。
勝手に鳴るピアノ。
人影。
考えただけでも帰りたくなる。
それでも。
「……でも」
奈緒が顔を上げる。
「あき……」
一瞬、言葉に詰まる。
「……晃星くんだけだと、色々大変になっちゃうから」
「……」
「調査も一人だと大変だし、何かあった時も困るし」
必死に誤魔化す奈緒。
晃星はしばらく奈緒を見ていた。
「……まあ」
少し納得していないような顔をしながらも。
「奈緒先輩がそこまで言うなら」
渋々頷く。
「一緒に行きますか」
「……うん!」
奈緒は嬉しそうに頷いた。
――もちろん。
本当の理由は。
絶対に言えないけど。




