困ってる人センサーはオート機能対応です
「……大丈夫?」
奈緒がゆっくり顔を上げる。
目の前にいたのは、自分より少し年下に見える男の子だった。
「……だい、じょ……」
そう答えようとしたけれど、うまく声が出ない。
「いや、全然大丈夫そうじゃないって」
男の子は奈緒の顔を見ると、少し慌てたように周囲を見回した。
「ちょっと、こっち来れる?」
奈緒は小さく頷いた。
「……うん」
「ゆっくりでいいから」
男の子は人混みから少し離れた場所まで奈緒を連れていった。
後ろから人がぶつかってくることもない壁際まで来ると、奈緒はその場でゆっくり息を吐いた。
「はっ……」
「無理して喋んなくていいから」
男の子は奈緒の様子を見ながら言う。
「ここでちょっと待ってて」
「……え?」
「水買ってくる」
「い、いいよ……」
「いいから」
奈緒が止める間もなく、男の子は近くの自販機へ走っていった。
少し離れたところにいた友達の一人が声をかける。
「おい、どうしたんだよ?」
「ちょっと待って! 水買ってくる!」
「え? なんで?」
「あの子、なんかヤバそうだから!」
「お前、急にどうした!?」
「いいからちょっと待ってて!」
男の子はそう言い残し、自販機へ走っていった。
奈緒は壁にもたれながら、その背中をぼんやり見つめていた。
知らない人なのに。
さっきまで、自分なんて誰にも気づいてもらえなかった。
勇気を出して声をかけても聞こえなくて。
人の流れに押されて。
邪魔だと言われて。
それなのに。
この男の子だけは、自分を見つけてくれた。
しばらくして、男の子が戻ってくる。
手には冷たい水があった。
「はい」
奈緒の前に差し出す。
「……これ」
「水。飲めそう?」
奈緒はペットボトルを見る。
「でも……お金」
「いいって」
「でも……」
「いいから。今は飲んで」
少しぶっきらぼうな言い方だった。
でも、奈緒にはそれがすごく優しく聞こえた。
「……ありがとう」
震える手でペットボトルを受け取る。
冷たい感触が手のひらに伝わってくる。
キャップを開け、ゆっくり口をつけた。
一口。
もう一口。
「……大丈夫そう?」
奈緒は小さく頷く。
「……うん。さっきより」
「そっか」
男の子は安心したように息を吐いた。
「よかった」
奈緒は何度かゆっくり呼吸する。
少しずつ、本当に少しずつだけど、苦しさが引いていった。
「……ごめんね」
奈緒が言うと、男の子は不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「だって……急に……」
「別にいいって」
「でも、水まで……」
奈緒が申し訳なさそうにペットボトルを見ると、男の子は少しだけ笑った。
「なんか、大変そうだったから」
その言葉に、奈緒は何も返せなくなった。
さっきまで。
誰に声をかけても聞こえなくて。
勇気を出しても人の流れに押されて。
邪魔だと言われて。
自分でもどうしていいのかわからなくなっていた。
そんな自分を見て。
ただ、なんか大変そうだったから。
それだけで。
知らない自分に声をかけてくれた。
「……ありがとう」
奈緒がそう言うと、男の子は「うん」とだけ答えた。
その時、男の子の視線が奈緒の手元に向く。
「それ」
「え?」
「ずっと握ってるやつ」
奈緒は自分の手を見る。
そこには、さっきからずっと離さなかった小さなお守りがあった。
「あ……これ?」
「お守り?」
「うん」
奈緒はお守りをそっと見つめた。
「お姉ちゃんに渡したくて」
「お姉ちゃん?」
「うん。今日、ここで試合なの」
「あー、お姉ちゃん試合出るんだ!」
「うん」
奈緒は小さく頷いた。
「朝、喧嘩しちゃったんだけど……でも、これ……今日渡すつもりだったから」
「……そっか」
「頑張ってって、言いたくて」
男の子は奈緒の手の中のお守りを見る。
そして、体育館の方へ視線を向けた。
「じゃあ、お姉ちゃん探そうぜ」
奈緒は顔を上げた。
「……え?」
「渡したいんでしょ?」
「う、うん。でも……」
男の子は奈緒の後ろ、少し離れたところにいる友達二人の方を見た。
「ちょっと待ってて!」
そう言うと、友達二人のところへ駆けていく。
「おーい、どうした?」
「あの子、お姉ちゃんのとこ行けなくて困ってるから、ちょっと手伝ってくる!」
「何ぃ?」
「だから、ちょい待ってて!」
男の子は二人を見ながら続けた。
「それか、先行ってもいーよ!」
「え、マジで?」
「うん。あとで追いつくし」
その時だった。
友達の一人が、男の子の後ろにいる奈緒に気づく。
「……ん?」
もう一人も奈緒の方を見る。
そして。
「ええ! かわいい!!」
突然大きな声を出されて、奈緒がびくっとする。
「え……?」
男の子も振り返って奈緒を見ると、なぜか誇らしげに胸を張った。
「かわいいでしょ!」
「お前が自慢すんなよ!」
「だってかわいいじゃん!」
「いや、かわいいけど!」
「でしょ?」
男の子は満足そうに頷いた。
奈緒は何が起きているのか分からないまま、三人を見ていた。
「……あの」
少し恥ずかしそうに頬を赤くする。
男の子はそんな奈緒を見たあと、再び体育館の方へ視線を向けた。
「んー……」
入口付近は、まだ人で溢れている。
「あっちから行くのは無理そうだな……」
少し歩いては立ち止まり、体育館の周りを見回す。
「どっから行こうかな」
どうすれば奈緒の姉のところまで行けるか。
男の子は本気で考えていた。
奈緒はそんな姿を、少し離れたところから見つめる。
どうして。
今日、初めて会ったばかりなのに。
水まで買ってきてくれて。
自分のお姉ちゃんを探すために、こんなに一生懸命になってくれるんだろう。
不思議そうに男の子を見ていると。
「気になる?」
隣から声がした。
振り向くと、男の子の友達の一人が奈緒を見ていた。
「……え?」
「何であいつがそんな親切なのか」
奈緒は少し驚いてから、小さく頷く。
「……うん」
友達は、体育館の方を見回している男の子を見る。
「あいつ、困ってる人センサー内蔵されてるから」
「……センサー?」
「そう」
もう一人の友達も笑う。
「困ってるやつ見つけると、勝手に反応するんだよ」
「放っとけないんだよな」
奈緒はもう一度、男の子を見る。
「こっち……いや、あっちからなら行けるかな」
一人でぶつぶつ言いながら、本気で考えている。
「……そうなんだ」
「まあ、あいつにとっては普通なんだろうな」
奈緒は小さく息を吐いた。
「……勝手に反応?」
その言葉に友達二人が笑う。
「オート機能だから」
「でも悪いやつじゃないよ」
「うん……」
奈緒は小さく頷いた。
すると男の子が振り返る。
「なあ!」
「え?」
「やっぱ、こっちから回ってみようぜ!」
奈緒のところへ戻ってくる。
その様子を見て、友達の一人が笑った。
「オート機能にも困ったもんだな」
「……いや」
男の子は一瞬だけ奈緒を見る。
それから、何かを誤魔化すように言った。
「もう友達になったから!」
「は?」
「友達助けるの当たり前だろ?」
友達二人が一瞬黙る。
「……いつ友達になったんだよ」
「さっき」
「名前も知らないのに?」
男の子が少し固まる。
「……」
「名前聞いてねぇじゃん」
「…………」
男の子は奈緒の方を向いた。小さい声で聞く。
「名前は?」
突然聞かれて、奈緒は少しきょとんとする。
「……奈緒です」
「奈緒ちゃんだ!」
男の子はなぜか胸を張った。
友達二人が同時に反応する。
「今、聞いたね!!」
「さっきから知ってたみたいに言うな!」
「でも奈緒ちゃんでしょ?」
「今聞いたからな!」
奈緒は思わず吹き出した。
「ふふっ……」
「ほら、奈緒ちゃんも笑ってる」
「だから急に名前で呼ぶなよ!」
「友達だからいいだろ!」
「その友達設定、無理やりすぎんだろ!」
「無理やりじゃねえわ! 何なら前世から友達だったわ!」
「意味わかんねぇよ!」
「さっきまで名前すら知らなかっただろ!」
男の子は、また奈緒の方を指差して胸を張る。
「奈緒ちゃんだ!」
「もう聞いたわ!!
「お前バカだろ!!」
「何でそんな自慢げなんだよ!」
「友達の名前知ってるの当たり前だろ!」
「だからさっきまで知らなかったって言ってんだよ!」
奈緒は三人のやり取りを見ながら、思わず笑ってしまった。
「ふふっ……」
さっきまで。
あんなに苦しかったのに。
知らない人ばかりで、怖くて仕方なかったのに。
目の前の三人は、初めて会った奈緒をまるでずっと前から知っていたみたいに騒いでいる。
そして、その中心にいる男の子は。
初めて会った奈緒のために。
今も、どこから体育館へ入ればいいのか真剣に考えてくれていた。
――何でこんなに親切なんだろう。
奈緒は、もう一度男の子を見た。
その時はまだ。
この出会いが、一年後の自分にとってどれほど大切なものになっているのか。
奈緒自身、知るはずもなかった。




