分岐点を誤った。それでも花火は打ち上がる
その頃、月姫は何度も人混みの向こうを見ていた。
「……遅いな」
伊織は、迷子の女の子を運営本部まで連れていくだけだと言っていた。すぐ戻るとも、スマホで連絡するとも言っていたのに、なかなか戻ってこない。
月姫はスマホを確認した。
連絡はない。
「……伊織?」
メッセージを送ってみる。
けれど、既読もつかない。
胸騒ぎを覚えた月姫は、晃星たちのところへ向かった。
「あっくん」
「ん? どうした?」
「伊織が全然帰ってこない」
晃星の表情が変わった。
「どういうこと?」
「迷子の子がいて、伊織が運営本部まで連れていったの。すぐ戻るって言ってたんだけど……」
「連絡は?」
「ない。メッセージ送っても既読つかないし」
晃星は一瞬、黙った。
迷子の子を運営本部まで連れていくだけなら、そこまで時間はかからない。しかも伊織は、自分から連絡すると言っていた。
――何かあった。
理由は分からない。
けれど、嫌な予感だけが胸の奥に広がっていく。
「運営本部、どっち?」
「え?」
「どっち?」
月姫がすぐに指を差した。
「あっち」
その方向を確認した瞬間、晃星は走り出していた。
「あっくん!?」
人混みの中へ入り込み、近くにいる人たちへ次々と声をかける。
「すみません! 白い浴衣の女の子見ませんでしたか!?」
「俺と同じくらいの年で、髪は――」
晃星の様子を見て、雅人とたかちゃんもすぐに動き出した。
「俺らも探すぞ」
「ああ」
雅人は月姫を見る。
「月姫ちゃんも一緒に探そう。でも一人になんなよ」
「うん」
四人はすぐに手分けして、人混みの中へ散っていった。
晃星は走りながら、何人にも伊織のことを聞いて回った。
「白い浴衣の女の子、見ませんでしたか!?」
「さっきこの辺りを通ってて……」
けれど、なかなか手がかりは見つからない。
焦りだけが増していく。
その時だった。
「あっきー!」
後ろから声がした。
振り返ると、さっきまで話していた地元の友達がいた。
「白い浴衣の女の子探してんの?」
「そう!」
「さっき、あっちで見たぞ。なんか大勢の男に絡まれてた」
晃星の足が止まった。
「……どこ?」
普段よりも低い声。
友達は少し驚きながら、方向を指差した。
「あ、あっち……」
晃星は再び走り出した。
人混みを掻き分け、その先へ向かう。
そして。
少し先に、白い浴衣が見えた。
その場に倒れ込み、足首を押さえている伊織。
そして、その周りを囲む数人の男たち。
「ほら、一緒に遊ぼうぜ」
「屋台でも行こうよ」
男たちは笑っていた。
伊織が倒れていることなど、まるで気にもしていない。
その姿を見た瞬間、晃星の表情からいつもの笑顔が消えた。
――何で。
強烈な後悔が胸に押し寄せる。
伊織ちゃんと月姫がいたのに。二人を置いて、地元の友達と長々と話してしまった。
もっと早く気づいていれば。
もっと早く、あの場を離れていれば。
伊織ちゃんが一人になることなんてなかったかもしれない。
晃星の足が、一歩前へ出る。
その瞬間、胸の奥から何かが湧き上がってきた。
――ダメだ。
晃星は自分に言い聞かせる。
いつもとは違う。
伊織ちゃんがいる。
我慢しなくちゃいけない。
それでも、目の前が少しずつ真っ白になっていく。
男たちの声も、周囲のざわめきも、遠くで鳴っている祭囃子も。
何も聞こえなくなっていく。
ただ。
倒れている伊織だけが目に映っていた。
「……っ」
伊織も、晃星の異変に気づいた。
晃星の顔を見た瞬間、さっき雅人たちから聞いた話が頭をよぎる。
――あっきーがキレる時は、無になる。
普通に怒るのとは違う。
声を荒げるわけでもない。
表情に出るわけでもない。
ただ、何もなくなる。
「……ヤバい」
伊織の顔が青ざめる。
「さっき聞いたあっきーになっちゃってる……」
伊織は慌てて声をかけた。
「大丈夫!」
足首は痛む。それでも無理に笑顔を作る。
「ほら、大丈夫だよ! 大丈夫!」
晃星へ向かって、必死に笑ってみせた。
「えへへ、私は大丈夫だから!」
けれど、晃星は伊織の顔を見ることができなかった。
顔を見たら。
本当に、自分を抑えられなくなる気がした。
「……伊織ちゃん」
晃星の口から出たのは、それだけだった。
「……本当にごめん」
「え?」
「ごめん」
晃星は伊織を見ない。
「本当に、ごめん」
「……あっきー」
そして晃星は、男たちの前へ歩いていった。
その姿を見て、最初に伊織へ声をかけた男が眉をひそめる。
「……あ?」
晃星の顔をじっと見る。
「コイツ、多分……南中のあのグループのやつじゃないすか?」
「ん?」
先輩らしき男が晃星を見る。
「あー……」
何か思い出したように笑った。
「コイツは大丈夫」
晃星を指差しながら、仲間に話す。
「あいつらの中でヤバいのは、ヒロキってやつと雅人ってやつと、あと――」
「誰がやった?」
男の言葉を遮るように、晃星が聞いた。
怒鳴ってはいない。
声を荒げてもいない。
ただ、何の感情もない声だった。
「……あ?」
先輩らしき男が笑う。
「何が?」
「伊織ちゃんを」
晃星は男を見ていた。
「誰がやった?」
先輩らしき男は悪びれる様子もなく、自分を指差した。
「俺ですが?」
ふざけたような口調。
その刹那。
――グシャッッ!!
晃星の拳が、男の鼻っ柱にめり込んだ。
「がっ……!?」
鈍い音とともに、男の身体が大きくよろめく。
鼻を押さえながら数歩後ろへ下がり、そのまま地面へ倒れ込んだ。
一瞬。
周囲が静まり返った。
男たちは何が起きたのか理解できないまま、倒れた仲間と晃星を交互に見ている。
晃星は何も言わない。
拳を下ろしたまま、倒れている男を見下ろしていた。
その顔には、怒りすらなかった。
ただ、何もない。
そして晃星は、ゆっくりと倒れている男へ近づいていく。
「……あっくん!?」
その時、人混みの向こうから月姫の声が響いた。
続いて。
「うわ、マジか」
「……にしても、あれは鼻いってんな」
「うん、痛そう」
雅人とたかちゃん、そして月姫がその場へ駆け込んできた。
だが月姫は、晃星を見るより先に地面に倒れている伊織を見つけた。
「伊織!?」
すぐに駆け寄る。
「大丈夫!?」
「月姫……」
「足、どうしたの!?」
伊織は痛む足首を押さえながら、小さく答えた。
「ちょっと……挫いたかも」
「ちょっとじゃないでしょ!」
月姫は心配そうに伊織の足元を見る。
「歩ける?」
「……大丈夫」
「絶対大丈夫じゃないよ」
月姫が伊織を支えようとした、その時だった。
「あっくん……」
月姫の表情が変わる。
何もない表情のまま、倒れている男へ近づいていく晃星。
雅人とたかちゃんも、その異変に気づいた。
「……今回、いつもとちょい違うな」
「ああ」
雅人が晃星を見る。
「おい、あっきー」
反応はない。
たかちゃんも続ける。
「あっきー、もういいって」
それでも。
晃星は振り返らなかった。
雅人とたかちゃんの声すら、耳に入っていない。
「……はあ」
雅人が小さく息を吐く。
「ちょっとめんどいな」
そう言いながらも、その表情にはまだ余裕があった。
「まあ、いけるか」
「大丈夫だろ」
二人が晃星へ近づこうとする。
その時。
「……ヤバい」
伊織が青ざめた顔で呟いた。
月姫が伊織を見る。
「え?」
「さっき聞いたあっきーになっちゃうかも」
伊織は必死に晃星へ声をかけた。
「あっきー!」
晃星は反応しない。
「あっきー、大丈夫だよ!」
それでも止まらない。
晃星は倒れている男へ、さらに一歩近づいた。
伊織は必死だった。
どうしたら止められるのか分からない。
何とかしなきゃ。
「あっきー!」
何度呼んでも、晃星は振り返らない。
そして。
伊織は痛めている足にも関わらず、素早く立ち上がった。
「伊織!?」
月姫が驚いて手を伸ばす。
「待って、足!」
それでも伊織は止まらない。
晃星の前へ飛び出した。
「あっきー!」
晃星の目は、伊織を捉えていない。
何も考える余裕なんてなかった。
止めなきゃ。
ただ、それだけだった。
伊織は晃星へ飛びつくように、その身体を抱きしめた。
「あっきー、もういいよ」
ぎゅっ、と強く抱きしめる。
「大丈夫」
晃星の背中を、ゆっくりとさする。
「大丈夫だから」
伊織は何度も言った。
「もういいよ」
「大丈夫」
「あっきー……もう大丈夫だから」
晃星は動かなかった。
けれど。
固く握られていた拳から、少しずつ力が抜けていく。
白くなっていた視界に、少しずつ色が戻る。
伊織の声。
背中に伝わる温もり。
揺れていた晃星の表情が、少しずつ変わっていった。
そして。
「……伊織ちゃん、ほんとごめん」
その時だった。
――ドンッ!!
夜空に、花火大会の一発目の花火が上がった。
大きな音が夏の夜空に響き渡る。
遅れて、色鮮やかな光が暗い空いっぱいに広がった。
まるで、さっきまで張り詰めていた空気を切り裂くように。
誰もが思わず夜空を見上げる。
夏祭りの夜。
ようやく始まった花火大会の一発目が、五人のいる場所を明るく照らしていた。




