出会った当日にこんなに仲良くなります?
放課後。
桐生晃星は校門を出ると、いつも駅へ向かう道とは違う方向へ歩き出した。
「……あれ?」
後ろから声がした。
「桐生くん、そっち行くの?」
振り返ると、天川伊織がいた。
「ああ」
「駅、そっちじゃないよね?」
「今日はちょっと寄るところがある」
「ふーん」
伊織は自然に晃星の隣へ並んだ。
「天川さんもこっち?」
「うん。私も帰りそっちだから」
「そうなんだ」
二人は並んで歩き始めた。
学校では毎日のように顔を合わせている。
けれど、学校を出たところで伊織と二人で歩くのは、晃星にとって少し新鮮だった。
「で、桐生くんはどこ行くの?」
「病院」
「病院?」
「母さんが入院してるから」
伊織の表情が変わった。
「えっ……大丈夫なの?」
「大丈夫。本人はめちゃくちゃ元気だから」
「そっか……」
伊織は少し安心したように笑った。
「ならよかった」
その顔を見て、晃星はふと思い出した。
伊織が毎日、自分の弁当を作ってくれていることを。
「そうだ」
「ん?」
「一緒に来る?」
「え?」
「母さんもお礼言いたいだろうし」
「お礼?」
「弁当作ってもらってるから」
伊織は少し困ったように笑った。
「いや、でも……急に行くの悪いよ」
「別に悪くないと思うけど」
「でも、お見舞いってわけでもないし……」
「お見舞いでもらったお菓子とか、結構あると思うから」
「……」
「食べてきなよ」
一瞬。
「行きます!」
「えっ!?切り替え早い!そしてその反応の速さ
怖い」
「お菓子あるんでしょ!?」
「多分」
「じゃあ行く!」
「さっきまで遠慮してたのに」
「それとこれとは別!」
二人は笑いながら病院へ向かった。
⸻
病院に着くと。
「……なんか急に緊張してきた」
伊織が小さく呟いた。
「なんで?」
「初対面の友達のお母さんだよ?」
「普通でいいと思うけど」
「桐生くんは普通でいいかもしれないけど!」
「そうか」
「そう!」
伊織が深呼吸する。
晃星は病室の扉をノックした。
「母さん、入るよ」
「はーい!」
中から聞こえた明るい声。
伊織が少し驚いたように笑った。
「……本当に元気そう」
「だから言っただろ」
扉を開ける。
「あっきー!」
母親が明るく手を振った。
「来てくれたんだ!」
伊織の目が少し丸くなる。
「あっきー?」
晃星は特に気にした様子もなく、
「おー、お疲れ」
と答えた。
「……うん?」
母親の視線が晃星の後ろへ向く。
「あっきー、その子は?」
「ああ」
晃星が少し横へずれる。
「天川さん」
伊織が慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。天川伊織です!」
母親は伊織をじっと見た。
「……」
「……?」
そして。
「あっきー!」
「なに?」
「お友達も一緒に来てくれたの!?」
「たまたま帰りが一緒だっただけ」
「しかもすっごくかわいい!」
「おい」
伊織は困惑しながらも、思わず笑ってしまった。
「伊織ちゃん、こっち!」
「え?」
母親が両手を広げる。
伊織がおそるおそる近づくと。
ぎゅっ。
「わっ!?」
「かわいい!」
「えっ、あの……!」
「コイツと仲良くしてくれてるのね!」
「は、はい!」
「ありがとう!」
伊織はどうしていいか分からず困惑した。
けれど。
初めて会った自分を、こんなにも歓迎してくれる。
そのことが、なんだか嬉しかった。
⸻
「そうだ!」
母親が棚を指差す。
「あっきー、そこのお菓子取って」
「自分で取れるだろ」
「届かないの」
「届くだろ」
「いいから」
「はいはい」
晃星が棚からお菓子を取る。
その様子を見ながら、伊織が首を傾げた。
「……あの」
「ん?」
「さっきから気になってたんですけど」
「なに?」
「桐生くんのこと……あっきーって呼ぶんですね」
「ああ」
母親が笑った。
「昔からよ。地元の子たちも、みんなそう呼んでるの」
「へえ……」
伊織は晃星を見る。
「あっきーって、かわいい呼び方ですね」
「でしょ?」
母親が嬉しそうに頷く。
「伊織ちゃんも、そう呼べばいいじゃない」
「えっ?」
「私が?」
「うん!」
伊織は晃星を見る。
「……あっきーって呼んだら?」
晃星は特に気にした様子もなく答えた。
「まあ、昔からだし、そっちの方が聞き慣れてるから」
「……」
「好きに呼んでいいよ」
伊織は少しだけ黙った。
それから。
「……あっきー」
小さな声。
自分で口にしてみる。
そして。
「……ふふっ」
伊織の口元から、自然に笑みがこぼれた。
「どうした?」
「ううん」
伊織は首を振る。
「なんか……かわいいなって」
「俺の名前なんだけど」
「知ってる!」
母親はそんな二人を見て、楽しそうに笑っていた。
⸻
「でも、そうなると」
母親が晃星を見る。
「ん?」
「あっきーは、伊織ちゃんのこと何て呼ぶの?」
「天川さん」
「固い!伊織ちゃんがかわいいから照れてるんだ」
「うるせえよ。照れてねえ」
「せっかくだし、みんなで考えよう!」
「なんで?」
「いいじゃない!」
伊織も少し笑った。
「私の呼び方?」
「そう!」
母親が考える。
「じゃあ……『いお』!」
「なんか呪文みたいになったぞ」
晃星が即答する。
「じゃあ『いおちゃん』!」
「それもなんか違う」
「えー……じゃあ『あまちゃん』!」
「それはもうバカにしてるレベルだぞ」
「確かに」
伊織も思わず笑った。
「なんか、どれもしっくりこないね」
「じゃあ」
伊織が少し考えてから言った。
「伊織でいいです」
「伊織?」
「はい。普通に下の名前で」
「それでいいなら——」
「だめ」
母親が即座に止めた。
「なんで?」
「私の伊織ちゃんを呼び捨てなんて、生意気!」
「私の伊織ちゃんて、、それに生意気ってなんだよ」
「ちゃん付けにしなさい」
「は?」
「伊織ちゃん」
「なんで母さんが決めるんだよ」
「いいから!」
晃星は少し呆れながら伊織を見る。
「……伊織ちゃん」
「……!」
伊織の表情がぱっと明るくなる。
「うん!」
母親は満足そうに頷いた。
「よし!」
「よし!じゃねえよ」
伊織は晃星を見る。
「じゃあ、私も」
「ん?」
「もう一回呼んでみよ」
「なにを?」
伊織は少しだけ笑う。
「……あっきー」
「ん?」
「ふふっ」
「だからなんなんだよ」
伊織は嬉しそうに笑っている。
それを見た母親が、にやにやしながら二人を見比べた。
「いやぁ……」
「なに?」
「なんか、付き合いたてみたいでいいねー」
「は?」
「えっ!?」
二人の声が重なった。
「違うだろ!」
「そ、そういうんじゃないし!」
「ほらほら、息ぴったり」
「うるさい」
「もう!」
伊織は少し顔を赤くして、そっぽを向く。
それでも。
「……あっきー」
小さく、もう一度。
「ん?」
「なんでもない」
「なんなんだよ」
伊織は楽しそうに笑った。
母親も満足そうに頷く。
「うんうん。若いっていいねぇ」
「母さん」
「なに?」
「ちょっと黙れ」
「はーい」
まったく反省していない声だった。
⸻
少しして。
「そうだ、あっきー」
「ん?」
母親が財布を取り出した。
「飲み物買ってきてくれない?」
「俺が?」
「伊織ちゃんの分もお願いね」
「……俺の分は?」
母親は完全に無視する。
「早く!」
「はいはい」
晃星は呆れながら立ち上がった。
「伊織ちゃん、何飲む?」
「ジュース!」
「分かった」
晃星が病室を出る。
「すぐ戻る」
「うん!」
扉が閉まった。
病室には伊織と母親の二人だけが残る。
⸻
「そういえば、伊織ちゃん」
「ん?」
「あいつって高校でもちゃんと友達いるの?」
「いるよ?」
「本当に?」
「めっちゃ疑ってる」
伊織が笑う。
母親は地元で晃星が仲良くしている友達のことは知っている。
けれど、高校での友人関係についてはあまり聞いていなかった。
「私とか、月姫、美咲ちゃん。それから奈緒先輩とか」
「月姫ちゃん?」
母親が反応する。
「珍しいかわいい名前ね!」
「でしょ?」
伊織が嬉しそうに笑う。
「月姫は私の親友!」
「あら」
「それに、月姫が一番かわいい!」
「伊織ちゃんがそこまで言うなら、本当にかわいい子なのね」
「ほんとなの!」
母親は聞いた名前を数える。
「伊織ちゃんに、月姫ちゃん、美咲ちゃん、奈緒先輩……」
「うん」
「女の子ばっかりじゃない?」
「そうだね?」
母親は少し驚いた。
「高校ではそんなに女の子と仲良くしてるの?」
「みんな普通に仲良いよ!」
「へえ……」
そして。
「でも!」
「ん?」
母親が伊織を指差した。
「私の推しは伊織ちゃん!」
「えっ?」
「あの子の友達の中でも一番!」
「……えへへ」
伊織は嬉しそうに笑った。
「だって伊織ちゃん、かわいいし!」
「えへへ」
「話してて楽しいし!」
「うん!」
伊織は少しだけ考えて。
「私も」
「ん?」
「初めて会ったのに、こんな普通に話せる人初めてかも」
伊織が笑う。
「なんか、初めて会った感じしないんだよね」
「私もよ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
⸻
「そういえばね」
伊織が思い出したように言った。
「私達が出会った時、あっきーがお弁当分けてくれたんだけど」
母親の表情が一気に変わる。
「……あっきー?」
伊織は少し照れながら笑った。
「うん」
「ふふっ」
母親が嬉しそうに笑う。
「卵焼きと唐揚げが、めちゃくちゃ美味しかった!」
「本当に!?」
「うん! めっちゃ美味しかった!」
「嬉しい〜!」
母親は本当に嬉しそうだった。
「でも……」
少しだけ表情が変わる。
「私が入院してる間、あの子のご飯だけが心配なんだよね」
すると伊織が胸を張った。
「大丈夫!」
「え?」
「今は私が作ってるから!」
「……え?」
「あっきーのお弁当!」
母親が固まった。
「伊織ちゃんが?」
「うん!」
「毎日?」
「うん!」
次の瞬間。
母親の目に涙が浮かんだ。
「ありがとう……!」
「えっ!?」
「私がいない間、あの子に毎日お弁当を……!」
「そんな大袈裟ですって!」
「ありがとう……!」
「だから泣かないで!?」
伊織が完全に困惑する。
けれど母親は涙を拭うと。
次の瞬間には、にこっと笑った。
「で、伊織ちゃん!」
「はい?」
「いつウチに嫁に来るんだっけ?」
「えええっ!?」
⸻
「ただいま」
その時。
晃星が飲み物を持って戻ってきた。
「……何の話してるの?」
伊織と母親が顔を見合わせる。
「なんでもない!」
「なんでもないです!」
二人の声が重なった。
「……怪しいな」
晃星が眉をひそめる。
すると。
「伊織ちゃーん!」
「わっ!?」
母親が伊織をぎゅっと抱きしめた。
「ほんとかわいい!」
「わあっ!?」
それを見た晃星が呆れたように言う。
「孫かよ」
母親の動きがぴたりと止まった。
「……」
「?」
次の瞬間。
「2人の孫だったら今すぐでも見たいな!」
「お前の頭の中どうなってんの!?」
「えええっ!?」
「伊織ちゃんみたいなかわいい子と、あっきーの子なら絶対かわいいじゃない!」
「だからそういうんじゃないから!」
「男の子かなぁ、女の子かなぁ」
「話を聞け!」
病室に笑い声が響いた。
⸻
晃星は、笑いながら暴走している母親を見る。
入院すると聞いたときは、やっぱり心配だった。
けれど。
よく笑って。
よく話して。
余計なことまで言っている。
いつもの母親だった。
「……まあ、元気そうでよかったよ」
「なに急に?」
「別に」
「心配してくれてたの?」
「してねえよ」
「してたんだ」
「してねえ」
「ふふっ。ありがと」
「ほんと会話にならねえな」
そんなやり取りすら、いつも通りだった。
晃星は小さく笑う。
――よかった。
本当に、いつもの母さんだ。
一方。
伊織は、隣にいる晃星の母親を見つめていた。
今日、初めて会った。
それなのに。
たくさん話して。
たくさん笑って。
何度も抱きしめられて。
気づけば。
もう、この人のことが好きになっていた。
⸻
そろそろ帰る時間になった。
「じゃあ、母さん。そろそろ帰る」
「もう?」
「もうだよ」
伊織も立ち上がる。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそ!」
母親は伊織の手を握った。
「伊織ちゃん、今度さ」
「はい?」
「お弁当のお礼に、どこかご飯食べに行こうよ!」
「えっ?」
「私がおごるから!」
伊織は少し困ったように笑った。
「いや、無理して作ってないから」
「でも毎日作ってくれてるじゃない!」
「でも、本当に大丈夫」
母親が少し残念そうな顔をする。
伊織は少し考えてから、笑った。
「……でも」
「ん?」
「お母さんの退院祝いは絶対行きたいです!!」
「……!」
「だから、早く元気になって」
母親の目に涙が浮かぶ。
「伊織ちゃん……!」
「約束!」
「……うん!」
すると母親が、ぱっと笑った。
「じゃあ……お肉にしようか?」
「……!」
伊織の目が、一瞬でキラキラと輝いた。
「お肉……!?」
「うん!」
「……約束!」
「さっきより元気になったじゃん!」
「お肉だから!」
晃星は二人を見ながら、小さく笑った。
「単純だな」
「うるさい」
伊織は嬉しそうに笑う。
⸻
「じゃあ行こう、伊織ちゃん」
「うん!」
晃星が先に荷物を持ち、帰る準備を始める。
その間。
伊織と母親は、ちらっと顔を見合わせた。
「……お母さん」
伊織が小さな声で言う。
「ん?」
「これ」
「あっ」
二人が同時にスマホを取り出す。
晃星は荷物をまとめていて、その様子には気づいていない。
「これでいい?」
「うん!」
「退院したら連絡するね」
「待ってます!」
「約束!」
「約束!」
小さな声で笑い合いながら。
二人はいつの間にか連絡先を交換していた。
「よし!」
「えへへ」
「伊織ちゃん、行くよ」
「あ、うん!」
伊織は慌ててスマホをしまう。
「じゃあね、母さん」
「またね!」
「また来ます!」
「待ってるからね、伊織ちゃん!」
「うん!」
伊織は笑顔で手を振った。
二人が病室を出る。
扉が閉まったあと。
母親はスマホを見た。
そこには、新しく追加された連絡先。
『天川伊織』
「……ふふっ」
初めて会ったとは思えないほど。
もうすっかり仲良くなっていた。
一方。
そんなことがあったとは、もちろん晃星は知らない。
「なんか母さん、伊織ちゃんのこと気に入ったみたいだな」
「そうだね」
伊織は隣を歩きながら、少し笑う。
「私も、お母さん大好き」
「変わってんな」
晃星は笑いながら答える。
「だって好きになっちゃったんだから仕方ないじゃん」
「そっか」
「うん」
伊織は一度だけ、自分のスマホを見た。
そこには、さっき交換したばかりの晃星の母親の連絡先。
そして、そのことを。
隣を歩く晃星は、まだ知らない。
夕方の帰り道。
伊織はいつもとは少し違う呼び方で、隣の晃星を呼んだ。
「ねえ、あっきー」
「ん?」
「なんでもない」
「なんなんだよ」
「ふふっ」
伊織は楽しそうに笑った。
晃星は首を傾げながらも、そのまま歩き続ける。
その日。
伊織の中で「桐生くん」は「あっきー」になり。
晃星の中で「天川さん」は「伊織ちゃん」になった。
そして晃星が知らないところで。
伊織と母親の連絡先も、新しく繋がった。




