感情大スクランブル勉強会
最近、放課後になると朝倉美咲と帰りの電車が一緒になることが多かった。
最初はただの偶然だった。
けれど何度か同じ時間の電車に乗るうちに、駅まで歩く間や電車の中で自然と話すようになった。
「きりゅちゃん、今日も一緒だね」
「そうだな」
「最近、多くない?」
「多いな」
学校のこと。
学園よろずやのこと。
そして、どうでもいいような話。
そんな会話を重ねるうちに、美咲との距離は以前より少し縮まっていた。
「そういえば、次のテストどう?」
「……それ聞く?」
「やっぱりヤバい?」
「正直、ちょっとヤバい」
「私も。数学とか特に」
「俺も苦手だな」
美咲が少し考える。
「あ、そうだ」
「ん?」
「真央先輩に教えてもらおうよ」
「真央先輩?」
「勉強できるし」
「それなら助かるな」
「じゃあ決まり。合同勉強会!」
「分かった」
⸻
数日後。
放課後の学園よろずや部室。
机を並べ、テスト前の合同勉強会が始まっていた。
「朝倉、ここはこう考えると分かりやすいよ」
「……あ、なるほど」
「そうそう」
「ありがとうございます」
真央に教えてもらいながら、美咲が問題集へ視線を戻す。
晃星も自分の問題を解いていた。
「きりゅちゃん、これってどうやるの?」
「ん? どれ?」
「ここ」
晃星が問題を見る。
「……ああ」
「分かる?」
「俺も完全に分かってるわけじゃないけど」
「えー(笑)」
「朝倉に言われたくないな」
「ひどっ」
二人が笑う。
「…………」
その横で、伊織の手が止まった。
美咲と晃星が楽しそうに話している。
なんとなく胸の奥がモヤっとする。
伊織は晃星の方を見た。
「桐生くん」
「ん?」
「その問題、私が教えます」
「あ、ありがとう」
伊織は問題集を指差した。
「ここは、この公式を使います」
「なるほど」
「で、ここをこう変形して」
「……あれ?」
「どうしました?」
「ここからちょっと分からない」
「……もう一回説明します」
伊織はもう一度説明する。
「ここをこうして、それからこっちに代入して――」
「うーん……」
「まだ分からないんですか?」
「ごめん」
伊織の眉がピクッと動いた。
「桐生くん、脳みそ大丈夫ですか?」
「え?」
「私、ちゃんと説明してるんですけど」
「いや、分かってるって」
「なのに、なんで分からないんですか?」
「俺に聞かれても……」
桐生は伊織を見る。
(……あれ?)
(なんか機嫌悪くない?)
普段の伊織なら、こんな妙に丁寧な言い方はしない。
怒りを押し殺すために敬語になっている。
(……俺、何かしたかな?)
そこへ。
「遅くなってごめんね」
部室の扉が開いた。
「あ、神崎先輩」
「何の問題?」
「これです」
晃星が問題集を見せる。
奈緒は少し考えたあと、説明を始めた。
「ここを一回こう置き換えて考えてみて」
「……こうですか?」
「そう。それで、ここを見ると?」
「あ」
晃星の表情が変わった。
「分かった」
「本当?」
「はい。神崎先輩、めちゃくちゃ分かりやすいですね」
「ふふっ」
「…………」
伊織が晃星を見る。
「桐生くん」
「ん?」
「神崎先輩からなら理解できる都合いい脳みそなんですか?」
「なんでそうなるんだよ(笑)」
「だって私が説明しても分からなかったじゃん!」
「それは……」
「なんか悔しい!」
伊織がストレートに言った。
「天川ちゃん、めちゃくちゃ悔しそうだな(笑)」
虎太がニヤニヤしながら口を挟む。
「え?……」
伊織が振り返った。
「……部長いたんですか?」
「いたよ!」
虎太が即答する。
「ずっといた!」
「なんなら最初からここにいた!」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ!」
「虎太、いちいちうるさい」
真央が呆れたように言う。
「真央まで!?」
「だってうるさいもん」
「ひどくない!?」
虎太が大げさに肩を落とした。
「真央ぉ……」
「何?」
「俺、ずっとここにいたのに……」
「はいはい、いたよね」
「天川ちゃんに存在忘れられてた……」
虎太が真央に泣きつく。
その様子を見た伊織が笑った。
「もう、部長と真央先輩、イチャイチャするなら外でお願いしまーす!」
「お前な!」
虎太が顔を上げる。
「俺たちは別にイチャイチャしてねえだろ!」
「えー?」
「おまえだっていつも晃星とイチャイチャしてんだろ!」
その瞬間。
奈緒と美咲が固まった。
真央も動揺を隠しきれない。
一方の伊織は虎太を見て首を傾げた。
「……普通にしてるだけですが」
「はいはい」
「何その反応!」
伊織はそれ以上気にすることなく、問題集へ視線を戻した。
⸻
しばらく勉強を続けた。
しかし。
「……飽きた」
伊織が突然、問題集を閉じた。
「早くない?」
美咲が笑う。
「だってずっと勉強してるんだよ? もう無理!」
「休憩にする?」
真央が苦笑する。
「する!」
その時。
晃星のスマホが震えた。
「ん?」
何気なく画面を確認する。
その通知を見た虎太が、ふと眉を上げた。
「……美空月姫?」
真央も反応した。
「美空月姫さん?」
「知ってるんですか?」
晃星が二人を見る。
「そりゃ知ってるだろ」
虎太が言う。
「上級生の間でも話題になるくらい有名な一年だぞ」
「一年生で一番の美人って言われてる子だよね」
真央も通知の名前を見る。
「……伊織ちゃんの親友だよね?」
「そうらしいですね」
「いや、待て」
虎太が晃星を見る。
「お前、美空月姫と同じクラスじゃねえよな?」
「違いますよ」
「じゃあ、なんでLINE来てんだ?」
「ああ。この前一緒に遊んでたアプリのことで」
「一緒に遊んでた?」
「最近、たまに」
「……いつの間にそんな仲良くなったんだよ」
「普通にゲームしてたら」
「普通って何だよ」
虎太が呆れたように言う。
真央は黙って晃星を見ていた。
伊織と美空月姫が昔から仲がいい。
だから、晃星が月姫と知り合うこと自体は分かる。
けれど。
(同じクラスでもないのに)
(いつの間にLINEするくらい仲良くなったの……?)
しかも最近、一緒にゲームをしていた。
真央の胸が少しざわつく。
奈緒が晃星を見る時の表情。
晃星の優しいところがいいと、以前奈緒が言っていたこと。
それらが真央の中で引っかかっていた。
(なんで奈緒は……)
真央は晃星を見る。
美咲。
伊織。
そして美空月姫。
(なんで奈緒はこんなに女性関係が豊富な男の子が好きなんだろう……)
優しいのは分かる。
奈緒が惹かれる理由も、分からなくはない。
けれど。
(奈緒、大丈夫かな……)
「……真央先輩?」
「え?」
晃星に呼ばれ、真央は顔を上げた。
「どうかしました?」
「ううん」
真央はすぐに笑う。
「何でもないよ」
⸻
晃星が財布を取り出した。
「俺、飲み物買ってくるけど、みんないるものある?」
「私はお茶」
美咲が答える。
「分かった」
「私は大丈夫」
奈緒が首を振る。
「私もいらないよ」
真央も答える。
「伊織は?」
「私は炭酸ジュース!」
「炭酸?」
「うん! オレンジのやつ!」
「了解」
「あと、ちゃんと冷たいのね!」
「あったかいオレンジの炭酸ねえだろ」
「念のため!」
「何の念だよ(笑)」
「大事じゃん!」
「はいはい」
晃星は苦笑した。
「じゃあ、買ってくる」
「いってらっしゃーい!」
晃星が部室を出ていく。
伊織はさっそくスマホを取り出した。
「……勉強会は?」
虎太が聞く。
「休憩中!」
「もうゲームしてるじゃねえか」
「集中力切れたから無理!」
伊織はケロッと言った。
そんな伊織を横目に、美咲がふと思いついたように言う。
「……そうだ」
「ん?」
「こういう話しない?」
「何の話?」
「彼氏にするなら、どんな人がいいか」
「急に恋バナ?」
「うん。勉強ばっかりしてたら疲れたし」
「いいじゃん!」
伊織がすぐに顔を上げた。
「面白そう!」
「じゃあ、ちょっとだけなら」
奈緒も笑う。
「勉強の休憩だからね」
真央が苦笑する。
虎太は少し離れたところから、面白そうに見ていた。
⸻
「じゃあ、まず神崎先輩」
美咲が奈緒を見る。
「私?」
「うん。彼氏にするなら、どんな人がいいですか?」
奈緒は少し考えた。
「そうだなぁ……優しい人かな」
真央の視線が奈緒へ向く。
「一緒にいて安心できる人がいいかも」
「なるほど」
美咲が頷いた。
(……優しい人)
真央は以前、奈緒が晃星について話していたことを思い出す。
晃星の優しいところがいい。
(……やっぱり)
真央の中の疑惑が、また少し深くなった。
「じゃあ真央先輩は?」
「私?」
真央は少し考える。
「私は……ちゃんと話を聞いてくれる人かな」
「あと?」
「周りの人にも優しい人」
「真央先輩らしい」
伊織が笑う。
「家族とか友達とか、大切にしてくれる人がいいかな」
その時。
「部長」
伊織が虎太を見る。
「ん?」
「ちゃんと話聞く?」
「聞いてるよ!」
「本当に?」
「本当に!」
「じゃあ真央先輩、何て言った?」
「……」
虎太が固まった。
「……ちゃんと話を聞いてくれる人?」
「そこだけじゃん!」
「聞いてたって!」
女子たちが笑う。
⸻
「じゃあ、次は美咲ね」
「私?」
「うん」
美咲は少し考える。
「私は、一緒にいて楽しい人かな」
「美咲らしい!」
「だって大事じゃん」
「確かに」
「あと、ちゃんと自分のことを持ってる人」
「自分のこと?」
「うん。自分のやりたいこととか、考えとか」
「ちゃんと持ってる人がいいかな」
「へぇー」
伊織が少し感心する。
「意外とちゃんと考えてるんだね」
「何それ(笑)」
「普段そんな感じしないし」
「失礼!」
二人が笑う。
⸻
「じゃあ最後、伊織」
「私?」
伊織は少し考える。
「うーん……」
そして、すぐに答えた。
「一緒にいて楽しい人!」
「美咲と一緒じゃん」
「だって楽しいの大事でしょ!」
「まあね」
「あと、ちゃんと構ってくれる人!」
「構ってくれないと嫌なの?」
「嫌!」
伊織は即答した。
「私、放っておかれるの嫌だから」
「分かりやすい(笑)」
「あと、面白い人!」
「結構あるじゃん」
「そう?」
「一緒にいて楽しくて、ちゃんと構ってくれて、面白い人!」
その時。
「……あれ?」
虎太がニヤッとした。
「何ですか?」
「今出た話ってさ」
虎太が奈緒、美咲、伊織の三人を見る。
「もしかして……晃星のことだったりして?」
「…………」
一瞬。
三人とも黙った。
伊織は自分の言った条件を思い返す。
一緒にいて楽しい。
ちゃんと構ってくれる。
面白い。
自然と晃星の顔が浮かぶ。
「……まあ」
「お?」
「桐生くんは、そういうところあるけど」
「ほら!」
「でも、そういう意味じゃないからね!」
「まだ何も言ってねえよ(笑)」
「部長!」
伊織が照れ隠しのように虎太を睨む。
美咲も自分の答えを思い返していた。
(一緒にいて楽しい人……)
最近、一緒に帰ることが多い。
学校のことを話して。
くだらないことで笑って。
(……きりゅちゃん、確かに一緒にいて楽しいけど)
美咲の頬も少し赤くなる。
「……まあ、きりゅちゃんは楽しいけど」
「朝倉もか?」
「だから、そういう意味じゃないですって!」
そして奈緒も。
優しい人。
一緒にいて安心できる人。
自分の答えを思い返した瞬間、晃星の顔が浮かんでしまう。
「……」
「奈緒?」
「え?」
「どうした?」
「……ううん。何でもない」
奈緒も少し照れて笑った。
その三人を見ていた真央は、言葉を失っていた。
(……え?)
(まさか、本当に三人とも?)
特に奈緒。
(やっぱり……晃星くんのこと?)
⸻
「ただいま」
部室の扉が開いた。
晃星が戻ってくる。
「買ってきたぞ」
「おかえり!」
伊織がすぐに立ち上がった。
「私の炭酸!」
「はいはい。ちゃんと冷たいオレンジ」
「やった!」
「だから、あったかいオレンジの炭酸なんてねえって」
「分かってるよ!」
伊織が笑う。
しかし。
さっきまでの会話を思い出した奈緒、美咲、伊織は、なんとなく晃星を意識してしまう。
「…………」
「…………」
「…………」
晃星は三人を見る。
「……?」
「なんかあった?」
「「「何でもない!」」」
三人の声が、見事に重なった。
「……?」
晃星は首を傾げた。
奈緒。
美咲。
伊織。
そして真央。
改めて、今の部室にいるメンバーを見渡す。
(……いや)
晃星はふと、冷静に考えた。
(冷静に考えたら、ここにいる女子、みんな普通以上にかわいいよな)
奈緒は、落ち着いた雰囲気の美人。
美咲は明るくて、人目を引くタイプ。
伊織は天真爛漫で、一緒にいると自然とこっちまで笑ってしまうタイプ。
真央も、柔らかい雰囲気を持った綺麗な先輩だ。
そして、さっきLINEを送ってきた美空月姫も。
一年生の中でも話題になるほどの美少女。
(……そりゃ周りから見たら、女性関係が豊富に見えるか)
晃星は妙に納得した。
別に自分からどうこうしているわけじゃない。
普通に話して。
一緒に部活をして。
たまたまゲームをしているだけだ。
(……いや)
もう一度、部室の女子たちを見る。
(冷静に考えたら、普通に多いな)
けれど。
なぜ奈緒、美咲、伊織が揃って黙っているのかは、まったく分からない。
「本当に、なんかあった?」
「「「何でもない!」」」
「……そう?」
晃星は首を傾げながら、飲み物を机に置いた。
その様子を見て。
虎太だけがニヤニヤしている。
「……部長」
「ん?」
「いや、何でもねえ(笑)」
「……?」
それから真央が、パンッと手を叩いた。
「はい。休憩終わり」
「えー!」
真っ先に伊織が抗議する。
「もうちょっと休憩!」
「ダメ」
「炭酸飲んだばっかりなのに!」
「それと勉強は関係ないでしょ」
「あるよ!」
「ない」
「真央先輩ひどい!」
「伊織ちゃんがテストで困っても知らないよ?」
「……やる」
「よろしい」
伊織は不満そうに問題集を開いた。
「じゃあ、あと少し頑張ろっか」
美咲もノートを広げる。
「そうだな」
晃星もペンを持った。
奈緒は少しだけ晃星を見てから、自分の席へ戻る。
「分からないところがあったら、ちゃんと聞いてね」
「はい、神崎先輩」
「……」
伊織がちらっと二人を見る。
「何?」
晃星が気づく。
「……別に」
「何でもないです」
「また敬語だ」
「ちゃんと勉強してください」
「はいはい」
「はいは一回です」
「……はい」
「よろしい!」
伊織が満足そうに頷く。
その様子に、部室には再び笑いが広がった。
⸻
それからもうひと頑張り。
問題集を開いて。
分からないところを教え合って。
時々、くだらないことで笑って。
気づけば窓の外は、すっかり夕方になっていた。
「……終わったぁ」
美咲が大きく伸びをする。
「やっと終わった!」
「朝倉、最後の方ちょっと集中切れてたけどな」
「きりゅちゃんも途中から怪しかったじゃん」
「俺は最後までやった」
「伊織ちゃんは?」
「私は……」
伊織が問題集を見る。
「……頑張った!」
「答えになってない(笑)」
虎太が笑う。
「部長はどうだったんですか?」
美咲が聞く。
「俺?」
「ちゃんと勉強しました?」
「……部長として、みんなを見守ってた」
「やってないじゃん!」
全員からツッコミが飛んだ。
「え、ひどくない!?」
虎太の声に、部室は再び笑いに包まれる。
真央はそんなみんなを見渡した。
奈緒。
美咲。
伊織。
晃星。
そして虎太。
少し前まで心配していたことは、まだ胸の奥に残っている。
奈緒のことも。
晃星の周りにいる女の子たちのことも。
けれど。
今、この部室で笑っているみんなを見ると。
(……まあ、今はこれでいいのかな)
真央は小さく笑った。
「じゃあ、今日はこの辺で解散にしようか」
「はーい!」
「お疲れさまでしたー!」
それぞれが荷物をまとめ始める。
「きりゅちゃん、帰りの電車一緒だよね?」
「ああ」
「じゃあ一緒に行こ」
「分かった」
「桐生くん、明日もちゃんと勉強してくださいね」
「伊織もな」
「私は大丈夫!」
「さっき飽きたって言ってただろ」
「それはそれ!」
「何だそれ(笑)」
奈緒がそのやり取りを見て、少しだけ笑う。
真央はそんな奈緒の横顔を見た。
(……本当に)
心配は尽きない。
でも、答えを急ぐ必要もない。
何より奈緒が楽しそうだから。
「じゃあ、みんなお疲れ」
「お疲れさまでした!」
いつものように騒がしく。
いつものように笑いながら。
それぞれが部室を後にしていく。
こうして。
少し勉強して。
たくさん騒いで。
そしてほんの少しだけ、それぞれの距離が変わった。
合同勉強会は、そんな小さな変化を残したまま幕を閉じた。




