自分が早起きだと誰かの目覚ましになれるらしい
翌朝。
目覚ましが鳴る少し前に目が覚めた。
「……ん?」
枕元の時計を見る。
いつも起きる時間より、少し早い。
「……まだ寝れるな」
一瞬そう思ったものの、なぜか目が冴えている。
結局、そのまま起きることにした。
朝食を食べて、制服に着替える。
いつもより時間に余裕がある。
余裕がありすぎて、逆に何をしていいのか分からない。
「……早く出るか」
こうして俺は、普段より一本早い電車に乗ることになった。
駅のホームは、いつもより人が少ない。
「一本違うだけで結構変わるんだな」
電車に乗り込み、空いている席に座る。
スマホを眺めながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
しばらくすると、電車が次の駅に停車した。
ドアが開く。
何人かの乗客が乗り込んでくる。
その中に見覚えのある顔があった。
「あ……」
向こうも俺に気づいた。
「桐生くん?」
「朝倉さん?」
朝倉さんだった。
「おはよう」
「おはよう。珍しいね、こんな時間に」
「それはこっちの台詞だよ」
「私は朝練あるから」
「ああ、バレー部か」
「うん」
朝倉さんは車内を見回した。
そして俺の隣に空いている席を見る。
「ここ、いい?」
「うん」
「じゃあ、お邪魔します」
朝倉さんが隣に座った。
学校では普通に話す。
でも、こうして朝の電車で二人きりになると、なんとなく新鮮だった。
「桐生くんは?」
「俺は今日はたまたま早く目が覚めたから。普段はもう一本遅い」
「へぇ」
「だから、ちょっと早く出すぎたかなって思ってる」
「ふふっ」
「何?」
「なんか桐生くんらしいなって」
「どういう意味?」
「なんとなく」
「一番分からない答えだな」
「ふふっ」
朝倉さんがまた笑った。
朝からよく笑うな、この人。
しばらく電車に揺られていると、俺はふと気になっていたことを思い出した。
「……そういえば、朝倉さん」
「ん?」
「あいつと同じクラスだけど……大丈夫?」
朝倉さんの表情が少しだけ変わった。
「ああ……」
誰のことを言っているのか、すぐに分かったらしい。
「この前の人?」
「うん」
「心配してくれてるの?」
「そりゃ、まあ」
あんなことがあった後だ。
同じクラスなら、どうしても顔を合わせることになる。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん」
朝倉さんは小さく笑った。
「桐生くんたちのおかげで、全然生活しづらくないから」
「俺たち?」
「学園よろずやのみんな」
「……そっか」
「伊織ちゃんも、何かあったらすぐ気づいてくれるし」
「うん」
「神崎先輩も、さりげなく気にしてくれてるし」
「神崎先輩らしいな」
「それに、桐生くんたちが普通に接してくれるから」
朝倉さんは少しだけ窓の外を見る。
「変に気を遣われすぎると、逆に気になっちゃうから」
「ああ……」
「でも、みんな普段通りだから。だから学校では普通に過ごせてるよ」
「……そっか」
「うん」
「ならよかった」
「ありがとうね」
「何が?」
「心配してくれたこと」
「いや、それくらい普通だろ」
「そういうところだよ」
「え?」
「なんでもない」
「またそれか」
朝倉さんが笑った。
さっきまで少しだけ重かった空気が、すっかり軽くなった。
「そういえばさ」
朝倉さんがこちらを見る。
「桐生くんって、南中だったんだよね?」
「ああ、そうだよ」
これは以前の話ですでに伝えている。
「私、地元近いから南中の子って結構知ってるんだよ」
「へぇ」
「同じ学年だった子から、桐生くんのこと聞いたこともあるし」
「俺の?」
「うん」
「何を?」
少し嫌な予感がする。
「友達とよく一緒にいたって」
「まあ、それは普通じゃない?」
「ふふっ。そうなんだけど」
朝倉さんが笑う。
「今もその友達とは仲いいの?」
「うん。高校は別だけど、今でもよく遊ぶよ」
「そんなに?」
「そんなにって?」
「高校が別になったら、あまり会わなくなる人もいるでしょ?」
「俺たちはあんまり変わらないかな」
「へぇ……」
「誰かしら連絡してくるんだよ」
「どんな感じ?」
「だいたい――」
俺は少し考えてから、友達とのやり取りを再現する。
「『今日暇?』」
「うん」
「『俺も暇! 行くわ』」
「……それだけ?」
「だいたいそんな感じ」
「ふふっ」
「何?」
「話が早すぎる」
「付き合い長いからな」
「なるほど」
「誰かが暇なら、他の奴も『俺も行く』ってなって、気づいたら何人か集まってる」
「なんか楽しそう」
「まあ、くだらないことしてるけどな」
「例えば?」
「ゲームしたり、飯食いに行ったり、意味もなくぶらぶらしたり」
「いいなぁ」
「朝倉さんは、そういう友達いないの?」
「いるよ」
「じゃあ同じじゃん」
「でも、私たちはちゃんと予定立てることもあるから」
「……」
「何?」
「俺たちより真面目だなと思って」
「ふふっ」
朝倉さんが笑う。
「桐生くんたちは、予定を立てるという概念がなさそう」
「失礼だな」
「だって……」
「まあ、否定はできないけど」
「ふふっ」
俺も笑ってしまった。
「でも、付き合い長いから気楽なんだよ」
「そっか」
朝倉さんが少し嬉しそうに頷く。
「桐生くんって、友達大事にしてるんだね」
「まあ、長い付き合いだからな」
南中時代からの友達。
高校に入ってからできた、よろずやの仲間。
環境は変わったけれど、俺の周りには今も友達がいる。
「中学の頃って、どんな感じだったの?」
「俺?」
「うん」
「普通だよ」
「また普通」
「本当に普通なんだって」
「ふふっ」
「なんで笑うんだよ」
「桐生くんって、自分のこと普通だと思ってるんだなって」
「普通だろ」
「じゃあ、桐生くんの友達に聞いてみたい」
「やめとけ。ろくなこと言わないから」
「そうなの?」
「絶対余計なこと言う」
「ふふっ」
朝倉さんが楽しそうに笑う。
そんな話をしているうちに、俺も自然と中学時代のことを話していた。
放課後に友達と遊んだこと。
くだらないことで盛り上がったこと。
高校が別々になっても、今でも変わらず集まっていること。
朝倉さんは時々質問を挟みながら、楽しそうに聞いていた。
「なんか意外」
「何が?」
「桐生くんにも、そういう中学時代があったんだなって」
「そりゃあるよ」
「あはは、ごめん」
「ひどいな」
「でも、ちょっと聞けてよかった」
「そう?」
「うん」
朝倉さんが笑う。
「そういえば、朝倉さんは中学からバレー?」
「うん」
「高校でもずっと続けてるんだ」
「うん。好きだから」
「朝練もあるし、大変そうだけど」
「大変だよ」
「即答だな」
「でも好きだから続けられる」
「なるほど」
俺は頷いた。
「桐生くんは中学で何かやってたの?」
「俺は――」
そこから少し中学時代の話をした。
朝倉さんも自分の中学時代の話をしてくれた。
気づけば、最初よりずっと会話が弾んでいた。
「……眠い」
朝倉さんが突然、小さく呟いた。
「朝練あるんだから早起きだもんな」
「うん。電車で寝ることもある」
「じゃあ寝れば?」
「起こしてくれる?」
「……」
「桐生くん?」
「……目覚ましじゃねえよ」
「ふふっ」
朝倉さんが声を押し殺して笑う。
「なんで笑ってるんだよ」
「なんか桐生くんらしいなって」
「今日それ何回目?」
「分かんない」
「自分でも分かってないのかよ」
「ふふっ」
朝倉さんは笑いながら、少しだけ目を細めた。
「でも、桐生くんなら起こしてくれそう」
「……まあ、寝過ごしそうならな」
「やっぱり優しい」
「だから目覚ましじゃないって」
また朝倉さんが笑う。
その笑顔を見ていると、俺まで少し楽しくなってきた。
「……そうだ」
朝倉さんが何かを思い出したように言った。
「桐生くん、もうすぐ期末テストだよね?」
「……」
俺は黙った。
「どうしたの?」
「今、その話を聞きたくなかった」
「なんで?」
「朝から現実を突きつけないでくれ」
「ふふっ」
「朝倉さん、今日なんか俺に厳しくない?」
「だって、もうすぐだよ?」
「まだ時間あるし」
「あと何日?」
「……」
「数えてないんだ」
「……はい」
「ふふっ」
「笑うなよ」
「ごめん」
「朝倉さんは?」
「私もちゃんと勉強しないと」
「バレー部もあるし大変だな」
「うん。でも赤点は取りたくないし」
「それは俺も」
「桐生くん、大丈夫?」
「まあ……」
「その『まあ』は大丈夫じゃなさそう」
「……」
痛いところを突かれた。
「俺、勉強そのものが嫌いってわけじゃないんだけどな」
「じゃあ得意なの?」
「いや」
「どっち?」
「昔、中3の時にすごく勉強できる奴に教えてもらって、そこから結構分かるようになったんだよ」
「へぇ」
「だから、問題の意味とかは分かるんだけど……」
「だけど?」
「それまで勉強してなかったから、そもそもの知識が足りない」
「……」
「だから成績は普通に悪い」
「なるほど」
「納得するな」
「ごめん」
「今絶対納得しただろ」
「ちょっとだけ」
「朝倉さんまで……」
「でも、ちゃんと勉強したら上がるんじゃない?」
「たぶん」
「また『たぶん』」
「じゃあ、頑張る」
「うん」
朝倉さんが笑った。
「私も頑張る」
「お互い頑張ろう」
「うん」
その時、車内アナウンスが流れた。
学校最寄りの駅が近づいている。
「もう着くね」
「あ、本当だ」
電車がゆっくりと減速していく。
俺たちは荷物を持ち直した。
やがて電車が駅に到着する。
二人でホームへ降りる。
「じゃあ、桐生くん。また学校で」
「うん。朝練頑張って」
「ありがとう」
朝倉さんが少し歩いてから、振り返った。
「桐生くんも、期末テスト頑張ってね」
「……朝倉さんもな」
「ふふっ」
朝倉さんは笑って、今度こそ歩いていった。
俺も学校へ向かう。
今日はたまたま、いつもより早く家を出ただけだった。
それだけなのに。
普段なら話さないようなことを、朝倉さんとは随分話した気がする。
同じ地元。
南中。
中学時代の友達。
バレー部。
そして、もうすぐ始まる期末テスト。
今まで知らなかった共通点が、思っていたよりも多いのかもしれない。
「……まあ、こういう朝も悪くないか」
そう呟きながら、俺は学校へ向かった。




