眩しさも少しずつ目が慣れる
昼休み。
いつものように弁当を持って、校舎裏のいつもの場所へ向かう。
けれど、今日はいつもと違う。
天川さんがいない。
昨日から風邪を引いているらしく、今日は学校を休んでいる。
いつもなら、俺が先に来ていても少し遅れて天川さんがやって来る。
そして何気ない話をしながら、一緒に昼飯を食べる。
それが当たり前になっていた。
だからだろうか。
一人で食べる弁当は、いつもより少し味気なく感じた。
「……静かだな」
そんなことを呟きながら、弁当箱の蓋を開ける。
箸を手に取った、その時だった。
「……桐生くん」
聞き慣れたような、まだ少し距離を感じる声が聞こえた。
何か眩しさを感じながら顔を上げる。
「美空さん?」
そこに立っていたのは、美空月姫だった。
今日も、というべきなのか。
相変わらず目を奪われるほど可愛い。
アイドルと言われても、たぶん誰も疑わない。
こうして改めて二人きりで向き合うと、その可愛さが余計に際立って見える。
……眩しい。
太陽のことじゃない。
目の前にいる美空さんそのものが、眩しく感じる。
(天川さんとはまた違う意味で、目が慣れないな……)
「ここ、一緒に食べてもいい?」
「あ、うん。どうぞ」
美空さんは俺の向かいに腰を下ろした。
「でも、どうしたの?」
「伊織から連絡があったの」
「天川さんから?」
「うん」
美空さんはスマホをしまいながら、少し笑った。
「私が休んでるから、桐生くんが寂しく一人でお昼を食べてるかもしれないって」
「……」
「だから、様子を見てきてって」
「……保護者か!?」
思わずツッコんでしまった。
「ふふっ」
美空さんが楽しそうに笑う。
「伊織らしいよね」
「ほんとに……自分が風邪で休んでるのに」
そう言いながらも、なんとなく頬が緩んでしまう。
天川さんらしい。
自分が休んでいることより、俺が一人で昼飯を食べていることを気にするなんて。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
二人で弁当を食べ始める。
最初は少しだけ気まずかった。
普段なら天川さんがいる場所に、今日は美空さんがいる。
でも、そんな空気は長く続かなかった。
「桐生くんって、いつも伊織とここで食べてるの?」
「うん。だいたいそうかな」
「ここ、静かでいいね」
「そうでしょ。入学してすぐ見つけたんだよ」
「桐生くんが?」
「昼休みに人が少なくて、ゆっくりできる場所ないかなって探してたら見つけて」
「そうなんだ」
美空さんが周囲を見渡す。
「伊織、こういう場所好きそう」
「そうかも。俺より先にいることもあるし」
「ふふっ。やっぱり」
「天川さん、こういうところ好きなんだ?」
「うん。昔から、人が多すぎるところより落ち着いた場所の方が好きだよ」
「へぇ……ちょっと意外」
「そう?」
「どこにいても目立つから」
「ああ……確かに」
美空さんが笑う。
「でも、本人はそんなに目立ちたがりじゃないんだよ」
「そうなんだ」
「うん」
美空さんは少しだけ俺を見る。
「桐生くんは?」
「俺?」
「こういう静かな場所、好き?」
「まあ、好きかな。落ち着くし」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「なんとなく、桐生くんもこういう場所が好きそうだから」
「俺ってそんなに分かりやすい?」
「まだ分からないことの方が多いよ」
「……だよね?」
「うん」
美空さんが柔らかく笑った。
「だから、ちょっと聞いてみたいなって」
「何を?」
「桐生くんのこと」
「俺の?」
「うん」
そう言って、美空さんは少し首を傾げる。
「普段、家では何してるの?」
「家?」
「うん。休みの日とか」
「家でゲームやったり、漫画読んだりしてる。友達から誘われたら遊びに行ったりもするけど……まあ、普通だよ」
「普通なんだ」
「うん。特に変わったことはしてないかな」
美空さんは少し考えるように俺を見る。
「ゲームって、どんなのやるの?」
「いろいろ。最近は――」
俺が答えると、美空さんは興味深そうに聞いてくる。
「へぇ。じゃあ、漫画は?」
「漫画も読むよ」
「好きな漫画とかある?」
「あるけど……美空さんも読むの?」
「うん。結構読むよ」
「そうなんだ」
そこから、今度は好きな漫画の話になった。
普段どんな漫画を読むのか。
最近ハマっているものは何なのか。
ゲームは一人でやるのか、それとも友達と遊ぶのか。
美空さんは一つ聞くと、そこからまた一つ質問してくる。
天川さんから聞いている俺の話だけじゃなく、目の前にいる俺自身のことを知ろうとしているみたいだった。
「美空さんは休みの日、何してるの?」
気づけば、今度は俺から質問していた。
「私?」
「うん」
「友達と出かけたり、家でゆっくりしたりかな」
「へぇ」
「桐生くんと似てるね」
「そうだね」
そんな他愛もない話をしているうちに、最初に感じていた緊張はいつの間にかなくなっていた。
「そういえば……」
美空さんがふと思い出したように口を開く。
「桐生くんと伊織って、どうやって仲良くなったの?」
「俺と天川さん?」
「うん。伊織から聞いたことなくて」
「ああ……」
俺は少し考える。
「初めてここで会った時の事なんだけど」
「うん」
「ある日、天川さんが弁当箱を開けたら――」
思い出しただけで、少し笑ってしまう。
「中身が白米だけだったんだよ」
「……え?」
美空さんが固まった。
「白米だけ?」
「うん。おかずを入れ忘れたらしくて」
「伊織が?」
「俺も最初、二度見したよ。こいつはやべえって」
「ふふっ……」
美空さんの口元が緩む。
「それで、俺が『おかず分けようか?』って聞いたんだ」
「うん」
「そしたら天川さん、なんて言ったと思う?」
「……なんて?」
「『ぜんぶいいの?』って」
「……ふふっ!」
美空さんが堪えきれずに笑い出す。
「伊織……!」
「俺も『いや、全部なわけないけど』って思ったよ」
「あははっ!」
美空さんはしばらく笑っていた。
「もう……伊織らしいなぁ」
「でしょ?」
「うん。すごく伊織らしい」
笑いながらも、美空さんの表情はどこか嬉しそうだった。
「それがきっかけで?」
「そう。それから話すようになって、いつの間にか一緒にいるようになった」
「そっか……」
美空さんは少しだけ目を細めた。
「じゃあ、それが桐生くんと伊織の始まりなんだね」
「たぶんね」
「なんか……いいね」
「白米だけの弁当が?」
「そこじゃないよ」
美空さんがまた笑った。
「ふふっ」
「……さすがにね」
俺も笑う。
そんな話をしているうちに、昼休みの空気がさらに柔らかくなっていった。
「そういえば、伊織から桐生くんの話は結構聞いてるよ」
「俺の話?」
「うん」
「……何を?」
「いろいろ」
「いろいろって、なんか震えるんですけど」
「ふふっ」
また笑われた。
「でも、伊織って桐生くんの話をするとき、楽しそうなんだよ」
「そうなの?」
「うん。学校でこんなことがあったとか、桐生くんがこんなこと言ってたとか」
「……天川さん、そんな話してるんだ」
(俺のこと、そんなに話題にしてるのか……)
「してるよ」
美空さんは少し箸を止めた。
「伊織って、天真爛漫で明るいでしょ?」
「うん」
「でも、芯はすごく強いんだよ」
「それは分かる」
「自分がおかしいと思ったことには、絶対に引かないの」
その言葉に、俺は思わず頷いた。
「……それも分かる」
(あの人はそういうところ、ほんとにブレない)
「だからね」
美空さんは少し遠くを見るようにして続けた。
「高校に入って、伊織が桐生くんみたいな友達を作るとは思ってなかった」
「俺みたいな?」
「うん」
「それ、どういう意味?」
「悪い意味じゃないよ」
「ならいいけど」
「伊織って、誰とでも仲良くできるように見えるけど……実際は、誰とでも深く付き合うわけじゃないから」
「そうなんだ」
「だから、桐生くんと一緒にいるのを見ると、ちょっと意外だった」
「……」
「でも、今はすごく納得してる」
「なんで?」
「二人、結構似てるところあるから」
「俺と天川さんが?」
「うん」
美空さんが笑う。
「自分では気づいてないかもしれないけど」
「……そうかな」
(俺と天川さんが似てる、か……)
そんな話をしているうちに、最初に感じていた緊張はいつの間にかなくなっていた。
美空さんは伊織の昔からの友達だ。
だからだろう。
天川さんの話をしていると、不思議と話が続いた。
「そういえば……」
ふと、気になっていたことを思い出す。
「美空さん、ちょっと聞いていい?」
「うん?」
「天川さんって……昔から腕っぷし強いの?」
「……腕っぷし?」
「いや、俺、もう二回くらいぶっ飛ばされてるから」
「……ふふっ」
美空さんの口元が緩む。
「二回も?」
「笑い事じゃないんだけど」
「ごめん。でも……うん」
少し考えてから、美空さんは頷いた。
「昔から、強かったよ」
「やっぱりか……」
(やっぱり天川さんは天川さんだな……)
「でも、喧嘩が好きっていうわけじゃないよ」
「それは分かる」
「伊織は、自分がおかしいと思ったことに対して引かないだけ」
「なるほど」
俺は弁当を食べながら頷いた。
その時、ふと別の記憶が蘇る。
「あ……」
「どうしたの?」
「そういえば、俺、天川さんが本気で怒ってるところ、一回だけ見たことある」
美空さんの表情が変わった。
「本気で?」
「うん」
「……どんな時?」
興味があるらしい。
俺は少し考えてから、あの時のことを話し始めた。
朝倉さんの一件。
あの男が美咲ちゃんを軽く扱ったこと。
そして、それを聞いた天川さんが、普段とはまるで違う顔をしていたこと。
俺が話している間、美空さんは黙って聞いていた。
「……伊織らしいね」
話し終えると、美空さんが小さく呟いた。
「やっぱり、昔からそういうところは変わらないね」
「そうなんだ?」
「うん」
美空さんは少し笑った。
「自分が大切だと思った人のことになると、絶対に引かないから」
「……なるほど」
(やっぱり、あの人はそういう人だ)
「伊織、本気で怒ると怖いでしょ?」
「怖い」
即答すると、美空さんが吹き出した。
「ふふっ」
「いや、本当にクソ野郎ブッ飛ばすマンになってた」
あれはマジで洒落にならなかった。
「ごめん。でも、なんだか桐生くんらしい」
「俺らしいって何?」
「ううん。なんでもない」
美空さんは笑ったまま、また弁当に箸を伸ばした。
しばらくして、俺はふと気になったことを口にする。
「そういえば……朝倉さんの一件で、あの男を振ったのって美空さんだったんだよね?」
「うん。私だよ」
美空さんはあっさり答えた。
「やっぱりそうなんだ」
「あの人、私の見た目だけで私のことを好きになってるんだなって、すぐ分かったから」
「……それで?」
「それだけだよ」
美空さんは肩をすくめる。
「だから、付き合う気にはならなかった」
その言葉に迷いはなかった。
俺は少しだけ驚いた。
やっぱり、美空さんも芯の強い人なんだと思う。
普段は柔らかくて、誰に対しても穏やかに接している。
でも、ちゃんと相手のことを見て、自分でしっかりと判断ができる。
やっぱり二人はどこか似ている。
「……二人って、やっぱり昔から仲良かったのがわかる気がするよ」
「うん」
美空さんは嬉しそうに笑った。
「ずっと一緒だったから」
その笑顔を見て、俺も自然と笑っていた。
天川さん、早く風邪治るといいな。
やがて、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「もう終わりか」
「早かったね」
「うん」
立ち上がり、弁当箱を片付ける。
今日はいつもと違う昼休みだった。
天川さんがいない。
その代わりに、美空さんと二人で昼飯を食べた。
最初は少し眩しく感じた美空さんとも、気づけば普通に話せるようになっていた。
「じゃあ、戻ろうか」
「うん」
二人で教室へ戻る。
その途中、美空さんがふと足を止めた。
「そうだ、桐生くん」
「ん?」
「連絡先、交換しない?」
「連絡先?」
「うん」
突然の提案に、少し驚く。
「伊織から何か頼まれた時に、直接連絡できた方がいいかなって」
「まあ、それなら確かに」
「それに……」
美空さんが少しだけ笑った。
「さっき話してた漫画、もう少し話したいから」
「……ああ」
そう言われると、断る理由なんてなかった。
「了解。交換しよう」
「うん」
スマホを取り出し、連絡先を交換する。
「ありがとう」
「こちらこそ」
画面に表示された「美空月姫」の名前を確認する。
昼休みのほんの少しの時間。
それだけの出来事のはずなのに、今日はいつもと違う一日になった気がした。
「じゃあ、教室戻ろうか」
「うん」
二人並んで歩き出す。
今度は天川さんも含めて、三人で昼を食べるのも悪くない。
少し眩しさに目が慣れてきた。
そう思いたい昼休みだった。




