短期間の成長の結果です。
それから数日。
球技大会が終わってからというもの、朝倉さんは以前よりもよく部室に顔を出すようになった。
最初は依頼人として来ていたはずなのに、今ではすっかり馴染んでいる。
「桐生くん、それ取って」
「自分で取ってよ」
「届かない」
「普通に届くだろ」
「いいから」
「はいはい」
俺は机の上に置いてあった菓子を朝倉さんに渡す。
「ありがとう」
「最近、遠慮なくなったな」
「だって、もう友達でしょ?」
「……まあ、そうか」
朝倉さんが嬉しそうに笑う。
「美咲ちゃん、今日部活は?」
天川さんが聞く。
「今日は休み」
「じゃあ、ゆっくりできるね」
「うん」
神崎先輩も本から顔を上げた。
「最近、部室が賑やかになったね」
「朝倉さんが来るようになったからな」
「いいじゃん。私は好きだけど」
「私も、ここ落ち着くんですよね」
「それならよかった」
そんな他愛のない会話をしていた時だった。
「朝倉」
部室の入口から声がした。
朝倉さんの笑顔が消える。
「……」
俺も顔を上げる。
そこに立っていたのは、球技大会の日に朝倉さんが告白した男だった。
「ちょっと来て」
「え?」
「話がある」
男は廊下を指差した。
朝倉さんが戸惑う。
「……ここじゃダメ?」
「二人で話したいから」
「ここでいいでしょ」
天川さんが口を挟んだ。
男が振り向く。
「……え?」
「わざわざ連れ出す必要ないじゃん」
「いや、朝倉と二人で話したいんだけど」
「何の話?」
「それは……」
「だったら、ここで話せばいいでしょ」
天川さんは男を真っ直ぐ見た。
「美咲ちゃん、ここでいいよ」
「……うん」
朝倉さんが小さく頷く。
男は少し不満そうな顔をした。
「……まあ、いいけど」
そう言って、部室へ入ってくる。
「この前のことなんだけどさ」
「……うん」
「俺、ちょっと考えたんだよね」
朝倉さんは黙っている。
「お前、俺のこと好きなんだろ?」
「……うん」
「だったらさ」
男は、まるで大したことでもないように言った。
「付き合ってやってもいいけど」
「……は?」
天川さんの声が低くなる。
男が天川さんを見る。
「何?」
「……なんでもない」
天川さんは座ったまま、男を見ている。
男はそんな天川さんを見て、口元を緩めた。
「まあ、俺は朝倉のことも別に嫌いじゃないし」
「……」
「俺のこと好きって言ってくれてるんだから、付き合ってやってもいいかなって」
天川さんが立ち上がった。
「ふざけないで!」
椅子が床を擦る。
「……え?」
「何が『付き合ってやってもいい』よ!」
天川さんの声が部室に響いた。
「美咲ちゃんがどんな気持ちであなたに告白したと思ってるの!?」
「いや、だから――」
「ずっと好きだったんだよ!」
天川さんが一歩前に出る。
「球技大会だって、あんなに頑張ってた!」
「……」
「それで振られて、どれだけ泣いたと思ってるの!?」
「……大げさじゃない?」
「……っ!」
天川さんの拳が強く握られる。
「大げさ……?」
声が震えていた。
「あなたが振ったあと、美咲ちゃんがどれだけ泣いたかも知らないくせに……」
「俺だって、別に――」
「別に何よ!」
天川さんが遮る。
「自分が好きな人に振られたから、今度は美咲ちゃんでいいって?」
「……」
「美咲ちゃんは、誰でもいいから付き合いたいなんて言ってない!」
朝倉さんが顔を上げる。
「あなたが好きだったから、勇気を出して告白したんでしょ!」
男が少し苛立ったように息を吐く。
「だから、付き合ってやろうって言ってるだけだろ」
「だから、その言い方がムカつくの!」
天川さんが怒鳴った。
「『付き合ってやる』って何よ!」
「……」
「美咲ちゃんを何だと思ってるの!?」
男は面倒そうに肩をすくめる。
「俺は俺のことが好きだって言う奴に、付き合ってやろうかって言っただけだよ」
そして、天川さんを見る。
「でもさ」
「何よ」
「俺、気の強い女嫌いじゃないんだよな。顔もかわいいし、連絡先交換しない?」
「……は?」
「俺のこと好きにさせるよ」
「……っ!」
天川さんの拳が、ぎゅっと握られる。
「このっ……」
その声を聞いて、俺は立ち上がった。
「天川さん」
「……」
「もういいよ」
「でも……!」
天川さんが俺を見る。
俺は静かに首を振った。
「俺も話したいことあるんだよね、天川さんはちょっと休憩」
天川さんは悔しそうに男を睨みながら、ゆっくりと下がった。
俺は男の前に立つ。
「俺、お前と地元が隣だからさ」
「……」
「共通の知人ってやつもいると思うんだけど、お前のことも聞いたことがある」
「だから何だよ」
「別に」
俺は男を見る。
「ただ、お前の話、悪い話しか聞かなかったよ」
「……」
男が俺の顔をじっと見る。
「……あれ?」
「……?」
「お前、南中のあのグループにいたやつか?」
「どのグループだよ。知らねえよ」
男は少し黙った。
俺は続ける。
「だから、今の話を聞いても納得した」
「何だよ、それ」
「自分のことを好きだって言ってくれた子に、まるで自分が選んでやるみたいな態度を取って」
「……」
「そのくせ、別の女の子にも自分なら好かれてると思ってる」
俺は呆れたように息を吐く。
「笑えるな」
「お前に何が分かるんだよ」
「何も分からないし、分かりたくもないなぁ」
俺は即答した。
「だから、朝倉さんがそれでもお前が好きだって言うなら、俺は何も言わない」
朝倉さんを見る。
「好きになるのも、付き合うのも、朝倉さんが決めることだからな」
そして男を見る。
「まぁ、これは朝倉さんに次第になっちゃって悪いけど」
静かになった。
全員の視線が朝倉さんに集まる。
「……私は」
朝倉さんがゆっくり顔を上げる。
男を見る。
「あなたとは付き合わない」
「……は?」
「この前、あなたのことが好きだったのは本当」
朝倉さんの声は少し震えていた。
それでも、男から目を逸らさない。
「でも、今のあなたを見て……もう好きでもない」
「……」
「私が好きだったのは、部活の時に声をかけてくれたあなた」
朝倉さんは一度だけ息を吸う。
「今の......本当のあなたじゃない」
「朝倉……」
「ごめんなさい」
朝倉さんは、はっきりと言った。
「私、あなたとは付き合えません」
男は何も言えなかった。
しばらくして、男は気まずそうに視線を逸らす。
「……もういい」
男が背を向ける。
「待てよ」
俺が呼び止めた。
「……何だよ」
「フラれたところ悪いけど」
俺は天川さんと朝倉さんを見る。
「俺の友達二人に、ちゃんと謝れ」
「……は?」
「朝倉さんには、好きでもないのに『付き合ってやってもいい』なんて言ったこと」
そして、天川さんを見る。
「天川さんには、友達思いの優しさを挑発し続けた挙句、簡単に好きにさせるとかしょうもない事言ったこと
「……」
「ちゃんと謝れ」
男は俺を睨んだ。
何か言い返そうと口を開きかける。
けれど――。
ふと、さっきの会話が頭をよぎった。
南中。
あのグループ。
昔、地元で聞いた話がよぎる。
――南中の奴らは、仲間を傷つけられることだけは許さない。
「……」
男は目の前の桐生を見る。
さっきまでとは、少しだけ目つきが変わっていた。
「……悪かった」
「誰に?」
「……二人とも」
「ちゃんと」
「……ごめん」
天川さんは何も言わない。
朝倉さんも、ただ男を見ていた。
「……分かった」
俺はそれだけ言った。
「じゃあ、もう帰れ」
男は何も言い返さず、部室を出ていった。
扉が閉まる。
しばらく、誰も喋らなかった。
「美咲ちゃん」
神崎先輩が静かに声をかける。
「……はい」
「ちゃんと、自分で決められたね」
「……はい」
「それなら、もう大丈夫」
神崎先輩が優しく笑う。
「今回の依頼は、これで終わりだね」
朝倉さんが小さく頷く。
「……はい」
「でも」
神崎先輩が続ける。
「もう依頼人じゃないから、これからも普通に遊びに来ればいいよ」
「……いいんですか?」
「もちろん」
天川さんがすぐに口を挟む。
「当たり前でしょ、美咲ちゃん」
「……」
朝倉さんの目が少し潤む。
「……ありがとう」
「ほら、また泣く」
天川さんが笑う。
「今度は嬉しい時に泣けばいいよ」
「……ふふ」
朝倉さんが涙を拭う。
そして、笑った。
「うん」
神崎先輩も笑う。
「じゃあ、これからもよろしくね」
「はい」
俺も頷いた。
「よろしく」
少しの間、部室に穏やかな空気が流れた。
「……ねえ、桐生くん」
「ん?」
天川さんが、さっき男が出ていった扉を見る。
「あいつ、桐生くんにビビってなかった?」
「そう?」
「うん。途中から明らかに態度変わってたよ」
「気のせいじゃない?」
「そうかなぁ……」
天川さんが首を傾げる。
「南中って、何かあったの?」
「いや、何も。普通の中学校だったよ」
「……本当に?」
「本当だって」
俺は苦笑する。
「むしろ俺の方が、天川さんが人殺しになりそうで怖くて必死だったよ」
「……え?」
「だって、さっきの天川さん、マジで怖かったから」
「クソ野郎絶対ブッ飛ばすマンみたいだったから」
「何それ!」
天川さんが頬を膨らませる。
「私、殴ったりしないから!」
「いや、俺殴られて生死を彷徨いましたけど」
「……」
「しかも二回も」
「あれは……!」
「ほら」
「あれは桐生くんが悪いでしょ!」
「いやいや、だからって生死を彷徨うほど殴る?」
「……もう!」
神崎先輩が小さく笑った。
「ふふっ。二人とも仲いいね」
「どこがですか……」
俺はため息をつく。
「ふふっ」
その横で、朝倉さんも笑っていた。
「……なんか、いいですね。ここ」
「でしょ?」
天川さんが笑う。
「だから美咲ちゃんも、いつでも来ていいからね」
「うん」
朝倉さんは嬉しそうに頷いた。
最初は、一つの依頼から始まった。
でも今は――。
朝倉さんはもう、俺たちの依頼人じゃない。
俺たちの友達だ。
そんな気がした。




