球技大会、開幕
球技大会当日。
朝から校内は、いつもとは違う空気に包まれていた。
廊下には各クラスの案内が貼られ、校庭にはサッカー用のコートが作られている。
体育館からは、朝早くから女子たちの声が聞こえていた。
「……朝から騒がしいな」
俺は腕に巻いた実行委員の腕章を確認する。
隣では天川さんが、今日の予定表を眺めていた。
「当たり前でしょ。球技大会なんだから」
「いや、もっとこう……普通に授業の延長みたいな感じだと思ってた」
「実行委員がそれ言う?」
「昨日まで普通の生徒だったんだよ」
「今日も普通の生徒だよ」
「でも腕章ついてるぞ」
「それだけ」
「それだけか」
天川さんが予定表を閉じる。
「まず開会式。そのあと男子サッカーの第一試合。女子バレーは体育館で第一試合から」
「じゃあ、朝倉さんの試合もすぐか」
「そうだね」
「見に行く?」
「仕事が終わったらね」
「了解」
俺たちは体育館へ向かった。
入口付近では、すでに女子バレーの選手たちが集まっている。
「あ、桐生くん!」
朝倉さんがこちらに気づいた。
「おはよう」
「おはようございます!」
いつもより気合いが入っている。
「緊張してる?」
「ちょっとだけ」
そう言いながらも、顔は楽しそうだった。
「昨日の夜、全然眠れなくて」
「そんなに?」
「はい。ずっと今日のこと考えてました」
「まあ、球技大会だしな」
「それもありますけど……」
朝倉さんが少しだけ視線を逸らす。
「今日は、ちゃんと頑張りたいので」
その言葉の意味は分かっている。
好きな人に、自分が頑張っているところを見てもらう。
そのための一日だ。
「大丈夫だろ」
「え?」
「朝倉さん、昨日もあれだけ動けてたし」
「……はい!」
朝倉さんが笑う。
「頑張ります!」
「うん、頑張って! 応援してる」
「ありがとうございます!」
そこへ――。
「朝倉」
男子の声がした。
朝倉さんが振り返る。
「あ……」
昨日、体育館に来ていた男子だった。
「もう集合だぞ」
「あ、うん!」
男子は朝倉さんのところまで歩いてくる。
「今日、最初から出るんだろ?」
「うん」
「じゃあ、頼むわ」
「任せて」
朝倉さんが笑う。
「絶対勝つから」
「おう」
男子も笑って、その場を離れていった。
朝倉さんは、その背中を少しだけ目で追っている。
俺も何となく、その男子を見る。
顔立ちは整っている。
身長も高い。
運動もできそうだ。
女子に人気があるという話も、なんとなく分かる。
――ただ。
俺は少しだけ目を細める。
……聞いたことがある。
隣の中学に、女の子関係で有名なやつがいた。
確か、あいつだった気がする。
「桐生くん」
「ん?」
天川さんが横から顔を覗き込む。
「何?」
「いや、すごい顔してたから」
「どんな顔だよ」
「観察してる顔」
「……別に」
「朝倉さんの好きな人、気になる?」
「そういうわけじゃない」
「ふーん」
天川さんはそれ以上追及しなかった。
その時、体育館にアナウンスが響いた。
『間もなく第一試合を開始します。選手はコートに集合してください』
「じゃあ、俺たちも行くか」
「うん」
俺たちは実行委員の仕事に戻った。
⸻
第一試合。
朝倉さんたちのクラス対、別のクラス。
「お願いします!」
両チームがコート中央で挨拶をする。
朝倉さんは前衛だった。
試合開始。
相手のサーブが飛んでくる。
「朝倉!」
「はい!」
朝倉さんが素早くボールの下に入る。
綺麗なレシーブ。
「ナイス!」
仲間が声を上げる。
ボールが高く上がる。
セッターが走る。
「朝倉!」
「任せて!」
トスが上がった。
朝倉さんが助走をつける。
――跳んだ。
「いけっ!」
勢いよく腕を振り抜く。
ドンッ!
ボールが相手コートに突き刺さった。
「ナイス!」
「朝倉、最高!」
「よしっ!」
朝倉さんが拳を握る。
観客席からも歓声が上がった。
「すごいな……」
思わず呟く。
「うん」
天川さんも頷く。
「本当に上手い」
「バレー部ってのは伊達じゃないな」
その後も試合は一進一退だった。
朝倉さんがレシーブを拾う。
仲間が繋ぐ。
朝倉さんがまたスパイクを決める。
けれど相手も負けていない。
「まだ同点!」
「次一本!」
「落ち着いて!」
体育館中に声が飛び交う。
そして――。
相手の強烈なスパイクが朝倉さんのいる場所へ飛んできた。
「朝倉!」
「っ!」
朝倉さんが一歩踏み込む。
ボールが腕に当たる。
少しだけ弾かれた。
「……!」
それでも朝倉さんは追いかける。
「まだ!」
床に手をつきながらボールを拾った。
「ナイス!」
ギリギリで繋がった。
仲間がトスを上げる。
「朝倉!」
「はい!」
再び朝倉さんが跳ぶ。
強烈なスパイクがコートの隅へ突き刺さった。
「入った!」
「やった!」
歓声が上がる。
朝倉さんも笑顔になる。
「よし!」
試合はそのまま朝倉さんたちのチームが勝利した。
「ありがとうございました!」
試合終了。
朝倉さんたちがコートの中央で頭を下げる。
戻ってきた朝倉さんは、息を切らしながらも満面の笑みだった。
「勝った……!」
「おめでとう」
「ありがとうございます!」
「すごかったよ」
「本当ですか?」
「ああ。最後のスパイク、綺麗だった」
「見てました?」
「ずっと見てた」
「……!」
朝倉さんの顔が少し赤くなる。
「そ、そうですか」
「うん」
「じゃあ……頑張った甲斐がありました」
「次も頑張れよ」
「はい!」
朝倉さんが拳を握る。
その視線が、ふと俺の後ろへ向いた。
そこには、さっきの男子がいた。
こちらを見ている。
朝倉さんの表情が少しだけ変わった。
「……よし」
「どうした?」
「次も勝ちます」
「おう」
朝倉さんが男子の方へ向かっていく。
俺はその姿を見送った。
「桐生くん」
「ん?」
「朝倉さん、嬉しそうだったね」
「ああ」
「好きな人に見てもらえたからかな」
「……たぶんな」
天川さんは少しだけ笑った。
「じゃあ、頑張ってもらわないとね」
「そうだな」
⸻
昼休み。
午前中の競技が一段落し、俺たちもようやく休憩することになった。
「疲れた……」
俺はベンチに座り、弁当を開く。
天川さんも隣に腰を下ろした。
「何食べてるの?」
「弁当」
「それは見れば分かる」
天川さんが俺の弁当を覗き込む。
「……唐揚げあるじゃん」
「あるけど」
「一個ちょうだい」
「なんで?」
「お腹空いた」
「自分の弁当は?」
「もう食べた」
「早くない?」
「動いてたから」
「だったら自分で買ってくればいいだろ」
「桐生くん、友達におかず一個も分けてくれないの?」
「そういう言い方するなよ……」
俺は箸で唐揚げを一つ取る。
「ほら」
「やった」
天川さんが嬉しそうに受け取る。
「いただきます」
「……」
「ん。おいしい」
「そりゃよかった」
「もう一個」
「調子に乗るな」
「ケチ」
「一個あげただろ」
「じゃあ、今度私も何かあげる」
「別にいいよ」
「いいから」
「……まあ、期待しないで待っとく」
「ふふ」
その時だった。
「にゃあ」
「ん?」
足元から聞き覚えのある鳴き声がした。
「……あ」
天川さんも気づいたようだ。
「あの猫」
「久しぶりだな」
そこには、以前会った猫がいた。
猫は俺の弁当をじっと見つめている。
「……お前、まだ覚えてるのか?」
「にゃあ」
「どうするの?」
「予約も入ってるからな」
「まだ有効なんだ……」
「こいつとの契約は続いてる」
「何の契約よ」
俺は弁当から唐揚げを一つ取り出す。
「ほら」
「にゃ」
猫が嬉しそうに食べる。
「……」
「……」
「律儀だね」
「だろ?」
「猫相手に何を誇ってるのよ」
猫は満足したのか、俺たちの足元を一周すると、そのままどこかへ歩いていった。
「じゃあ、俺たちも行くか」
「うん」
俺たちは立ち上がった。
⸻
午後。
男子サッカーは、思った以上に激しかった。
「桐生、右!」
「分かった!」
俺はボールを受けて、そのまま右へ走る。
相手が一人寄ってくる。
俺は味方へパス。
「ナイス!」
そのまま味方がシュート。
「入った!」
「よし!」
俺たちのクラスが先制する。
「桐生くん、やるじゃん」
「まあな」
「私の応援のおかげだね!」
「……それ、自分で言う?」
「だって私、ちゃんと応援してたし」
「そこまで言うなら、そういうことにしとくか」
「何それ。素直にありがとうって言えばいいのに」
「はいはい、ありがとう」
「よろしい」
天川さんは満足そうに笑った。
「……」
「何?」
「いや、調子いいなと思って」
「桐生くんにだけは言われたくない」
その後、試合は接戦になった。
最後はなんとか一点差で勝利。
「疲れた……」
俺がその場にしゃがみ込む。
「だから体力ないんだって」
「うるさい」
天川さんは笑っていた。
その時だった。
「桐生くん!」
体育館の方から朝倉さんが走ってくる。
「朝倉さん?」
「勝ちました!」
「こっちも勝った」
「本当ですか?」
「ああ」
「よかった!」
朝倉さんが嬉しそうに笑う。
「私たち、次が準決勝なんです」
「そっか」
「絶対勝ちます」
「うん。頑張って!」
「はい!」
朝倉さんは拳を握った。
その目には、もう迷いがなかった。
⸻
午後の女子バレー。
朝倉さんたちは準決勝も勝ち抜いた。
そして――決勝戦。
体育館は、それまで以上の歓声に包まれていた。
「朝倉!」
「はい!」
「あと一本!」
「分かってる!」
点差は、あと一点。
朝倉さんたちが取れば優勝。
相手のサーブが飛んでくる。
朝倉さんが受ける。
「ナイスレシーブ!」
ボールが上がる。
セッターが走る。
「朝倉!」
「はい!」
トス。
朝倉さんが跳ぶ。
けれど――。
相手のブロックが二枚。
「……!」
それでも朝倉さんは打った。
ボールはブロックに当たり、大きく跳ね返る。
「まだ!」
朝倉さんが追う。
仲間も走る。
何度も繋いで。
何度も拾って。
最後にもう一度、朝倉さんへボールが上がった。
「朝倉!」
「――はいっ!」
渾身の一撃。
ボールが相手コートへ落ちる。
一瞬の静寂。
そして――。
「入ったぁぁ!」
体育館が歓声に包まれた。
「やった!」
「優勝!」
朝倉さんは仲間たちと抱き合っている。
その顔には、涙が浮かんでいた。
俺は思わず笑う。
「……よかったな」
「うん」
隣の天川さんも笑っていた。
その時。
朝倉さんがこちらを見た。
そして――。
ほんの少しだけ、胸の前で拳を握った。
俺は頷く。
もう、迷っていないんだろう。
球技大会で、自分ができることは全部やった。
これで少しは、自信もついたはずだ。
あとは――。
自分の気持ちを伝えるだけ。
朝倉さんは、そう決めたようだった。




