第7話 総理爆誕
総裁選の投票日を二日後に控えた、運命の木曜日。
二枚の写真が、SNSという名の海へ投下された。
品川陣営が放った最後の切り札だった。
『【拡散希望】これでも神崎孝一を支持しますか? 地元の老人会ボウリング大会にて、神崎氏が有権者に「商品券」を手渡している決定的な瞬間を激写! これぞ明白な公職選挙法違反(買収)! #神崎孝一の裏の顔 #民自党総裁選』
添付された写真には、確かにボウリングシャツを着た神崎が、目尻を下げて嬉しそうに笑う地元の高齢女性に、のし袋に入った優勝賞品の商品券を手渡している姿が写っていた。
画質は荒いが、構図はさも「買収の現場」そのものだ。
「やったわ……! これで神崎は終わりよ!」
品川は白いスーツの胸を張り、勝利を確信して高笑いした。
ネットニュースが一斉に飛びつき、神崎陣営の事務所にはメディアからの問い合わせの電話が殺到する。
「せ、先生……! 大変です! ネットが、公選法違反だと大炎上しています!」
神崎の議員事務室で、事務スタッフがパニックを起こしていた。
「違反?何の?」
神崎が首を傾げた。
「買収だそうです」
「……まさか、どんこ椎茸で?」
「どんこ椎茸?」
「届出書類にサインした時、そこにいた議員たちに配ったんだよ」
しかし、デスクで本日5本目のエナジードリンクを開けた鈴木は、眼鏡の奥の目を冷ややかに細めたまま、ため息をついた。
「現金や高額な贈答品なら疑われるのも分かりますが、どんこ椎茸で買収など成立するわけがないでしょう……慌てないでください。ああ、これですか。大丈夫です。当日のボウリング大会の収支報告、および運営側の規約、さらに先生の動線はすべて私が事前にチェックし、音声データも残してあります」
鈴木はすぐさま、神崎の公式アカウントから「動画」を投稿した。
それは、品川の写真を別角度から捉えた、老人会のスタッフが撮影していたスマホ動画だった。
そこには、極上の低音ボイスで「ストライク!」と叫び、見事なフォームで優勝をかっさらった神崎の姿。
そして、表彰式で商品券を受け取った直後、神崎が言ったセリフが鮮明に記録されていた。
『いやあ、優勝しちゃいました。でも、僕は立場上、これを受け取るわけにはいかないんです。秘書に「絶対に地元の名産品以外は貰っては駄目です。約束ですよ。約束を破ったらスマホを取り上げて猫動画を見れなくします」と言われてて……』
神崎の情けない顔がアップになる。
『なので、さっき僕の隣のレーンでガターを連発して悔しがっていたトシ子さん! これ、老人会の主催者側に一度お返ししますので、トシ子さんがブービー賞として運営から受け取ってください!』
『あらぁー! 孝ちゃん、ありがとねぇ!』
写真の真相は、買収どころか、ガターを連発したトシ子さんを慰め、法律を遵守するために「一度主催者に商品を返還して再分配してもらった」という、神崎の天然な優しさと、鈴木の鉄壁の教育の賜物だった。
この動画が公開されるや否や、ネットの空気は一変した。
『孝一きゅん、秘書に怒られるからって商品券返してて草』
『トシ子さん嬉しそう。てかボウリングのフォーム綺麗すぎん?』
『トシ子さんへの嫉妬草』
『秘書最強』
品川の起死回生を狙っての一撃は、ただの「トシ子さんへの嫉妬」となって終わった。
「なんでよ!政治家なら受け取りなさいよ!神崎――っ!!」
品川のヒステリックな声が選挙事務所中に響いた。
三井は投票直前に急遽、控室に自陣営の議員全員を集めた。
集められた議員たちは不安を隠せずに何ごとかと囁きあっていた。
三井は議員たちを前に、眼光を鋭くして言った。
「私は、本日をもって選挙戦から降りる」
ざわついていた室内が静まり返った。
「我々は神崎君を支持する」
「先生、本気ですか?!」
「勝ち馬を見誤るほど、私は老いてはいないよ」
「先生……」
「では、立候補を取り下げるのですか?」
「いや。候補者としては残る。私の名を書くのは、私一人でいい。わかったね」
誰もすぐには返事をしなかった。
やがて腹心の一人が深く頷き、それを合図に、議員たちも次々と頭を下げた。
そして迎えた、運命の投票日。党本部の開票ホール。
三井陣営が直前で神崎支持へと大転向したことにより、勝負の流れは完全に決まった。
品川陣営の陣営の席は空席が目立ち、三井は最前列で「すべては私の計算通り」と言わんばかりの老獪な微笑を浮かべている。
壇上の大型モニターに、国会議員票と地方票の合算結果が映し出された。
『神崎孝一:四八七票』
『三井:一三票』
『品川:一〇三票』
「過半数を大きく超え、新総裁は神崎孝一氏に決定いたしました!」
司会者の声がホールに響いた。
割れんばかりの拍手とフラッシュの嵐。
神崎はいつもの涼しげな目元に爽やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がって周囲に一礼した。
神崎の顔がカメラに大写しになり、日本中に「新しい民自党総裁」の誕生が告げられる。
その歓声の渦から遠く離れた舞台袖。
鈴木は、鳴り止まないスマホの通知と、これから始まる「組閣」「挨拶周り」という名の地獄のスケジュールの組み立てに頭をフル回転させながら、真っ白な顔で立ち尽くしていた。
「なぜだ……」
鈴木は、壇上でスポットライトを浴びる天然男を睨みつけ、蚊の鳴くような声で呟いた。
「なぜ……あんなポンコツが、日本のトップになってしまうんだ……。私の胃壁は、もう、限界ギリギリの極薄状態確定だというのに……」
鈴木はポケットから胃薬の錠剤を取り出し、口に入れた。
今日も水なし。ボリボリと噛み砕く。
(苦い……今日は死ぬほど苦い……)
鈴木は顔を顰めて神崎を見た。
壇上の大型モニターに表示された「一〇三票」という数字を、品川はただ、呆然と見つめていた。
トレードマークの白いスーツが、まるで敗北の白旗のように会場のライトに白々しく浮き上がっている。
最後のボウリング大会のネタすらトシ子さんの笑顔に変えられ、自身の支持層すら神崎の「天然物のクリーンさ」に雪崩を打って寝返っていった。
(嘘よ……私が、ここまで完璧に負けるなんて……)
あまりの衝撃に足元がふらつく。
しかし、品川の心を本当に叩き折ったのは、敗北そのものではなかった。
最前列の席で、何事もなかったかのように穏やかな笑みを浮かべ、神崎の当選に拍手を送っている一人の男――三井の姿だった。
「三井……先生……ッ!」
品川はヒールの音を荒々しく響かせ、壇上から降りてきた三井の元へと詰め寄った。
周囲の視線など、今の彼女の耳には入らない。
「総裁選の前、私とあれほど固く共闘を約束したはずです! 私の保守票と、先生の組織票を合わせれば、決選投票で必ず神崎を引きずり下ろせるって……! なのに、直前でハシゴを外して神崎に付くなんて、どういうつもりですか!?」
怒りで白スーツの胸を激しく上下させ、品川は三井を睨みつけた。
しかし、三井は一切動じることはなかった。
それどころか、まるで傷ついた同志を労うかのような、いつもの「温厚なおじいちゃん」の顔のまま、品川に向かってそっと右手を差し出した。
「おや、品川くん。そんなに怖い顔をしては、せっかくの美人が台無しだよ」
「な……っ!?」
品川が差し出された手を拒絶しようとした瞬間、三井は流れるような動作で彼女の手を握り込み、グッと自分のほうへ引き寄せた。
そして、周囲のカメラやマイクには絶対に拾われない至近距離で、品川の耳元に、冷徹極まりない「古狸の声音」を滑り込ませた。
「……政治家に大切なものの一つはね、品川くん。時機を見る目ですよ」
その低く乾いた囁きに、品川の身体がピクリと凍りつく。
「沈むと分かっている泥舟に乗る義理は我が陣営にはない。君の純粋すぎる愛国心は立派だがね。君も早く頭を切り替えて、新内閣に居場所を確保できるよう、大人しく微笑んでおくことだ」
三井はそう囁き終えると、パッと品川の手を離した。
品川は裏切りの冷たさに血の気が引き、言葉を失ってその場に立ち尽くすしかなかった。
品川を完全に置き去りにしたまま、三井はクルリと向き直る。
その顔には、先ほどまでの冷酷さは微塵も残っていない。
「いやあ、神崎先生! おめでとうございます! これからの日本を背負って立つにふさわしい、素晴らしい圧勝劇でした!」
三井は、フラッシュの嵐の中でどこか困ったように笑っている新総裁・神崎孝一に向けて、この上なく温厚で、慈愛に満ちた笑顔を向けながら歩み寄っていった。
品川は震える手を握り締めて、三井を睨みつける。
「……覚えておきなさい、三井先生。私は、負けたまま終わる女ではないわ」
品川は息を一つ吸うと踵を返した。
白いスーツは敗北の旗ではない。次の戦いへ赴くための戦装束だった。
総裁選から数日後。
現総理の辞任を受け、内閣は総辞職した。
それを受け、衆参両院では内閣総理大臣指名選挙が行われ、与党の圧倒的多数によって神崎孝一が内閣総理大臣に指名された。
その後、燕尾服に身を包んだ神崎は皇居で親任式に臨み、正式に第一〇八代内閣総理大臣へ就任した。
議員事務室に戻ってきた神崎は首元に指を入れ、ネクタイを緩めた。
珍しく神崎の顔に疲労の色が浮かんでいる。
「鈴木、総理って勤務時間、何時から何時まで?」
「はぁっ?」
本日、三本目のエナジードリンクで胃薬を流し込んでいた鈴木が頓狂な声を上げた。
「九時五時だよね?」
「……あんた、馬鹿ですか……」
鈴木はすーっと大きく息を吸い、
「総理に勤務時間も退勤時間もありません!!二十四時間拘束されて、働くんですよ!!」
神崎の耳元で怒鳴った。
「うそっ!?」
「嘘なもんですか。さぁ、総理、仕事です。組閣を考えてください」
「……あみだくじじゃ駄目……だよね。うん」
神崎は鈴木にぎろりと睨まれて慌てて言い直した。
こうして、天然新総理・神崎孝一と、世界一哀れで世界一胃痛に襲われる敏腕秘書・鈴木雄二の、国家を巻き込んだ「尻ぬぐい狂想曲」の幕が、今、華々しく切って落とされた。




