第8話 組閣
官邸2階にある総理執務室。
無駄な装飾を排し、木のぬくもりが伝わる現代的な和の機能美を基調としている。部屋の中央付近には、大型の木製執務机。黒い本革張りの重厚なハイバックチェアは、頭部までしっかり支える造りになっている。
神崎はその椅子に腰を下ろした瞬間、目の前の机に突っ伏した。
「いくら、先生でも、総理大臣が何の仕事をしているか位は、ご存知ですよね」
神崎は疲れたというように気だるげに答えた。
「政策を作り、書類にサインして判子を押す。海外の要人と会う。国会でやり玉に挙げられる」
「……おい……」
鈴木は半眼状態で神崎を見た。
神崎は顔だけを上げた。
「組閣、大臣を決めるは、どこに放置しました、どこに」
「えぇ〜っ、それ、絶対揉めるじゃん。決めたくないんだけど」
「決めたくないじゃありません、決めるんです!」
「そんなこと言ったって、鈴木、あみだくじは駄目だって言ったし」
「当たり前でしょう。あみだで大臣を決める国がどこにあるんですか!先ずは、組閣本部の立ち上げから始めますよ」
「面倒だなぁ……」
神崎が辟易した声をあげた時、
プルプルプル
机に置かれている電話が鳴った。
素早く、鈴木が手を伸ばして取る。
対応しながら、やる気のまるでない神崎を見やった。
「はい、総理大臣室……三井先生が?」
鈴木は脳裏に神崎の予定を思い浮かべ、素早く予定を組み直す。
「……分かりました。こちらからお伺いするとお伝えしてください……そうですね、一時間後でお願いします。はい、よろしくお願いします」
鈴木はため息を吐いた。
(はぁっ……さっそく、来たか……)
ポケットを探る。
(よし、胃薬はあるな……)
「先生、一時間後に三井先生のところに伺いますよ。いいですね」
神崎は首を傾げた
「何で?僕、用は無いよ、」
「僕じゃなく私です。先生に用はなくとも三井先生にはあるんですよ」
「何の?」
「組閣人事についてです」
「あっ、もしかして……」
「そうです」
「うわっ、親切。代わりに組閣してくれるんだ、三井先生」
「馬鹿ですか、あんたは!!大臣の椅子を寄越せってことに決まってるじゃないですか、まったく」
鈴木は口元に指をあて、ぶつぶつと呟く。
「……三井先生なら、党三役……幹事長か官房長官、遠慮して政調会長辺りか……」
「ねぇ、いま思ったんだけど、組閣、鈴木が決めた方がよくない?」
「はあっ?」
「鈴木の方が詳しいし、向いてるし……僕の名前使っていいからさ」
「総理が名義貸しをしないでくださいっ!」
「本人がいいって言ってるから良くない?」
「良くないんだよっ!!俺は、秘書だっ!!」
敬語も忘れた鈴木の怒鳴り声が部屋に響き渡った。
三井の議員事務室の応接間は無駄な装飾を省き、機能性や耐久性を重視した、力強く落ち着いた雰囲気になっていた。
ソファーを勧められ、神崎が座ると三井が正面に座った。
秘書である鈴木は壁際に立ち、二人の会話を伺う、
「済まないね、総理自ら私の事務室まで来てもらって」
「そんなことないですよ。総裁選でお疲れでしょうから。それで、何かお話しでも?」
「そうなんだよ、実は党人事のことなんだがね」
「党人事!そうなんです、三井先生。実は三井先生にお願いがありまして」
神崎が人懐こい笑顔を浮かべて三井に笑いかけた。
ひとのよさ丸出しでにこにこしている。
温厚な表情をしていても目はどこか冷めていた三井の目が、この時は温かなものに変わっていた。
「三井先生は政策通のうえ、私など足元にも及ばないほど、その人を見る目がおありになります」
「あ、いや、そんなことは……」
「いいえ、三井先生のご慧眼は凄いです」
「まぁ、私くらいの経験になるとね。大体はわかるかな」
「凄い」
憧れの人に会ったように神崎の目がきらきらと輝いているのを三井は面映い思いで受け止めた。
永田町で生き抜いた三井は言葉を額面通りには受け取らない癖が染みついている。その三井をしても神崎の言葉を鵜呑みにしてしまう。神崎の表情が大好きなおじいちゃんに会えて嬉しいという孫のそれだったのも大きい。三井も孫を持つ身のため、つい絆されて、もはや可愛い孫をみる祖父になっていた。
「で、どうしたのかな?」
「はい、実は……」
(爺転がし、凄すぎるだろう……)
それはもう祖父と孫の会話だった。
その様子を表情一つ変えないで見ていた鈴木は内心で神崎の天然もの人たらしに舌を巻いた。
時間となり、三井の事務室を後にした。相当な地位を要求されるかと思い、身構えていた鈴木だったが
気がつけば、なにひとつ決まっていないことに気づき、苦笑いを浮かべる。
(こういう能力だけは、突出しているんだよな、このひとは……)
総理執務室に戻ると、スタッフから品川が来訪していると聞かされた。
「品川先生?何だろう?どんこ椎茸の袋あったかな?」
「先生、どんこ椎茸は忘れてくだい」
鈴木は圧を込めて神崎に言ったが、暖簾に腕押しとばかりに
「干し椎茸は骨粗鬆症の予防や年齢に伴う体調のゆらぎを軽減するんだって。品川先生、そろそろお年だからね」
本人にはそのつもりはないのだろうが、暗にお年頃、更年期障害を指していることはまる分かりだ。
下手したらハラスメントにもなりかねない。
「先生、絶対にどんこ椎茸を話題にしないでくださいね」
鈴木は迫力のある笑顔で念押しした。
「う、うん。どんこ椎茸は駄目なんだね。分かったよ」
「それから、品川先生に何か言われても、即答せずに、”検討させていただきます”で乗り切ってください。話は躱す。いいですね、くれぐれも言質は取られないでくださいよ」
「分かった」
「……頼みますよ。私の胃壁に穴が開くかどうかが掛かっていますからね」
「うん」
いまひとつ不安が残るがこれ以上は待たせられないと神崎と鈴木は品川が待つ総理執務室へ向かった。
総理執務室の革張りのソファセットには品川が姿勢よく腰かけていた。
彼女のトレードマークである純白のスーツは一本の皺も無い。
品川は神崎の顔を見るや、
「神崎さん。単刀直入に言うわ。私を内閣官房長官、さもなければ外務大臣に指名しなさい」
品川は神崎を鋭い眼光で睨みつける。
室内は一触即発のサスペンス映画さながらの緊迫感に包まれた。
しかし、神崎はきょとんとした顔で品川を見上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「品川先生、 その白いスーツ、いつも素敵ですね。汚れたら大変そうですけど、やっぱりチョークの粉とか付きやすいですか? あ、違いますね、議員だから黒板は使わないか!」
「……は?」
品川の眉間が引きつる。凄まじい威圧感のオーラを放ったはずが、神崎の放った天然の緩衝材に見事に吸収されていく。
邪魔にならないようにと部屋の隅にいた鈴木も一瞬、居を突かれた表情を浮かべた。
(どこからその発想が出てきたんだ?)
「ふざけないで。私はポストの話をしているのよ! 私だって、それなりにバックにいる支持層があるわ。敵に回せば、あなただって困るはずよ!」
「品川先生、 お腹空いてます?」
「はぁっ?藪から棒に何よ」
「お腹すいっると怒りっぽくなるって聞いたから。急いで美味しいお弁当のケータリングを頼みますね。品川先生は何が好きですか? 僕は唐揚げ弁当だとテンションが上がります!」
(おい、いくら躱せと言ったからって、方向転換が強引過ぎるだろう……)
鈴木は無意識に胃の辺りを押さえていた。
神崎の目はどこまでも真剣で、悪意も計算も一切なかった。
品川はあまりの噛み合わなさに眩暈を覚え、差し出した拳の行き場を失って震えだす。
(この男……わざと流しているの? それとも、本物の怪物……?)
品川は神崎の底知れぬと勘違をした。
にこにこと笑っている神崎に品川は底知れない何かを感じた。
(一度、引き上げて、完全武装した方がいいわ……)
「天然の壁」に品川は恐れをなした。
「いえ、結構よ。お腹は空いてないわ。とりあえず、考えておいて頂戴。いいわね」
そう捨て台詞を残した品川は神崎の返答も聞かず、退散するしかなかった。
ドアが閉まると鈴木は詰めていた息を吐きだした。
「品川先生、帰っちゃったね」
「……撤退するしかなかったんだと思いますよ」
「ところでさ、お腹空いたんだけど、から揚げのお弁当注文していい?」
鈴木は無言でデリバリーを頼む。
ついでに胃薬もネット注文した。
総理執務室を足早に出ていく品川の姿を廊下の角から見つめる者がいた。党内最大派閥である大河原派の幹部たちだ。
「神崎の奴、あの品川をあっさりと追い返しおったわ……。やはり、ただの無能を装った策士か」
「大河原先生に報告だ」
男たちは踵を返すと、一目散に大河原が待つ議員事務室へと向かった。




