第4話 公開討論会
公開討論当日。
民自党本部の十二階にある大ホールには多くの民自党の関係者やメディア関係者が集まっていた。
ホール内は700席ほどの座席。そのずらりと並べられたパイプ椅子には国会議員一人ひとりの名前が貼られていた。ホールの壁面には、初代から歴代の民自党総裁の肖像画がずらりと掲げられ、新しい総裁が誕生するたびにここに新しい肖像画が加わり、数々の政権交代や歴史的瞬間を見守ってきた。
正面のステージには、本部完成時から使われている歴史ある巨大な緞帳が下がり、緞帳の中央には党の党章が刺繍されていた。
「――それでは、党青年局主催・総裁選公開討論会、最後のテーマに移ります。これからの日本を、皆さんはどう導くおつもりか。制限時間は各二十分。まずは……品川候補、お願いします」
司会者の声が響いた瞬間、スタジオの空気がピンと張り詰めた。
壇上の中央で、トレードマークである純白のパンツスーツの襟を正したのは、タカ派の急先鋒、品川だった。
彼女はカメラをまっすぐに見据え、一切の迷いなく言い放つ。
「我が国の主権と誇りを守るため、今こそ憲法改正を成し遂げ、国防力を抜本的に強化すべきです! 曖昧な妥協は国益を損ねます。私は、強い日本を取り戻す!」
その苛烈なまでの熱量に、客席の若手議員らからどよめきが起きる。発信力は抜群だ。
しかし、舞台袖で控える選対幹部たちは
「また右に寄りすぎだ……これじゃ中道の浮動票が逃げる」
と頭を抱えていた。品川の気迫は、時に諸刃の剣となる。
「……力強いお言葉、ありがとうございました」
司会者が少し圧倒されたように頷き、視線を隣へ移す。
「続きまして、三井候補、お願いします」
「はい」
グレーのスーツを着た三井は、いかにも温厚そうな目元を細め、深く品のある一礼をした。
党内誰もが認める政策通の重鎮。
その見た目は「人の良いおじいちゃん」そのものだが、その奥には底知れない野心と、百戦錬磨の老獪さを隠し持っている。
「品川さんの熱意には敬意を表しますがね、政治とは理想だけで動くものではありません。現行の法制度、そして予算の裏付け……これらを緻密に組み替えてこそ、国民の生活は守られる。地味かもしれませんが、確実な実務こそが、今この国に必要な『変革』なのです」
立て板に水のごとく、完璧な数字とロジックが紡ぎ出される。
新鮮味には欠けるが、圧倒的な安定感。品川が「動」なら、三井は「静」。
まさに牙を隠した古狸の真骨頂だった。
そして、最後にカメラのライトが向いたのは――神崎。四十代前半。人気イケメン俳優を彷彿とさせる、すっきりと通った高い鼻筋とシャープな輪郭。
女性のハートを射抜くような涼しげな目元がアップで映し出されると、配信画面のコメント欄が一気に加速した。
『ウソ、めっちゃイケメンやん』
『マジで議員?』
『イケオジしか勝たんやろ』
『政策はどうなった』
『コメント欄、顔しか見てなくて草』
『おっさんタヌキしかいないと思ってた』
『顔で政治ができるのか?』
『イケメン滅べ』
『推せる』
『推し確定』
『神崎様♡』
『拝む』
神崎の出現にコメント欄が沸き、視聴率が跳ね上がった。
神崎はマイクを手に取り、ゆっくりと唇を開いた。
「お二人の仰ることは、どちらも正しい。しかし――」
スタジオのスピーカーを心地よく震わせる、極上の低音ボイス。その響きだけで、会場の空気が神崎のペースに巻き込まれていく。
が、舞台の袖で見守っている鈴木は気が気ではない。神崎に原稿を渡し、レクチャし、何度も練習させた。普通の議員ならそれで万全だが、天然の神崎は違う。いつ脱線事故をおこすか、ロストバゲージするかわからない。事前に飲んだ胃薬は今のところ効いてはいるが。
事前の控室でやり取りが思い出された。
「いいですか、先生。練習したとおりにやってくださいね。一文字たりとも原稿から外れないでください。いいですね?分かりましたね!」
鈴木は、眼鏡の奥の切れ長な目をさらに細め、目の前の男を睨みつけていた。永田町では「あの鈴木がつけば無名の新人でも大臣になれる」と噂されるほどの敏腕秘書だが、その実態は、エナジードリンクと胃薬の過剰摂取でなんとか理性を保っている苦労人である。
「分かっているよ。心配性だな、鈴木は」
当の神崎は、鏡の前でネクタイの結び目をいじりながら、あっけらかんと言ってのけた。
神崎はふわりと微笑む。大舞台を前にした緊張感など微塵もない。
その態度に、鈴木の額に青筋が浮かんだ。
(誰のせいで心配性になったと思っているんだ……!)
天然物の爆弾神崎に鈴木は
「誰のせいで、私の胃壁がここまで薄くなったとお思いですか! 昨夜の最終リハーサル、先生は何と言いました? 『党の刷新を訴える』ですよ!訴えなくていいですから。 間違ってもアドリブで変な不祥事を引き合いに出したりしないでくださいよ!?」
鈴木はポケットから取り出した胃薬をエナジードリンクで流し込みながら、指を突きつける。
「分かっているって。ほら、時間だろ?行くよ」
神崎は低音の美声を響かせ、鈴木の肩をポンと叩いて部屋を出て行った。その背中を見送りながら、鈴木が激しい胸騒ぎを覚えたのはいうまでもない。
そして――。
「――国防の強化や緻密な政策論争では、国民のお腹は膨れません。空腹では未来なんて考えられない。国防も緻密な政策もただの絵に描いた餅です。私が目指すのは、まず明日の食卓が笑顔になる政治。政治は、国民に我慢をお願いするためにあるんじゃない。明日を少しでも楽しみに思えるようにするためにあるんです。格式張った永田町の常識を、私は中からぶっ壊したい。……あ、そうそう。もちろん、党の予算を横領したり、それを愛人に貢いだり、高級料亭でどんちゃん騒ぎをするような古い政治も、一緒にぶっ壊したい。」
「ぶはっ!?」
最前列に座っていた党重鎮が、飲んでいたお茶を派手に吹き出した。
コメディじみたその光景を視界の端で捉えながら、神崎はカメラに向かって悪戯っぽく片目をウインクしてみせる。
一瞬の騒めき。
次の瞬間、笑いの渦が会場に広がった。
パンパン
どこからか拍手が起き、次第にその拍手の音が大きくなる。
(この男……)
品川がぎゅっと拳を握り、神崎を射殺すような目で睨んだ。
三井は老獪なだけあって笑顔を崩さなかったが、目は冷ややかだった。
鈴木はというと、持っていた進行表の紙を文字通りクシャリと握り潰した。
客席で長老議員がお茶を吹き出す音が、舞台袖で聞いた瞬間、
「……ッ、あの、バカ殿がぁあああ!!」
思わず、器用にも小声で怒鳴るという神業を鈴木はしてのけた。
「あれほど、言うなといっただろうが!!」
事前の打ち合わせでは、もっとマイルドに『開かれた党への刷新』と言うはずだった。
それが……
隣の舞台袖を見れば、品川陣営の秘書が般若のような顔でこちらを睨みつけている。
(もうダメだ、明日の朝刊のクレーム処理、誰がやるんだ?俺がやるんだろうな……)
鈴木はポケットから胃薬の錠剤を引っ張り出し、水なしでボリボリと噛み砕きながら、天を仰いだ。
(……苦い……)
舞台では品川は白いスーツのポケットの中で拳を握りしめ、三井は柔和な笑みをピキリと凍らせて神崎を睨みつけた。
美貌とカリスマ、そして予測不能な爆弾。
三者三様の思惑を乗せた総裁選の火蓋は、今、完全に切って落とされた。
「……胃薬、あと何箱あったかな……」
鈴木は天井を見上げ、力なく呟くのだった。




