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第2話 総裁選締切り

 国会議事堂のすぐ裏手にある議員会館。近未来的で重厚な地下5階地上12階建。その十階にある有賀の議員事務室には、今にも怒りが爆発しそうな空気が満ちていた。


「まさか……」


 武藤は怒りのあまり、しばらく声も出なかった。


「何をやっていたんだ、秘書は!」


 有賀は顔を真っ赤にして、週刊誌のゲラ刷りを机に叩き付けた。


「出版差し止めの仮処分を申し立てようにも発売は明日。いまさら間に合わん」


「大河原先生は何と?」


 武藤が憤懣やる方ない様子で、有賀に尋ねる。


「大層なご立腹で、次回の公認はせんと。内心は除名したいらしいが、議席が減るのは不味いと思いとどまったと聞いた」


「無難なところだが……ええぃっ、腹立たしい!何がクリーンだ!」


「おい、どうする?総裁の届け出締切は明日の午前中だぞ!?」


「今から探すとなると……」


「……無理だろう。そうなると、品川と三井の一騎打ちか……」


「どちらが勝ったところで、目新しさはない。支持率が下げ止まるだけだ」


 部屋は沈鬱な雰囲気になった。




 部屋の大きなガラス窓からは国会議事堂や遠くの東京スカイツリーを見渡せた。

 議員事務室の応接間には主のための大きなデスクと来客用の応接セットが置かれていた。

 デスクに座ったこの部屋の主が、先ほどからスマートフォンで話をしているのを応接ソファーに座った六十手前くらいの男が眺めていた。


「……ええ、ええ、助かりました。独占取材ですか?……分かってます。その時は追ってご連絡しますから。では」


 話を終えて細い指先が通話を切ると白い房のストラップが付いたスマートフォンをデスクに置いた。

 男が口元に笑みを浮かべたまま、


「恐ろしい方だ。このタイミングで週刊誌に記事を発表させるとは……」


 それを聞いて細い眉が上がった。


「敵は少ない方が……」


 トレードマークの白いスーツに身を包んだ品川が応接ソファーへと移動した。


「そうでしょ、三井先生」


「確かに」


 笑みを浮かべている三井は温厚な容貌に老獪さを上手く隠しているが、野心は相当なものだ。

 品川の切れ長の目と細い輪郭は、政敵から陰で「女狐」と呼ばれるに十分な鋭さを備えていた。本人は、その呼び名をむしろ気に入っている。そうでなければ、永田町ではやっていけない。


「出来レースなんて真っ平。チャンスを潰すのは愚か者ですわ」


「ふふふ、あなたは激しいですなぁ」


「あら、持ち掛けた話に乗って来られた三井先生は、どうなのかしら?」


「私は利を取っただけですよ」


 そう言って、三井はテーブルのお茶に手を伸ばした。


「そういうことにしておきましょうか……」


 品川もお茶を手にする。

 少し冷めたそれを一口口にし言った。


「どちらが総裁になっても恨みっこなし。勝った方は……」


「負けた方を引き上げ、総理を辞めるときは、禅譲する……でしたかな」


「ええ」


 品川が笑みを浮かべて三井をみた。

 三井は温厚な表情を崩さずに受け止めた。


(禅譲? そんな先の約束を信じるほど、私はお人好しではない)


 品川は笑みを崩さなかった。

 三井もまた、同じことを考えている顔をしていた。


 トントン


 ノックの音の一拍のち、三井の秘書が入って来た。


「先生、そろそろ」


 三井が頷き、腰を上げた。


「では、品川さん、健闘を祈ります」


「三井先生、お互いに……」


 そう言って、品川も腰を上げ、応接室の入り口まで見送りに出た。


(食えないご老体だわ)


 見送ったあと窓辺に立って、品川は国会議事堂を見る。

 漸く掴んだチャンスだ。大人しく渡す気などない。

 大御所から総裁選の打診を受けたとき、品川はついに時がきたと思った。

 女性というだけで、何度「まだ早い」と退けられたことか。辛酸も舐めてきた。今度こそ報われる――そう歓喜した。

 だが、実際は若手の桜庭を当選させるための当て馬だった。

 またか――と屈辱に震えた。

 見返りは次期内閣の閣僚の椅子だという。

 そんなもの総理の椅子に比べれば塵芥に等しい。

 だから調べた。

 蹴落とすために。

 そして――

 見つけた。

 クリーンな若き改革者の、あまりにも汚れた秘密を。


 愛人がいた。しかも相手は人妻。


 笑いが出た。

 これを利用しない手はない。

 すぐに親しいマスコミにリークした。

 総裁の届け出締切日前日の週刊誌に載せると約束させて。

 もう、今から顔を挿げ替えるのは無理だ。

 これで桜庭は失脚。

 腹に一物を持つ三井と手を組んだのも総理の椅子をつかみ取るためだ。


(椅子に一歩近づいた……)


 品川は心の中だけで呟く。

 自然と笑みが零れた。



 会議室は蜂の子を突いたような騒ぎに見舞われていた。

 クリーンで売っていた桜庭にまさかの愛人発覚。

 当人の桜庭といえば、昨日から雲隠れして連絡が取れない状況だった。

 総裁の届け出締切まであと一時間しかない。

 集まった議員たちはある者は頭を抱え、ある者は時計と睨めっこをし、ある者は虚ろな目で窓の外を見ていた。

 中心となった中堅議員たちは喧々諤々と議論をしているだけだった。


「どうする?」


「もう時間がない。誰かいないのか?」


 だれも立候補しようとしないのは、愛人問題を引き継いだという印象が婦人票に多大なる影響があるためと、大御所に鈴をつけられて、何かあれば矢面に立たされるのが目に見えているからだった。誰しも火中の栗は拾いたくない。

 時計を見る。

 締め切りまであと四十分。


「もう誰でもいい。とにかく誰か捕まえるしかない」


 小太りの佐々岡が立ち上がる。


「そうだな。議員であれば誰でもいい」


 がっしりとした体格の守屋が続いて立ち上がった。

 会議室のドアに小走りで向かった。


 チン。


 エレベーターが七階に着いた。

 神崎はエレベーターを降りて、地元商店街からの差し入れを知り合いの議員へ持って行こうとタイル張りの廊下を歩いていた。

 手にはどんこ椎茸の袋が握られていた。

 会議室の前を通り過ぎようとした時、ガチャという音と共にドアが開いた。

 佐々岡が


「神崎先生!」


 と声をあげる。

 続いて守屋が逃さないとばかりに神崎の腕をむんずと掴んだ


「ちょっとこちらへ!」


 ガチャッ


 あれよあれよといううちに神崎は会議室へと押し込まれた。

 目の前には見たことのある議員仲間がいた。

 目を白黒させていると、佐々岡が神崎に書類を差し出した。


「え、え、なに?」


「先生、ここに署名をお願いします」


「何の書類?」


「党を救うための緊急申請書類です」


「急ぐの?」


「はい」


「よく確認しないでサインすると鈴木に怒られるんだけど……」


「時間がないんです。そこをなんとか」


 渋る神崎に、守屋が畳みかける。


「党が危ないんです!」


「そうなのかい?」


 その場にいた全員がぶんぶんと首を縦に振った。

 神崎は持っていたどんこ椎茸の袋を、会議机の端に置いた。


「急ぐのか……じゃあ仕方ないね……神崎孝一、と」


 神崎が署名した途端、届け出担当が書類をひったくった。


「届け出してまいります!」


 弾丸のような勢いで会議室を飛び出していく。

 会議室の中央で神崎は茫然とその様子を見ていたが、どんこ椎茸のことを思い出した。

 神崎は袋を手にしながら、


(あげるのこの人たちでもいいか……)


「ええと、だれか椎茸……」


 佐々岡が神崎に向かい、


「推薦人二十人、集まっています!」


「椎茸の?」


「先生のです」


「は?」


 部屋に残った議員たちが、一斉に両手を挙げた


「「「「おめでとうございます!」」」」


「「「「バンザイーっ!」」」」


 と何がめでたいのか万歳をしている。

 神崎も急いで手にしていたどんこ椎茸の袋を足元に置き、理由も分からないまま両手を上げた。

 習性だ。

 先ほどの届け出担当がやり遂げたという表情で戻ってくる。


「神崎先生、民自党総裁選への立候補手続き、完了しました!」


 守屋がいい笑顔を浮かべて言った。


「先生は、正式に総裁候補になりました」


 ぽかんとした神崎だったが、次の瞬間、


「ええええーーーっ!」


 神崎の絶叫が議員会館の七階に響き渡った。

 驚いてよろけた時にどんこ椎茸の袋に足があたった。

 倒れたどんこ椎茸の袋の隙間から乾燥椎茸がころんと転がり出た。

 床に転がりでた乾燥椎茸だけが、静かに事態を見守っていた。

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