第23話 誘拐犯の誤算
叩きつけられた「護衛対象ロスト」という現実。
第一報を受けた瞬間、鈴木の視界は真っ白に染まった。
「……ハチワレの猫を追いかけて、路地に消えた……?」
鈴木の手が、プルプルと震える。
胃が雑巾のように絞り上げられる激痛。大吾と父親を手配した黒塗りのセダン車に乗せ、ホテルに押し込み、カナリアトラップを仕掛けた矢先――肝心の「本体」が、猫に釣られて拉致された。
(あのバカ総理……ッ! トマトサラダ三週間どころか一生トマトしか食わせない……!!)
危機感ゼロの神崎にも、二度も護衛対象を見失ったSPにも腹が立ったが、一番腹がったのはこういう事態を予測しなかった自分にだった。
『お前はまだ、詰めが甘いな』
宗介のにやりと笑った顔が思い浮かんだ。
(ああ、そうだよ。あの予測不可能のアンコントロールに対する策が甘かったよ)
だが、深く絶望に浸る猶予すら与えられなかった。
事件発生からわずか十五分。現代のネット社会の拡散スピードは、国家機構の初動捜査すら軽々と置き去りにした。
『神崎総理、演説後に謎の路地へ消えるwww』
『SPが血相変えて走ってるんだが何があった?』
『拡散希望 東向商店街で総理が連れ去られたっぽい??』
現地で演説を見ていた一般人のスマホ動画がTikTokや✕に次々とアップロードされ、瞬く間に拡散。
最初は「また神崎ちゃんのファンサービスか?」と面白がっていたネット民たちも、続々と集結するパトカーのサイレン音とSPたちの異常な悲壮感を察知し、空気は一変した。
『#神崎総理捜索』
『#神崎どこ行った』
『#総理誘拐』
トレンドの一位から十位までが、神崎関連のワードで埋め尽くされた。
テレビ各局は通常番組を緊急中断し、
【ニュース速報】神崎内閣総理大臣、応援演説先で移動中に行方不明か】
というテロップを赤文字で流し始めた。
テレビに映し出された速報テロップを見て、山中の顔から血の気が引いた。
「……まさか」
握っていたボールペンが、指の間からするりと滑り落ちた。
テレビから目を離せなかった。
「こんなことになるなんて……」
乾いた唇が震えた。
「鈴木秘書官! はいられます!」
官邸の危機管理センターのモニターに鈴木の姿が映し出された。
危機管理センターは、まさに蜂の巣をつついたような大パニックに陥っていた。
警察庁長官、公安調査庁幹部、内閣情報官、そして関係各県の県警本部長たちがモニター越しに怒号を飛び交わせている。
「県警は何をやっていたんだ!」
「関越、阪神、西日本の全高速道路に検問を敷け!」
「公安部! 犯行声明のチェックを急げ! 宗教団体か、過激派か、それとも外患か!?」
怒号と警報音が鳴り響く画面を前に、鈴木は眼鏡のブリッジを強く押し上げた。
冷や汗でシャツが背中に張り付いているが、その瞳だけは凍てつくような冷静さを取り戻していた。
(落ち着け、鈴木 雄二。お前までパニックになるな。あの男の『強運』と『おバカさ』を信じるんだ)
鈴木は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、SPが現場で拾ったという「落ちていたスケジュール表」の画像データを食い入るように凝視した。
(現場に落ちていたのは本物のスケジュールだ。ということは、犯人は偽情報ではなく本物を掴んでいた。リーク元は、さらに絞れる――)
鈴木の脳裏に、昨夜ロイヤルスイートルームで神崎と交わした会話が蘇る。
『偽の日程を三つ作ろう。それぞれ知る人物を変えて……』
「……これで、絞られる」
鈴木は小さく呟くと、パニックになる警察官僚たちを一喝するように、静かに!と高らかに声を上げた。瞬間、殺気立った会議室の全員が鈴木を振り返る。
「警察庁、公安、各県警の皆様。泣き言も責任転嫁も後です。今すぐ私が指示する『3つのIPアドレスと連絡ルート』を洗ってください。……総理を連れ去った愚か者どもの居場所を、今から特定します」
胃の痛みを完璧に押し殺し、首席秘書・官鈴木は、誘拐された「無邪気な総理大臣」を取り戻すための反撃を開始した。
遠くで汽笛が響く。
港のほのかな灯りの中、トラス構造の屋根が連なる赤煉瓦の倉庫街が浮かび上がっていた。
夜間はトラックの往来もなく、人影はない。
その一角にある古びた倉庫では、長年積もった埃が舞い、天井の裸電球が「ジジジ……」と頼りなく明滅していた。
薄暗い倉庫の中、人影がもぞりと動く。
男の指先がぴくりと動き、ゆっくりと瞼が開いた。
薄暗い倉庫内、人影がもぞりと動く。
男の指先がぴくりと動き、ゆっくりと瞼が開いた。
「はぁ~、お腹空いた……あれっ?」
椅子に縛り付けられたまま、神崎はぽつりと呟いた。
神崎の声に顔半分を隠した二人の男が神崎を振り返った。
「気がついたか」
がっしりとした体つきの男が言う。
「……君たち、誰?ここどこ?随分埃っぽいけど、掃除してる?ハウスダストって喉に悪いよ?」
神崎が不快に眉を顰めた。
「喉に悪いんだけどな。声、嗄らすと鈴木に怒られるんだけど」
「黙れ」
「そう言われてもね……あっ、もしかして僕、誘拐された?」
「よくわかったな」
嘲笑うような声で中肉中背の男が言った。
「ねえ、僕を誘導したあの猫ちゃん、もしかして君たちの仲間?」
「はぁっ?」
「そうなら、見張りはあの猫ちゃん希望なんだけど?」
「お前、正気か?」
ひとりが呆れ、もうひとりは声を荒げる。
「猫が誘拐犯の仲間な訳がないだろうがっ!」
「なんだ。残念……ところで、ご飯はなに?卵を巻いた昔ながらのオムライスなら嬉しいんだけど」
「……」
「あっ、ケチャップで『だいちゃんLOVE』って書いてくれたら、ちゃんと協力するから」
「……すまん、ひとつ聞いていいか?」
「なに?」
「誘拐って意味を理解しているか?」
「もちろん」
「……分かっていて、その反応なのか……」
犯人たちは宇宙人を見るような目で神崎を見ていた後、互いの顔を見合わせた。
がっしりとした男が声を潜めて言う。
「……おい」
「なんだ」
「俺たち、とんでもない奴を誘拐したんじゃないか?」
二人の犯人の間には、何とも言えない空気が流れた。




