第21話 親子の罠
一旦、自分の部屋に戻っていた鈴木が、神崎の待つロイヤルスイートルームへ戻ってきた。
神崎はちょうどどこかへ電話をしていたらしく、スマートフォンを耳から離したところだった。
鈴木はベッドに無造作に置かれていたスーツの上着を手に取ると、丁寧にブラシをかけ、クローゼットへ仕舞う。
そのとき、SPから鈴木のスマートフォンに確認の連絡が入った。
「ええ。間違いありません。通してください」
廊下に待機していたSPによってドアが開かれる。チーフ・バトラーが、軽食とコーヒーを部屋へと運んできた。
時刻は既に十時を回っている。
落ち着いた中間色の照明に包まれたリビングルーム。応接卓へ、チーフ・バトラーの手により音も立てずに置かれたコーヒーの芳香が、ふわりと鼻をくすぐった。香ばしいコーヒーの香りだけが、張り詰めていた空気を少しだけ和らげた。
一礼したバトラーが足音もなく退出すると、鈴木はドアのロックをしっかり確認してから戻ってきた。そのまま神崎の向かいに腰を下ろし、さっそく今後のスケジュール表を広げる。
神崎はそんな秘書を見て、口元だけで柔らかく笑った。
「まずは鈴木もコーヒーを飲みなよ」
「いえ、私は——」
「いいから。ここのコーヒー、本当に美味しいよ」
鈴木は小さく息を漏らすと、促されるままカップを取り、添えられたミルクを縁ギリギリまで注ぎ込んだ。神崎が「信じられない」といった目でそのカップを見つめる。
「……何か?」
「鈴木、ブラックじゃなかったっけ?」
鈴木の表情がすん、と冷え切った。
「誰かさんのせいで、胃が大荒れ状態なんですよ」
「大変だねぇ」
「……誰のせいだと思っているんですか」
コーヒー一杯分の安息時間。
温かい液体を飲み干した瞬間、鈴木の頭脳は瞬時にプロの秘書官へと切り替わった。
「総理。先ほど『これは罠だ』とおっしゃいましたが……何か考えがあるんですか?」
神崎はカップを置くと、ふっと目元を細めた。
「……偽の日程と宿泊先を流そう」
「今日の事件を踏まえて、急遽スケジュールを変更した、という体で流すわけですね」
神崎が大きく頷く。
「確かに、危険な目に遭っておいて、私が何の動きも見せないのは不自然ですからね」
「鈴木、裏でキーキー言いながら、パニックになって変更スケジュールを組みそうだし、現実味が増すよね」
「キーキー?」
「聞き流して」
「……で」
鈴木が睥睨するような鋭い視線を向けると、神崎は軽く咳払いをしてごまかした。
「え、えっと。日程案は三つくらい作ればいいかな……こんなふうに」
神崎は備え付けのレター用紙を引き寄せると、スラスラとペンを走らせ、三つの日程案を書き上げた。鈴木がそれを受け取り、眼鏡の奥の目を光らせる。
「……それぞれ情報を与える人物を変える。カナリアトラップですか。発想としては、悪くありませんが……問題はいつ実行するかです。ただでさえ日程が詰まっている中で、偽の行程を入れ替えたと見せるのは至難の業ですよ。それに、宿泊先です。相手が確認を入れれば、すぐに虚偽だと見破られます」
「大丈夫だよ。本当の日程に置き換えるだけだし、日程を変えるわけじゃないから。それに宿泊先の予約は……父さんに泊まってもらうから問題ない」
「はぁっ!? 大先生に身代わりをさせる気ですか、あなたは!?」
鈴木が思わず身を乗り出した。
平成、令和と永田町を生き抜いた大先生を囮にするなど正気の沙汰ではない。
「大丈夫だって。引退して暇してるし、むしろ『面白そうだ』って張り切ってたよ」
「大丈夫じゃありません!!」
「さっき電話で、ちゃんとOKもらったから」
神崎は父、大吾との会話を思い出した。
「父さん? 一泊だけ僕の代わりにホテル泊まってくれない?」
『……面白そうだな』
「でしょ?」
(父さん、好きだからこういうの)
神崎は「だから問題ない」とでも言いたげに肩をすくめた。
「……手遅れだった……! 大先生になんというご迷惑を……」
(この子にして、この親ありか?いや、この親にして、この子あり……どっちでも同じだ)
眩暈がした。意識が遠くなりかけるのを感じながら、
(胃薬……あと一箱持ってくるべきだった……)
鈴木は崩れ落ちそうになる身体を必死で持ちこたえた。




