第15話 派閥会長、包丁を握る
スタジオの扉を開けると、そこに広がっていたのはおよそ料理を作る場所とは思えない、異様な光景だった。
スモークがかかった半透明の強化ガラスとアルミフレームで区切られた、いくつもの個室風調理ブースである。
天井部分は吹き抜けになっており、中のシルエットだけがぼんやりと外に透けて見える。
ここ【キッチンエリア】は強化ガラスは防音機能も備えている完全な個室ブースとなっていた。
天井には最新鋭のクレーンカメラが複数設置されている。
参加議員たちは派閥ごとのブースに分けられた。
調理台の上には第一項目の疑似スーパーで買った食材が載せられていた。
ポン
もはや条件反射となったのか、参加議員たちはブースから一斉にスクリーンを観る。
最終項目:買ってきた食材で夕食を作ってください。
制限時間:一時間
「お、おい、なにを買った?」
「これでなにを作ればいいんだ」
議員たちは絶望に打ちひしがれた。
四方をすりガラスの壁に囲まれた、逃げ場のない密室。
最新鋭のシステムキッチンと大理石のワークトップが眩しく輝いているが、彼らにとっては処刑台も同然に思えた。
「おい、武藤……隣は何をしている」
大河原が声を潜めて尋ねるが、防音ガラスのせいで隣の三井派ブースの様子はまったく分からない。ただ、半透明のガラス越しに、三井らしき細いシルエットが、もの凄い速度で腕を上下に振っている影だけが見える。
「……分かりません、大河原先生。しかしあの手の動き……おそらく、物凄い速度で何かを刻んでいるんではないかと……」
「バカな、まだ開始三分だぞ!?」
天井のスピーカーから降ってくる換気扇の風が、隣のブースで炒められている「極上のニンニクの香り」を容赦なく送り込んできた。
この空間は視界を遮られ、音と匂いだけで精神を削られていく。
「カードを使いましょう」
武藤がベテラン主婦カードを切る。
「何を作ればいい?」
「食材は何があるの?」
「ええっと、豚バラと豚のロース肉。あと、緑の草と玉ねぎだ」
「緑の草?なにそれ?」
「ぎざぎざの草だ。分からんのか?」
「分かるわけないで……」
一分が経過し、ぶちと切れた。
「お、おい!」
武藤はAIにも同じ質問をした。
が、入力に慣れない武藤は、豚肉と入力したところでエンターキーを押していまい、豚肉が食肉であり、英語でポーク、ポルトガル語でポルコと呼ばれているという説明だけで終わった。
「……焼けばなんとかなる……」
武藤はふらりと歩きながら、亡霊のように呟いた。
あるブースでは、ガラスに飛び散った謎の赤い液体が不気味に滴り、またあるブースでは、シルエットだけの男たちが鍋を囲んで右往左往しているのが外から丸見えである。
『お互いの顔が見えないからこそ、肥大化したプライドが勝手に疑心暗鬼を生むわ。神崎総理、恐ろしい心理作戦を用意するわね』
品川の怯えが混じった視線を受けた神崎は大久保派のブースに目が釘付けだった。
『うわっ、殺人現場?!赤いのがドバっと付いたよ、あのブース、生きてる?』
問いかけた瞬間、今度は柴田派のブースのガラスが、フードプロセッサーの誤作動により、中からの爆発したように真っ黒に染まった。
『ひえぇっ』
『なにやってんの?ここは化学実験室じゃないわよね』
そんな中、有賀派のブースからも、もの凄い黒煙が上がっていた。
「おい武藤! 煙だ! 換気扇はどこだ!」
白いワイシャツの両袖を捲り上げ、フリル付きのエプロンをした有賀が、目に染みる煙と戦いながら叫ぶ。
「ど、どれだ? 換気ボタンが多すぎる!『強』か、 それともこの『24時間換気』か?」
「そんなちまちました換気でこの国家の危機が救えるか! 男なら一番強いやつを押せ!」
大河原の檄が飛ぶ。
「はっ!」
パニックになった武藤が勢いよく叩いたのは、換気ボタンではなく、ガスコンロの『全バーナー一斉点火・最大火力』のボタンだった。
ゴオオオッ!!
とブース内の全コンロから火柱が上がり、大理石のワークトップを真っ赤に照らす。
その様子は、外のすりガラス越しには”謎の赤い光と激しい爆発のシルエット”として映し出されていた。
スタジオの阿鼻叫喚は最高潮に達する。
『なにやってんのっ!?家事で火事を起こす気?!』
『上手い!鈴木、品川さんに、座布団持ってきて』
「総理、笑点ではありませんよ」
鈴木がこそっと注意をした。
隣の三井派ブースで、フライパンで見切り品のひき肉を炒めていた三井が、ガラス越しに見える隣の爆炎に思わず手を止めた。
「……ほう。有賀派は、爆炎作戦に出たか。あのような大火力をコントロールするとは、隠し味に何を仕込んでいるのやら……気が抜けませんね」
三井は勝手に深読みし、手際を速める。
ひき肉に、にんにく、しょうが、ねぎを入れて炒め、香りが出たところに豆板醤を加えてさらに炒めた。
甜麵醬を溶かしたスープを加え、煮立たせたところに賽の目に切った豆腐を加えた。
三井は傍にいた人物へかき混ぜるように支持して、調理台に立つ。
トントントントン、と美しい包丁の音が響いた。
『美味しそうだよね』
『くっ、悔しいけど認めるしかないわ』
神崎の言葉を受けて、口惜し気に品川が言った。
その美しい音を換気ダクト越しに聞いた有賀派は、さらに精神を追い詰められていた。
鍋の中には得体の知れない物体が、どろっとした真っ黒な液体の中、ぼこぼこという音をたてながら、煮込まれていた。
「有賀、聞こえるか。隣から小気味いい包丁の音が聞こえるぞ」
俎板に包丁を突き刺したまま、腕を組んで微動だにしていなかった大河原が、重々しく口を開いた。
「……三井め、我々を嘲笑っているな。武藤、有賀、我が派の威信にかけて、奴ら以上の『音』を出せ! 音量で負けるな!」
「分かりました!!」
もはや料理を作ることを諦めた武藤は、空のフライパンを両手に持ち、オタマで激しく叩き始めた。
有賀は両手に鍋蓋を持ってシンバルのように鳴らす。
ガシャガシャ
シャーンシャーン
有賀派のブースから、もはや調理とは思えない激しい金属音が響き渡る。
大河原は鍋を前に直立不動、 有賀は鍋蓋シンバルを、武藤はフライパンを楽器のように打ち鳴らす。
三井派を威嚇するようだった。それは、まるで、これが政界の不協和音だ!と表していた。
『や、やめて、お腹が、背骨が痛い……ひぃひぃ」
品川が手元のモニターを見ながら、お腹を抱えて大爆笑している。
『有賀派は、なにを作ってるんだろうね』
『ひぃひぃ……な、なにかしらね……やめて、笑い死にそうよ……』
『各派閥が作った料理を味見しないといけないから、気になるな』
『えっ!』
品川の笑いがぴたりと止まった。
『ちょ、ちょっと、聞いてないわよそんなこと!?』
『コンテストなんだよ。順位をつけるんだから、各派閥が作った物を食べないとね」
『……』
品川の顔色が真っ青になった。
『いまから、入院給付金の増額できるかしら……』
司会者が気の毒そうに硬直した品川を見た。
腕時計を見ていた鈴木が、神崎に声をかけた。
「総理、そろそろキッチンエリアへ移動してください」
「わかった」
神崎がキッチンエリアへ向かった。
開いた解説席に鈴木が座った。
神崎のブースに設置されていた調理台の上には、しめじ、じゃがいも、玉ねぎ、薄切りの牛肉が置かれいた。
「どうしようかな……テッテレッテテ、総理は秘書に聞くカードを使った!」
『はぁっ、なにゲームの効果音つけてるんですか』
「鈴木、なに作ったらいい?」
「カレー一択です。市販のカレー粉が調味料の中にあるのでそれに作り方も書いてあります。いいですか、余計なことをせずに、書いてあるとおりに作ってください。玉ねぎは白い……」
「途中で切れちゃったな……まぁ、どうにかなるかな」
神崎は市販のカレー粉の箱を見つけると、読み出した。
計量カップに書かれている水を量る。
じゃがいもを洗い、そのまま適当に切った。
『皮剥いて!食べるの身になりなさいよ』
文句をつけている品川に鈴木が冷静に言った。
『洗ってあるので食べれます』
『そういう問題?!』
『他の派閥に比べればマシです』
『そ、そうね。皮くらいじゃ死なないものね』
品川は妙に納得してしまう。
神崎は玉ねぎを切っては、
「涙が出るよ〜」
と言い、
「しめじの石づきって取った方がいいのかな?下の方の固まってるところだけ取っとこ」
と勘だけで正解を選択していた。
鍋で材料を書かれた時間煮込み、火を止めてカレールーを投入する。
再び、火をつけて、お玉でかき混ぜた。
食欲をそそるスパイシーな香りが漂ってきた。
「できた。総理カレーです」
カメラにカレーと一緒にドヤ顔を向けた。
食卓に並ぶのは放送事故寸前の器に盛られた料理の品々。
焦げて食材は何だったのか分からない皿と豆腐が丸ごと入った味噌汁。
アンモニア臭と硫黄臭が入り混じった臭いを発している皿と大根擦り。
何を入れたらこんな色になるんだろういう紫色の液体の皿と水切りがされていないサラダ。
それ絶対生焼けだよねとツッコミたくなる鶏もも肉と人参のぶつ切り。
麻婆豆腐と卵スープ。
しめじカレー。
それを見た品川の喉が一部の皿の恐怖にごくりと音をたてた。
「総理、一部不穏なものが混じっているわ。危機管理の観点から止めることを提言します」
「慣れない議員のみんなが、一生懸命に作ってくれたんだよ。ありがたく食べないと駄目じゃないかな?」
「くっ、反論しずらいことを……」
「はい、スプーン。行くよ、品川さん」
有賀派の黒焦げ料理に、神崎は「苦い」と顔をしかめた。
大久保派の刺激臭を放つ一皿には、二人そろって涙目になる。
柴田派の紫色の液体と、植山派の生焼けの鶏肉には、品川の容赦ない駄目出しが飛んだ。
そして三井派の麻婆豆腐と卵スープを口にした瞬間、神崎と品川はそろって黙り込んだ。
「……美味しい」
「悔しい。なんで美味しいのよ」
「経験値の差ですね」
と言い、品川をさらに悔しがらせた。
神崎の作ったカレーは参加者全員が口にすることになった。
「普通に美味しい……」
品川がぼそっと言ったのをきっかけにそれぞれが「美味いな」「美味しい」と評価をした。
「総理は料理ができるのか?」
と大河原が聞いてきた。
「初心者だからアドバイスに従って、余計なことはしないで指示通りに作っただけです。手を加えるのはちゃんと理解してからだと」
「基本を疎かにしては駄目だということでしょうか。含蓄がありますね」
三井が目を細めて言った。
「さて、皆さん。家事をしてどう思われましたか?ぼ……私は家事をしてくれる女性は凄いなぁ、家事ってたいへんだなぁと思いました」
議員たちの口から感想が次々に上がる。
「確かに……」
「買い物も買い物も洗濯も想像以上だった」
「ゴミの分別だったか……あれは何だ?あんなに細かく分けるなんて知らなかったぞ」
「家事は戦いだということが身に染みたよ」
「それを毎日です。女性は家事を毎日しています」
品川が静かに言った。
「経験してみて初めて分かることがある。これを通じて派閥のトップのみなさんには下のみんなさんに教えてあげて欲しいと思います。今日はありがとうございました」
会場に拍手が起こった。
『主婦って大変だったんだ』
『総理、ありがとう』
『品川大臣の毒舌サイコー』
『ピンクのエプロンオジサン草』
『総理の目に見えたあざとい手腕』
『神回』
『議員が料理草草』
『武藤さん頑張れ』
『三井つええ』
『神崎カレー普通に食べたい』
SNSの反応は概ね好評、視聴率も四十パーセント以上を叩きだし、放送したテレビ局からは「ぜひ、またお願いします」とメッセージが届いた。
下落していた女性票も回復傾向にあり、無党派層の支持が民自党に入ってきていた。
赤阪の料亭、『洗心亭』の奥座敷。
床の間の掛け軸の前には季節の花が一輪活けられていた。
「大河原先生、持ち直すどころか、伸びてますよ」
武藤がタブレットの画面を大河原に見せた。
大河原の口元が微かに上がる。
「よし、このまま選挙に流れ込むぞ。有賀、用意はいいな」
「候補者はもう選んであります」
「鈴木、ハーゲンダッツは?」
神崎が総理の椅子をくるくる回転させながら鈴木に尋ねた。
「椅子を回した遊ばない!」
「頑張ったご褒美は、やっぱりハーゲンダッツだよ」
「なにを仰っているのやら。ありませんよ、そんなもの」
一刀両断だった。
「鈴木横暴!」
「大根ウルフを閣議室の椅子に座らせたことで相殺です」
「ちょっとした息抜きじゃないか」
「そのせいで私の胃壁がコンマ一ミリ薄くなりましたよ」
衆議院任期満了まで、あと三十日。
選挙地獄がこれから始まる……




