第三十六話 大公女の企み
朝の鐘が鳴り、ライラがイセリアの部屋に向かう。
「リア様、おはようございます。本日はどうされますか?」
「おはようライラ様! 今日はあの草原で馬に乗りたいわ! それと、ここに農園はないのかしら?」
「農園ですか?……畑は芋ぐらいしかなくて見るようなものでは。果樹園なら、今苗木を植えている所ですよ」
「そうなの! じゃあ一緒に植えましょう」
「え……リア様がですか?」
「そうよ、私は菜園も持ってるし、土いじりが好きなの。でもドレスしか持ってきてないから、服を貸してもらえるかしら?」
素朴ながらも高そうなふわふわのドレスをつまみながらイセリアが言う。
「……ごめんなさい、私もこのローブの他はゴブリン製の服しかなくて……」
「ゴブリンの服!? 見せて見せて」
「じゃあ……メイド、持ってきてくれる?」
「キィ」
メイドが頷き、とてとてとライラの薄青いワンピースを持ってくる。イセリアの侍女がそれを受け取り広げた。
「リア様、こんな丈では足が丸見えです」
「見た目は素朴で好きだけど……ライラ様はこんな格好で平気なの?」
「まぁ慣れといいますか……どうせここではゴブリンぐらいしか見る人もいませんから」
「じゃあせっかくだし……試してみよっかな?」
イセリアは服を気に入ったが、結局侍女がそれを許さず、ヤクール族の布を腰巻にして念入りに足を隠した。
――
「今日のリア様の予定ですが、乗馬と果樹園の見学をされたいそうです」
ライラは家臣らと朝食をとりながらヴィクトルにイセリアの様子を伝えた。
「あぁアロを貸そう。ところで……あの人いつ帰るんだ?」
「それはまだなんとも……替えの服も少なそうですし……すぐ帰ると思いますが」
「大公の娘が着替えも無く、こんな辺境に? まさか家出じゃないだろうな」
困ったようにヴィクトルの眉が下がる。
「付き人がいるのにそれはないと思いますが……ただ、ジュナイブにいない事が公になれば……」
「……誘拐扱いされてもおかしくないな」
ゴクリ、息を呑む二人。
「ヴォルフ、イセリア様の護衛と監視についてくれ。帝国籍のお前なら多少は窘めても大丈夫だろう。なるべく早く帰るよう伝えてくれ」
「了解しました。ヴィクトル様は?」
「オレは爺とゴブリンの監督だ。悪さしないよう一匹残らず見張っておく」
「わかりました」
「それと、アイナ」
ヴィクトルがフォークでアクアライナを指し示した。
「はい」
「ジュナイブで買い物したいと言っていたろ。念の為、あっちで騒ぎになってないか確認してきてくれ」
「やった! じゃあ馬をお借りしますね」
アクアライナはるんるんと厩舎に向かい、出立した。
――
ヤクール族の毛織物を腰巻に、草原でヴォルフと乗馬を楽しむイセリア。
「ところでイセリア様。こちらへはいつまでご滞在予定でしょうか?」
馬を引きつつ、ヴォルフが尋ねる。
「うーん、決めてないけど、まだヴィクトル様の活劇譚が途中なの。全部聞くまでは帰らないわ」
「そうですか。しかし、本来はジュナイブに泊まられる予定だったのでは?」
「……うん」
イセリアの顔が僅かに曇る。
「お早く戻らねば、大公妃殿下もご心配召されましょう。もし黙ってこちらに来ているというなら……」
「まさか、お母様に言いつける気?」
「私は皇帝陛下に仕える帝国騎士です。必要とあらばお伝えせねばなりません」
物怖じせず、凛として語るヴォルフ。
「いや……お願い、内緒にして」
懇願するようにイセリアが願う。
「そのお約束をするには、目的を明らかにしていただく必要があります」
「それは……」
「それは?」
「……行きたくないのよ、フランツに」
「いつ、どのような理由で?」
ずいっとヴォルフの顔が迫る。
「そんなに急かさないでよ!」
「申し訳ありません。性分なもので」
「もう……三日後、ジュナイブからフランツ行きの列車に乗って、お嫁に行くの」
「……そうでしたか。それでこのような国境まで」
「これが最後の旅行なの。お願い、自由に楽しませて」
「……畏まりました」
その後、イセリアは果樹園に向かい、ライラとともに手を泥だらけにして苗木を植えた。ヴォルフはその様子を静かに見つめていた。
――
イセリアらが温泉に向かう時、ヴィクトルはヴォルフから報告を聞いた。
「輿入れ前だったのか……。それで付き人も従っていたんだな」
「そのようです。いかがされますか?」
「三日後と言ったな。で、あれば明日の夜にはお帰りいただこう。それまではせいぜい楽しんでもらえるように努力しよう」
「わかりました」
その夜、ヴィクトルはイセリアが満足するまでライラと共に語り合った。
そして――
その日の夜が更ける頃、ヴィクトルは緊急で家臣を招集した。
「アクアライナがジュナイブから帰ってこない……遅すぎる」
「もしかして道中、襲われたのでしょうか……」
不安そうにライラが言う。
「あれでも魔導師だ。並の相手に後れはとるまい。馬の故障か事件か……何らかの理由で、ジュナイブから戻れなくなったと考えるべきだろう」
「いかがなさいますか?」
ヴォルフが率直に問う。
「夜通し松明をつけ帰城を待つが……それでも戻らなければ朝一で確認に向かおう」
「では私が。ヴィクトル様はイセリア・アンティローネ様をお願い致します」
「ああ……これがイセリア様絡みで無ければいいが……」
その夜、アルゴ砦は火を灯し続けたが、朝になってもアクアライナは戻らなかった。
――
ヴォルフは日が出るより早く、ジュナイブへ向かって出立していた。
――ダカッダカッダカッ
アルゴ砦からジュナイブへの緩やかな下り道。黒鉄の騎士が朝焼けの湖畔を黒馬に乗って駆けていく。
昼前にはジュナイブへ到着したものの、城門は固く閉じられ、各地の商隊が門前で抗議をしていた。
「これは……何が起きているんだ?」
ヴォルフは商人の一人に声を掛けた。
「なんでも、今日輿入れに向かうはずの姫さんが行方不明なんだと。見つかるまで、誰も出られないってさ。待ってりゃ入ることはできるそうだが」
「なん……だと……」
即座に踵を返すヴォルフ。だが、馬の息は上がり疲労している。
「誰か、活性の水を売ってくれ!」
ヴォルフは金貨を掲げて叫び、我先にと商人が差し出したポーションを馬に与える。
馬がいななき、体力が満ちる。
「西南の風よ!」
呼び声とともにヴォルフの魔力が解放される。
「疾く吹き抜け、我が道を切り開け!」
追い風が馬を加速させ、前を切り裂く風がその身にかかる風圧を消していく。
「急ぎ戻っても夕暮れ……ヴィクトル様が早急に殿下を帰らせてくれていればいいが……」
黒鉄の騎士は銀の髪をなびかせて、往路よりも速くアルゴ砦へと駆け抜けた。




