第三十五話 大公女と黒鉄の騎士
「……リアさん、改めて本名をお伺いできますか?」
騒然とする主砦の騒ぎを聞きつけたヴィクトルは、会議室へ場所を移してイセリアに尋ねた。
「……イセリア・アンティローネ・フォン・イゼルと申します」
しょんぼりしながら麦わら帽子を脱ぎ、本名を名乗る黄色い令嬢。
「はわわわわ……」
ライラはどうしていいか分からず、イセリアの隣であたふたしていた。
「爺、オレにはイゼル帝国の皇帝を担う大公家の家名に聞こえたのだが……」
「奇遇ですな、わしにもそう聞こえました。ちょうど帝国騎士だったヴォルフもおりますので確認してみましょう」
「……イセリア・アンティローネ大公女殿下は、皇帝陛下の十三番目の御息女です」
銀髪長身のヴォルフは淡々と答えた。
「大公家どころか、現皇帝の娘……」
ヴィクトルの顔からサァッと血の気が引いていく。
「大丈夫大丈夫! 皇室はお兄様だけだし、十三番目だから余りみたいなものよ」
「さすがリア様、冗談にも知性がにじんでおられる」
「おっしゃるとおりです。ささ、みなさんお菓子でもどうぞ」
付き人がそっとチョコの染みた焼き菓子やドライフルーツのパイが詰まった箱を差し出した。
テヘヘと笑うイセリアと付き人に、ヴィクトルは苦笑しながら頭を下げる。
「……知らなかったとは言え無礼の数々、心よりお詫び申し上げる」
「いや! そういうのやめて!」
「そうは言っても殿下、ここは帝国領外。ことが拗れれば外交問題になります」
「そうなの? ジュナイブは帝国領でしょ?」
「リア様、ジュナイブ周辺は国境です。扱いがややこしいので触れないほうがよろしいかと」
ヒソヒソと付き人が言う。
「えーっと、よくわかりません!」
「……念の為確認しますが、視察や外交ではないんですね?」
「はい、神に誓ってただの観光です。ジュナイブに泊まってることになってるので、お兄様たちも知りません」
その言葉をどう捉えるべきか。ヴォルフは密かに悩んだ。よもや初日から爆弾を抱えてしまったのではないだろうかと。
「……本当にお忍びと言うことですね。でしたら、知らなかったことにします……皆もそれでいいな?」
「は、はい」
ライラが答え、家臣らもそれに応えた。
「それでは、イセリア・アンティローネ様の本名と身分については、エセル教会の教えに則って秘匿の義務を課す」
「神に誓って、秘匿の義務を守ります」
ライラに続き家臣らも誓い、イセリアはそれをとても喜んだ。
――
イセリアらが個室に向かい、ヴィクトルはヴォルフと対談の場を設けた。
「はー……びっくりした。久しぶりなところ悪かったな、ヴォルフ」
「いえ、私も迂闊でした。まずご本人にご意向を尋ねるべきでした」
「それで、帝国を蹴ってこちらに来てくれたと聞いたが……」
「いえ、まだ帝国軍に籍を置いております。確認が必要でしたので」
「ほう、なにをだ?」
ヴィクトルの片眉が上がる。
「私も歴で言えばもう帝国軍の方が長い。帝国に仇なすつもりであれば、誘いをお断りさせていただきます」
「当然だな。安心しろ、そこまで愚かではない。その気があれば大公女殿下を誘拐している」
「ええ、安心しました。それと、ゴブリンの存在です」
「うむ」
「ゴブリンは討伐対象の魔物。それを兵とする事の真意を確かめたい」
「真意か……それはなんとも言えんな。実利だけで言えばゴブリンは兵として安価だからだ」
「……実利のほかは」
「皆殺しより、共に生きることを選んだ」
「……魔物との、共存ですか」
「オレは害あるゴブリンを斬ることにためらいはない。敵を斬る時と全く同じだ」
ヴィクトルは続けて言う。
「だが投降し、服従する者、そして無抵抗なゴブリンを斬るつもりも無い。捕虜や女こどもを斬らない理由と同じだ」
「私も巣穴を全滅させる時、呵責がないわけではありませんが……」
「理解せよとは言わんが、ここのゴブリンは全てオレの庇護下だ。悪さするものもいるが、度を越さない限りただ躾けている」
「その先に、何を見てらっしゃるのですか?」
「……正直わからん。いまはこいつらを食わせるので精いっぱいだ。その先が気になるならお前のその目で確かめろ」
「……では、帝国籍のまま勤めてもよろしいでしょうか?」
「は……? それは二重籍では?」
「上官の許可は取っております。その代わり、アムズフェルトが帝国や人類に仇なす存在なら報告せよと」
「お前……それ諜報だろ、なんで言うんだよ」
ヴィクトルの表情が困惑に歪む。
「伝えれば、害をなさないかと思いまして」
飄々と答えるヴォルフ。
「バカ正直にもほどがある……そういえばお前そんな性格だったな」
「はい、特技は正面突破です」
誇らしげに答えるヴォルフ。
「……気に入った、良いだろう帝国騎士ヴォルフ・ファランス。曇りなき眼でオレの行く道を見定め、違えればいつでもこの背を貫くがいい」
「拝命致しました。ヴィクトル・アムズフェルト閣下」
ヴォルフは跪き、臣下の礼をヴィクトルに行った。
「……ところで、帝国騎士としてイセリア・アンティローネ様の事はどうするんだ?」
「私もこの事を帝国に報告すべきなのか悩んでおります」
「……関わりたくないから内緒にしとこう」
「そうしましょう」
――
主砦の個室、イセリアの部屋は夜が更けても煌々と燭台の火が灯っていた。
「ねぇねぇ二人とも」
「なんでしょう、リア様」
イセリアの頬に乳液を塗りながら、侍女が応える。
「どうしたら私、外国に行かなくても良くなるかな?」
「……それは陛下のご意向ですから」
「帝国内で良い輿入れ先を探されては?」
扉のそばの護衛騎士。湯上がりの素顔は女と見紛う美麗な男。
「私の意見なんて、お兄さま達は聞いてくれないわ」
「なんとおいたわしい……」
「例えばなんだけど――」
イセリア・アンティローネ・フォン・イゼルは、悪戯な笑みを浮かべて言った。
「強盗騎士が私を誘拐するとか、どう?」




