第6話 あの公園で
湿り気を帯びた街の中を静かに進む。歩行者の群れを抜かしつつ、急足でオフィスまで戻った。原稿の〆切が徐々に徐々に迫っている。上司が此方に向かってきて、「書けそうですか?」と一言だけ。顔に作り笑いを浮かべながら「出来ますよ」という返事をするのが精一杯だった。
デスクに戻る。拒む指を無理やり動かして、原稿に取り掛かった。『静川市の18歳の女子生徒の遺体発見。自宅にて自殺か』……そう見出しを打って、本文へと移る。
「4日前の午後4時18分、静川市の住宅内でこの家に住む高校生の女子生徒(18)が死亡しているのが発見された。警察によると一切の外傷はなく、自ら毒を飲んで命を絶った可能性が高いとして捜査に当たっている。学校長は、『交友関係などのトラブルはなく、至って普通の生徒であった。今回の一件は非常に残念な事であり、今後は生徒との関わり方を改めてこのような事態を未然に防ぎたい。』とコメントを残した。」
当たり障りのない文言がつらつらと並び、そこには一切の感情が入らない。20分程で確認まで終わった。上司に確認を取ろうと席を立つ。パソコンの音だけが無数に響く社内で、珍しくコツコツと音が鳴る。そのまま奥の方にある上司の席まで来た。
「お忙しいところ失礼します。原稿の確認お願いします。」
目で追えないほどの速さでサーっと一通り流し読んだようで、十数秒で確認された。
「うん。大丈夫そうですね。じゃあこのまま編集部の方持って行ってください。」
驚くほど手早くその検閲は済まされた。キーボードの音に埋もれてデスクへと戻る。デスクにいっても、息をしている様子もない、退屈そうなパソコンがあるだけだった。そのまま編集部の方へと原稿を送る。始めの頃は手間取ったものだが、今になると、普段なら鼻歌でも歌いながら原稿を送信できる。普段なら。画面に反射した顔はいつになく真剣で、自分でも驚いた。
世間ではすでに琴葉に関するニュースは流れている。これもきっと、他のものに紛れて流される。特別気に留めることすら何もないようなもの。スタンドランプはいつもより懸命にデスクを照らす。その頑張りを無視するように、パソコンは冷たいままで置き去りにされていた。やるべき仕事が他にも溜まっている。最近結婚した芸能人の状況、最新の名作映画の情報、大学が発表した研究の概要。期限が近い訳ではないが、やるべきことは数え切れない程ある。一つ一つに真剣に、かつ、淡々と向かう。エンターキーの音は平生よりも小さかった。
名前しか聞いたことのないくらいの芸能人が、同じく殆ど知らない芸能人と結婚した。記事だけではなくその事実にすら、俺の感情は介在しない。指はさっきよりもずっと素早く動く。何を書いているのかも頭で認識せず、記事を量産する機械としてただメモの通りに書き連ねる。
気がつくと、西から陽が差し始める時間になっていた。同僚は次々とこの重苦しい空間から逃げ出していく。隠れるようにそこから抜け出した。阿呆、阿呆と、烏が鳴く。駅に行ったけれど、着いたのは家に向かう方とは反対のホーム。気がつくと其処に居た。そのまま何事もなく電車に乗り込み、見慣れた駅へと着いた。太陽に向かって長い一本道を歩く。その足取りに迷いはなく、一歩一歩が自信に溢れている。他人行儀だった家達も、今では慣れた客人を出迎えるような面持ちで両脇に佇んでいる。
ゆっくりと歩くと、左手に琴葉の家が見えるところまで着いた。ここから二つ隣、琴葉の家よりは少しばかり小さいといったほどの、綺麗な家が見える。足が進むスピードはさっきよりもずっと遅い。一歩を踏むたびに迷いが生まれ、その度に夕陽に背中を押される。なんとかして進み切ると、「蒔田」という表札が掛けられている。
インターフォンに手が伸ばせない。その家の前で立ち尽くす。温かみのある煉瓦の屋根が綺麗な家だが、周りの家とは異なり圧倒的な威圧感を放つ。どうにも足がすくんだ。空は端の方から茜色に染められる。夕陽は、これでもかと頬を照らしてくる。そのまま、なんとかインターフォンへと手を伸ばした。ピーンポーン……はっきりとその音がなった。何かが途切れるような音と共に、女性の声が聞こえてくる。
「どちら様でしょうか……」
「静川新聞の記者をしている村山と申します。蒔田蓮さんのお宅でお間違いないでしょうか。」
「え、あ、蓮は我が家の息子ですが。何か御用ですか?」
インターフォン越しでもわかる不安げな声。空は少しずつその茜色を強くしている。
「蓮さんに尋ねたいことがございまして。今いらっしゃいますか?」
「蓮に……もしかして、琴葉ちゃんの事ですか?」
「はい。琴葉さんのことについてお尋ねしたいなと。」
心臓が騒がしい。まるで、街の喧騒が一点に集中しているよう。
「わかりました。すぐに呼んで来ますので、少々お待ちください。」
漸く、蓮に逢える。扉が開く音がした。その瞬間、時の流れは遅くなる。ゆっくりと、空気を掻き分けるように扉が開く。重くのしかかる空気を押し除けて、制服のままの高校生がそっと立っていた。
「俺が蓮です。何か御用でしょうか?」
印象の良い青年が其処にあった。細いながらも筋肉があり、俺と丁度同じくらいの背格好。少し困った様子の眉を浮かべ、優しい顔をしている。
「突然押しかけてしまって申し訳ないです。取材の関連で琴葉さんのことを尋ねたくて。少しお時間良いでしょうか。」
「今からなら大丈夫ですよ。少し場所を移動しますか。」
そう告げられて、玄関から此方にやってくる。磨かれたローファーを履いて、二人で家に背を向けた。
「何処に向かおうとしているんですか?」
「人気の少ない公園にでも行こうかなと。よく琴葉と一緒に行ってました。5分くらい歩いたらすぐ着きますよ。」
そう言われて茜色の街を歩く。奥の方ではひっそりと月が見えた。太陽は沈みきっておらず、その輝きはまだはっきりとは見られない。蓮は俺のことを気にもせず道を進んでいく。その背中は高校生とは思えないほど堂々としており、安心感さえあった。そのままついていくと、少し薄暗い通りに入る。奥にはうっそうとした木々が林立しているのが見えた。草木を掻き分けるようにその道を進んだのち、公園へと入る。少し錆びたブランコや鉄棒、小さな砂場などがある。お世辞にも綺麗な公園とは呼べないが、何故か懐かしい気持ちに襲われる。蓮にこっちですよと呼ばれ、近くにあったベンチの方へと移動した。落葉を手で退けて、そのベンチに座る。見た目通り温もりはなく、冷感が心地よい。
「それで、村山さん……でしたよね。村山さんは、俺に何を聞きに来たんですか?」
「実は、有難いことに琴葉さんの遺書を読ませて貰ったんですよ。そこに君の名前が書いてあったから気になったんです。琴葉さんにとって、蓮くんは特別な存在だったのでしょう?きっと、あなたから見た琴葉さんと同じで。」
そう告げると、蓮の顔は空と似たような赤に染まった。
「でも、遺書を読んだのならそれで殆どわかったんじゃないですか?俺は琴葉が亡くなってしまってすごく苦しい。琴葉のことを話すことはできますけど、きっと琴葉の母さんに聞いた方がいいですよ。」
「そうなんですけど、君にしか聞けないことなんです。これはまだ、琴葉さんの母親には伝えていないのですが、僕は……琴葉さんの死に、他の誰かが関わっているんじゃないかと思っています。」




