第3話 赤い校長室
太陽は先ほどよりも低い位置にあり、今にも沈もうとしている。あの後オフィスの方に戻ると、上層部からの指令も出て琴葉が通っていた高校の校長の話を聞くことになった。
家に帰っても、あまり眠れなかった。翌朝に目が覚めると、優しい朝日に出迎えられる。空には一点の曇りも見られない。重たい電車に揺られて、琴葉が通っていた高校へと向かった。暑苦しさで、思わず咽せるような車内だった。高校の最寄りの駅から7分ほど歩くと、住宅に隠されるようにして5階建ての大きな校舎が顔を出す。少し古びた雰囲気を醸し出しており、所々に錆が目立つパイプがある。僅かな凹凸を帯びた石で作られた道を進むと、大きな正門まで辿り着く。
「記者の村山と申します。事前に連絡差し上げた通り、貴校の校長に取材させて頂く次第です。」
「お待ちしておりました。中までお入り下さい。」
インターフォン越しに会話を交わす。渋い声の男性の教師だった。そのまま校舎に入ると、校長室、と書いた部屋まで案内される。外見からは想像できないほど丁寧に廊下は清掃されていたし、生徒達も特段変わった様子は見せていなかった。清掃をしたばかりなのか、床はほんのりと湿り気を帯びている。何の変哲もない日常が通り過ぎていくだけで、教室を一目見たけれど先生も生徒も困惑してる様子すら無さそうだ。
校長室に入った。眼鏡をした中肉中背の校長が出迎える。堅苦しい部屋で、壁の上の方に歴代の校長の肖像画がある。珍しいものだ。本革を使った血赤色のソファへと案内される。今日の為に磨いたのか、光が当たって少し眩しい。思わず目を細めてしまった。そのまま促されるようにして席につくが、気まずい沈黙が収まる様子はない。重い空気を押し除けようと無理やりに口を開く。
「貴校の木岡さんについてなのですが……」
手探りでメモを取り出す。滑って上手く取り出しにくい。慣れた手つきでペンを構えるが、力が入りメモ帳のページに大きく線が入った。そのまま一枚破り、ページを捲る。
「今回の件は非常に残念です。私達教員側の管理不足でもあると、非常に反省しています。」
額からは脂汗が滲んでいた。咽の奥から振り絞るようにして声を届けてくる。
「学校の評判にも関わってくると思われるのですが、保護者や地域の方々に対してはどのように対応されるのでしょうか。」
「今回の件に関しては、包み隠さず私達の本心を伝えようと思っています。教員が心の内に抱えていた思いを感じ取ることができず、救うことができなかったと。」
「了解です。木岡さんについて、やはり以前から何か思うことがあったのですか?」
校長の後ろで、白いカーテンが強く風に揺られるのが目に入る。窓は開いたままで、外から生徒の声が漏れて聞こえてくる。
「いえ、特別な事情はございません。至って普通に生活をしていたと把握しております。」
「学校を休みがちだったとか、交友関係に問題があったとか、何か個人的な問題を抱えていたのではないのですか?」
「特に問題はございません。木岡さんのことに関しては、プライバシーもありますのであまり深くはお伝えできませんが。」
窓のことに気づいたからか、動きだして窓を閉める。カーテンも漸く動きを止めた。メモを取る手は殆ど動かない。校長の姿が段々と大きくなっているように見える。
「本当に木岡さんは、一般的な生徒であったという認識で問題ないのですね?」
「何度も言わせないで下さい。木岡さんは交友関係も広く、普通の生徒でしたよ。」
「分かりました。では続いてになりますが、どうして木岡さんが自ら命を絶ったのか、心当たりはありますか?」
「いえ、特段ないですね。何故亡くなってしまったのか、心が痛みます。」
徐々に早口になる。校長が、ぐっと胸の辺りを抑えつけ始めた。メモを取る手を動かしながら、その様子をじっと見る。自分の高校の生徒が亡くなったというのに、校長の発言が腑に落ちない。
「やはり木岡さんに何かあるのではないでしょうか。密かに虐められていたとか。」
「何度も言いますが、私達は把握しておりません。あの子には、なんの問題もありませんよ。これ以上聞くなら、お引き取り願います。」
「申し訳ございません。これ以上は踏み込まないように致します。」
言葉には、文字通り棘があった。そのまま、殆ど何も聞くことが出来ずに取材は終わりを告げる。琴葉に関する情報は、全く手掛かりが掴めない。得られた事は、学校側は俺への取材とほぼ同内容のことを、包み隠さず世間へと伝えるということだけだ。
作り笑いを浮かべて、校長室を去った。時計の針は、漸く半周をしたかという程の時間。記事に出来そうなことはまるでない。このまま帰っても何も収穫がない。
昨日と同じ静かな住宅街を抜けて、インターフォンを鳴らす。車が通ることすらなく、鳥の唄がはっきりと聞こえる。もうブルーシートは片付けられて、家は背景に溶け込んでいた。玄関が開くと、傍からみると優しそうな母親が顔を見せるが生気は全く感じられない。
「傷心中のところ申し訳ないのですが、少しだけお話を伺っても宜しいでしょうか……」
「少しだけなら……」
「ありがとうございます……」
なんとかもう少しは話が聞けそうだ。校長の話をそれとなく伝える。
「娘さんは、本当に突然亡くなったのですか?」
「いえ……普段から苦しそうにしていました。本当に、あの子だって一生懸命に生きていただけなのに……」
大粒の涙が頬を伝って、玄関口に染みを作る。ぽろぽろと、止まる様子はない。
「娘さんは、虐められていたり……何かあったのですか?」
できるだけ傷を深く掘らないように、優しく猫を撫でるように、そっと質問する。その声を聞いた琴葉の母親は、何も言わずに部屋の中の方へと向かう。その足に、迷いは見られなかった。拳をぎゅっと握ると、爪が皮膚に刺さる。重たい静寂がのしかかってきた。声は聞こえないのに寧ろ、耳に入ってくる情報が多くなった気さえする。口を開こうとしたとき、母親は俯いたまま此方に歩いてくる。手には何か白い紙のようなものを持っている。
「これ……ことちゃんの遺書です。貴方なら信頼できるので渡しておきますね。ことちゃんのことも凄く心配して頂いてるようですし……」
言葉に詰まりながらなんとか語りかけてくる。目にはこれでもかと涙が浮かんでいる。言葉を紡ぐようにして語りかけてくる姿を見て緩んだ涙腺は、戻らなかった。
「僕が読んでもいいのですか……?」
「あなたが読んでくれたらきっと、ことちゃんも喜んでくれますよ。本気で心配してくれているのも伝わってきますし……」
「ありがとうございます……琴葉さんの遺書、しっかりと読ませて頂きます」
誤魔化すように、無理してハキハキと話した。手にもった遺書を、白菊以上に優しく包み込む。ぼんやりとしか見えないが、凄く綺麗な字で、「拝啓 みんなへ」と書いてある。穏やかな字。これを見るだけで、その為人が見えてくるような。端は少しよれていた。書いているときに、泣いていたのだろうか……
「押し掛けてしまって本当に申し訳ないです。また後日、この琴葉さんの最期の想い、返しに来ますね。」
そうして、現実から顔を背けた。後ろには、いつもと変わらない日常が広がっている。閑静な住宅街で、俺の泣き声がよく響いている。手にそっと持った遺書からは、ほんのりと温もりが感じられた。




