少年との出会い
フィリアと別れた後も、マオの胸のうちはどこかすっきりとしないままであった。あの女の態度が、頭の片隅にこびりついて離れない。
(あやつ、一体何なのじゃ……)
考え込みながら歩いていたせいで、路地の角から飛び出してきた小さな人影に気づくのが遅れた。
「うわっ!」
「――っ」
ぶつかる寸前で、互いに飛び退く。声の主は、まだ幼さの残る少年だった。背には木剣、肩には使い込まれた布袋をかけ、粗末だが清潔な身なりをしている。ちょうどフィリアの家の垣根のすぐそばだった。
「危ねえな、前見て歩けよ!」
開口一番、生意気な口調で言い放たれる。マオは思わずむっとして、腕を組んだ。
「それはこちらの台詞じゃ。お主が飛び出してきたのであろうが」
「あー、悪い悪い。今からフィリア姉ちゃんに稽古つけてもらいに行くとこでさ」
少年は悪びれる様子もなく、ぺろりと舌を出した。それから、まじまじとマオの顔を覗き込んでくる。
「……お前、見ない顔だな。この村の子じゃねえだろ」
「……まあ、な」
「どっから来たんだ? 親は?」
矢継ぎ早の質問に、マオは一瞬言葉に詰まった。素性を詳しく語るわけにはいかない。だが、少年の目に浮かんでいるのは、単純な好奇心以上の、何か覚えのある色だった。
「……親、なんぞおらぬ」
嘘ではなかった。父も母も、もういない。マオがそう答えると、少年の表情がわずかに変わった。
「そうか。……オレもだぜ」
あっさりとした口調だったが、そこには奇妙な連帯感が滲んでいた。
「オレはティオ。この村に拾われたんだ、何年か前にな。お前もそうなのか?」
「妾は、マオじゃ。……拾われた、というほどではないが」
言葉を濁しつつも、マオは内心で戸惑っていた。この少年は、勝手に自分と同じ境遇の子供だと決めつけている。訂正する理由もなかったので、マオはあえてそのままにしておくことにした。
「ふぅん。まあ、いいや」
ティオは深く追及する様子もなく、あっさりと話を切り替えた。この村では、素性を詮索しすぎないのが暗黙の了解らしい。
「で、お前、どこに泊まってんの?」
「村外れの……小さな家じゃ」
その答えに、ティオの目がわずかに見開かれた。
「村外れ?……もしかして、あの勇者様のとこか?」
図星を突かれ、マオは一瞬言葉に詰まる。
「……なぜ、それを」
「そりゃあ、あそこに住んでんの、あの人しかいないもん」
ティオは得意げに胸を張った。
「オレ、この村に来る前からあの人のこと知ってたんだぜ。前に助けてもらったことあってさ」
その一言で、マオの中で何かが繋がった。村人が話していた「勇者の顔を見知っていた村の少年」というのは、目の前の少年のことだったのだ。
「お主が……」
「なんだ? 誰かからオレの噂でも聞いたか?」
「……村の者から、少しな」
ティオは満更でもなさそうに笑った。それから、ふと声を落として探るような目でマオを見た。
「なあ、お前、あの人と何の関係なんだ? まさか、家族とか……」
「ち、違う! そういうのではない!」
思わず声が裏返った。ティオは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は深く聞いてこない。
「まあ、いいけどさ。……なあ」
ティオの声のトーンが、わずかに変わった。年相応の生意気さの奥に、ふと真剣なものが覗く。
「お前、あの人のとこに住んでるなら……たまに、様子見てやってくれよ」
「……なぜ、妾が」
「だって、お前の方が、オレよりずっとそばにいられるだろ」
ティオはそれだけ言うと、気まずそうに視線を逸らした。何か言いたいことがあるのに、うまく言葉にできない様子だった。
「オレ、あの人に色々世話になったのにさ……最近、あんまりちゃんと話せてねえんだ。なんか、気まずくてさ」
その先を、ティオは語らなかった。マオもまた、深くは聞かなかった。この少年の中に、触れてはいけない領域があることだけは、何となく察せられた。
「……ふん。まあ、考えておいてやる」
素っ気なく答えると、ティオはふと思い出したように、肩にかけた布袋をごそごそと探った。
「あ、そうだ。これ、持ってってやってくれよ。近所のおばさんが、勇者様にって持たせてくれたんだ」
差し出されたのは、小さな包みだった。マオはそれを受け取りながら首を傾げた。
「妾が届けるのか」
「オレより、お前の方が近くにいるだろ。干し肉と蜂蜜だって。あの人、ほっとくと飯食わねえからさ」
ティオはそう言って笑うと、木剣を背負い直した。
「じゃあな! また今度、村を案内してやるよ!」
軽い調子で言い残し、ティオは駆けていった。フィリアの家の方角へと、その背中が遠ざかっていく。
その姿を見送りながら、マオは手の中の包みを見下ろした。
(土産の一つは持ち帰れたが……肝心なことは、何も分からずじまいじゃな)
あの腑抜けが、なぜこれほど落ちぶれているのか。フィリアは語らず、村人たちも知らず、この少年もまた何かを隠している。
(まあよい。今日のところは、これで良しとするか)
そう自分に言い聞かせながらも、マオの足取りは、どこか重かった。




