黒焦げのパン
掃除という名の攻防を終えた頃には、二人とも埃まみれになっていた。
慣れない作業と巻き上がった埃に体力を奪われたマオは、床にへたり込み肩で息をしている。一方で、クロードの手によって部屋はどうにか人が過ごせる程度には片付いていた。
クロードは箒を壁に立てかけると、疲れたように寝台の端へと腰を下ろした。
「……ふう」
マオは額の汗を拭う仕草をしてから、はたと気づいたように顔を上げた。空腹を訴えるように、腹の虫が小さく鳴る。
「さて、部屋も綺麗になったところで、朝食にするぞ! いつも何を食べているのじゃ、お主は?」
急に立ち上がり、腰に手を当てて宣言する。もはや掃除に苦戦していたことなど忘れたかのような切り替えの早さだった。
クロードは、寝台の端に座ったまま、気だるげに答えた。
「飯か……。たしか昨日フィリアが玄関前に置いていったパンが、その辺の袋に入ってるはずだ」
「フィリア?」
「……村で世話になってて、時々食い物を置いていくんだ」
マオは言われた袋を探し出し、中から硬いパンを一つ取り出した。両手で持ち、力を込めてみるが、びくともしない。まるで石を握っているかのようだった。
「……これは、本当にパンなのか!?」
「冷めて固くなったんだ。昨日の朝作ったからな」
「時間が経つと固くなるのか!?」
生まれてこの方、焼き立て以外のパンを口にしたことがなかったマオにとって、それは驚愕の事実だった。城で出される食事は、いつでも温かく、柔らかいのが当たり前だったのだ。
「いつもこんなパンを食っているから、そんな生気の抜けた顔になるんじゃ! ……このままでは、歯が折れてしまうぞ」
クロードはこんな硬いものをどうやって食べていたのだろうか。水にでも浸けていたのか――そう思い巡らせながら、マオは手の中のパンを見つめた。
「冷めて固くなったということは、温めれば柔らかくなるのか?」
「……多分な」
「よし」
マオは名案とばかりに指先に魔力を集めた。灯った小さな炎が、じわりと膨れ上がる。
「どれ、温めてやろう」
「……おい」
クロードが止めに入るより早く、炎を纏った指先が、無造作にパンへとかざされた。小さく爆ぜる音とともに、炎が一瞬でパンを包み込む。マオとしてはほんの表面を炙るだけのつもりだったが、彼女は力加減というものをまるで知らなかったのだ。
炎が収まった頃には、パンを見るも無惨な姿に変貌していた。
「ん……?」
マオは、手の中の物体を検分するようにじっと見つめた。
「なんだか黒ずんでいる気がするが……」
明らかに黒ずんでいるどころではない。表面は真っ黒に焦げ、うっすらと煙まで立ち昇っている。だが、マオはそれを深く気にした様子もなく、あっけらかんと言い放った。
「まぁよいか。ほれ、食え!」
差し出された黒い塊を見て、クロードは絶句した。
「……こんな黒焦げのパン、食えるか!」
「なぜじゃ! 温めてやったであろうが!」
「炭になってるんだよ、これは!」
クロードは久しぶりに声を張り上げていた。
マオは不満げに頬を膨らませ、黒焦げのパンをためつすがめつ眺めている。
「……温めるつもりだったのじゃが」
「温めるのと燃やすのは違う」
「うるさいのう! では、お主がどうにかすればよかろう!」
売り言葉に買い言葉で、マオはその黒焦げのパンをクロードの手に押し付けた。クロードは思わず受け取ってしまい、しばらく黙って手の中の炭化した物体を見つめた。
「……何をどうしろと」
「知らぬ! とにかく、まともな飯を出せ! 妾は腹が減っておるのじゃ!」
理不尽な要求だった。だが、クロードはふと、手の中にあるパンの、まだ焦げていない端の部分に目を留めた。
しばらくの沈黙の後、クロードはのろのろと立ち上がった。しばらく足を向けていなかった台所へと、重い足取りで向かう。
「……硬いパンをふやかせば、まだ食えるものが作れるかもしれない」
「作れるのか?」
「昔、多少は……」
言いかけて、クロードはそれ以上語らず、黙って台所への扉を潜った。
マオは特に気にした様子もなく、期待を寄せて後をついていった。
「ほう、楽しみじゃな! せいぜい励むがよいぞ!」
命令するような口調とは裏腹に、その目には隠しきれない好奇心が浮かんでいた。義務でも仕事でもなく、誰かが自分のために手を動かしてくれる――そんな経験は、マオにとっても馴染みのないものだったのかもしれない。
台所に立つクロードの背中を、マオはしばらくの間、黙って見つめていた。




