告白と決別
マオはそれ以上の説明をしなかった。ただ静かに踵を返すと、少し離れた場所へと歩いていった。
膝をついたまま動けずにいるティオの隣に、フィリアが静かに腰を下ろした。見回りから遅れて駆けつけたところだった。
「……フィリア、姉ちゃん」
「無事で、良かった」
短くそう言うと、フィリアはティオの様子に目を留めた。憔悴しきったその顔と、握りしめたままのナイフ。ただならぬ気配に、フィリアは怪訝な表情を浮かべた。
「何があった」
「……腕輪を、嵌められたんだ」
途切れ途切れに、ティオは語り始めた。
「森で、変な奴に囲まれて……頭の中に直接声が響いて……気づいたら、マオのことを悪く言うようなことばっかり喋ってて」
声が震えた。ティオは握りしめていたナイフに視線を落とし、しばらく黙り込んだ。
「地面から何か掘り出して……それをナイフで壊せって、言われるがままにやって……そしたら、急に魔物が」
そこまで言うと、ティオは、深く息を吸い込んだ。
「オレの意志じゃなかった。……でも最後は、腕輪の紐をこれで切って、無理やり抜け出したんだ」
そう言ってティオは、握りしめたナイフをフィリアに見せた。地面には砕けた黒い石が転がっている。
フィリアはそれをしばらく見つめた後、小さく息を吐くと、改めてティオの肩にそっと手を置いた。
「操られていたんだな」
「……うん」
「お前の意志でやったことじゃない」
「でも、オレが勝手に村を抜け出したから……」
「浅はかだった、とは思う」
フィリアははっきりとそう言った。だが、その声に責める色はなかった。
「だが、それと操られて村を危険に晒したことは別の話だ。……お前は、最後は自分の意志でそれを断ち切った。それを忘れるな」
ティオはしばらく何も言えずにいた。やがて握りしめていたナイフをぎゅっと胸に抱え込むようにして、声を殺して泣いた。
フィリアはそれ以上何も言わず、ただその背中を静かにさすり続けた。
クロードはその様子を少し離れた場所から見ていた。だが、ふと足元に転がる何かに気づき、腰を屈めた。
腕輪の紐が断ち切られた、黒い石だった。ひびが入り、禍々しい輝きも今はもう微かにしか残っていない。
(……これは)
見覚えがある気がした。いや、正確にはこの石そのものではない。だが、似たような黒く濁った色の石を、以前どこかで目にした記憶があった。
裁判の日。証言台に立ったアイリスの細い手首。そこに見たことのない腕輪が光っていたのを、確かに見た気がする。
(……アイリスもこれと同じものを)
そう思った瞬間、鼓動がわずかに速くなった。
もし、あの時のアイリスもこうして操られていたのだとしたら。彼女は嘘をついたわけではなく、ただあの声に従わされていただけだったとしたら。
だが、クロードはすぐにその考えを打ち消すように、小さく息を吐いた。
(……いや)
そう思いたいだけなのかもしれない。裏切られた事実を少しでも軽くしたくて、都合のいい理由を探しているだけなのかもしれない。真実はもう、確かめようがなかった。
それに――
(今さら、知ったところで)
たとえ本当にアイリスが操られていたのだとしても、それで失われた時間や負った傷がなかったことになるわけではない。王都を追われ絶望し、この村に流れ着くまでの日々は、変わらずそこにあった事実だった。
クロードは手の中の黒い石を静かに握りしめた。それからそれを懐へとしまい込んだ。答えが欲しいわけではなかった。ただ何となく、捨てる気にはなれなかった。
◇
マオは俯いたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。周りにはまだ、事の次第を見守る村人達が残っている。
意を決したように、マオは顔を上げた。
「……皆に、話がある」
静かに口を開く。その声はいつもの尊大さが嘘のように、硬く強張っていた。
「ティオが言うたことは……本当じゃ。妾は、魔族じゃ。魔王ヴォルドの娘」
その場が水を打ったように静まり返った。誰もが言葉を失っていた。
真実を知るクロードとフィリアは、静かにその言葉を受け止めていた。
泣きじゃくっていたティオも顔を上げ、複雑な思いを隠せない様子でマオを見つめている。
「今まで、偽っておった。すまなんだ」
深々と頭を下げるマオを前に、村人たちの間には動揺の色が広がっていった。
「……魔王の、娘……」
「でも……」
一人の老婆が、恐る恐る口を開いた。
「あんた、うちの畑仕事を手伝ってくれたじゃないか。フィリアちゃんに料理も教わって……あれは、全部嘘だったのかい」
「嘘では、ない」
マオは顔を上げた。
「魔族であることを隠しておったのは事実じゃ。じゃが、共に過ごした日々に、偽りはない」
しばらくの沈黙の後、別の村人がぽつりと呟いた。
「……勇者様が信じてる相手なんだろう」
その一言をきっかけに、村人たちの間にゆっくりと、しかし確かに受け入れようとする空気が広がっていった。
「今さら追い出すのも、な……」
「ティオだって、あの子とは仲がよかったじゃないか」
村人たちの温かい言葉に、マオは深く頭を下げた。
「……感謝する」
その声には確かな感謝が滲んでいた。だが同時に、マオの胸の内では、まったく別の思いが渦巻いていた。
(妾がここにおる限り、また同じことが起こる)
今回のことは、ただの魔物の異常発生ではなかった。ティオを操り、村人たちの信頼を利用してマオ一人を追い出そうとした。それが叶わぬと見るや、今度は結界そのものを破壊しにきた。すべては、マオを狙った意図的な仕掛けだった。
(となれば……)
心当たりは一つしかなかった。人を操る禁呪を用い、こうも回りくどい手段で村ごと揺さぶってくる者など、そう多くはない。
(セレナ)
父の側近だった、あの魔女。魔王亡き今、王位の空白を狙い、実権を握り続けている女。父が死の間際、マオに託した「王の証」――それさえあれば名実ともに魔界を統べることができるという、正統な王位の証。それをマオが持ったまま逃げ延びたことを快く思わぬ者がいるとすれば、それはあの女をおいて他にいなかった。
(村を危険に晒し続けるわけには、いかぬ)




