旅立ち
夜が更けても月は雲に隠れたまま姿を見せなかった。
マオは寝台の脇に膝をつき、羊皮紙の切れ端に文字を綴っていた。震える指先を叱りつけるように握り直し、もう一度筆を走らせる。書いては消し、消してはまた書く。何度目かの書き直しの末、ようやく満足のいく一文が並んだ。
「――これでよい」
小さくつぶやいて、マオは羊皮紙を折りたたんだ。宛先は書かない。誰が読んでもわかるようにすればそれでいい。
隣の寝台ではクロードが規則正しい寝息を立てている。この一月あまり、隣で聞き慣れた音だった。マオはその横顔をしばらく見つめてから、そっと視線を逸らした。
(すまぬな)
村人たちは自分を受け入れてくれた。魔族と知ってなお、震える手で握手を求めてくれた者もいた。だがその優しさに甘え続ければ、いずれこの村ごとセレナの手に渡ることになる。王の証を持つ自分がいる限り、狙われるのはこの村だ。
だから、行かねばならない。誰にも気づかれぬうちに。
マオは書き置きを机の上に置き、荷物を背負った。扉に手をかけたところで、一度だけ振り返る。クロードの寝顔は変わらず穏やかだった。
「達者でな、クロード」
声にならないほど小さな声で告げて、マオは静かに扉を開けた。
夜気が頬を撫でる。星は出ていなかったが、それでもマオは前だけを見て歩き出した。振り返れば決意が鈍る。それだけはわかっていた。
村の外れまで来たところで、背後から足音が聞こえた。
一人分。急いでいる。
マオは足を止めなかった。聞こえないふりをして歩き続ける。だが足音はみるみる距離を詰めてきて、ついには強く肩を掴まれた。
「――待て」
振り向かなくてもわかる声だった。
「……っ、熟睡しておったのではないのか」
「扉が開く音くらい、嫌でも気づく。これでも元勇者だからな」
マオがゆっくりと振り返ると、上着を羽織っただけのクロードが息を荒らげて立っていた。マオの背にある大きな荷物をじっと見つめ、眉をひそめる。
「そんな大荷物を背負って、どこへ行く気だ」
「……お主には関係なかろう。黙って部屋に戻るのじゃ」
立ち去ろうとするマオの前に、クロードは先回りして立ちふさがった。
「一人で消えるつもりか?」
「……妾がここにいれば、いずれ『王の証』を狙ってセレナの手が伸びる! これ以上、村に迷惑を掛けたくないのじゃ!」
マオが必死に吐き出した理由を、クロードは黙って受け止めた。そして、呆れたように息を吐く。
「……なるほどな。だが、人の迷惑を考えるなんてお前らしくない」
「なっ……」
「それに、お前一人じゃ頼りない。俺もいつまでも村に世話になっているわけにもいかないしな」
不意を突かれたマオに、クロードはまっすぐ視線を合わせる。
「それに……俺が気力を取り戻したら、改めて俺に復讐するって約束、まだ果たしてないだろ」
しばしの沈黙のあと、マオの唇が小さく震え、くつくつと不敵な笑みがこぼれ出した。
「……ふっ、そうじゃな。いつの間にかお主に影響されて腑抜けておったようじゃ。追われて逃げ回るなど妾らしくない。セレナの奴め、魔界に乗り込んで文句の一つもつけてやるわ!」
マオは背の荷物を背負い直し、胸を張ってクロードを指さした。
「当然、お主も一緒じゃぞ。主人に付き従うのもペットの務めじゃ!」
「ああ」
満足そうに口元を緩めるクロード。だが、二人が歩み出そうとしたその瞬間、背後の闇から冷ややかな声が割り込んだ。
「――こんな夜更けに、二人揃って何をしている」
暗がりから姿を現したのはフィリアだった。
「フィリア……!? いつからそこに……」
「『文句の一つもつけてやる』のあたりからだ。騒動の後から妙に思い詰めた顔をしていたな……嫌な予感がして来てみれば、案の定だ。マオの事情はすべて聞かせてもらった」
腕を組み、二人を低く鋭い目で見つめる。
「……で? 世話になった村人たちに、挨拶もなしに発つ気か」
鋭く問いただされ、先ほどまでの威勢はどこへやら、マオとクロードは気まずそうに肩をすくめた。
「……すまぬ」
申し訳なさそうに視線を泳がせるマオに対し、フィリアは静かに二人を見据える。
「村の者たちはお前が魔族だと知った上で、受け入れたんだ。それなのに、黙って消えられたら残された者がどんな思いをするか、少しは考えたらどうだ」
「それは……これ以上、村を巻き込みたくなかったのじゃ」
「理由は分かる。だが、筋を通さずに去る理由にはならない」
フィリアの言葉にはぐうの音も出なかった。クロードも苦笑いを浮かべ、降参するように肩をすくめる。
「……フィリアの言う通りだな。悪かった」
「行くなら明日、明るくなってからにしろ。ちゃんと見送られてから発つんだ」
こうして、二人の極秘の夜逃げ計画はあっけなく終わりを告げ、旅立ちは翌朝へと延期されることになったのだった。
◇
翌朝。薄桃色の朝焼けを見上げながら、クロードは出発の準備を進めていた。
ふと見ると、部屋の隅でマオが机の上の羊皮紙を、顔を真っ赤にして鬼の形相で細かく破り捨てている。
「……何が書いてあったんだ?」
「な、何でもないわ! 見るな! 忘れよ!」
破り捨てた紙くずを指先から出した小さな火で跡形もなく焼き尽くすと、マオは決意を胸に、ごまかすように大きく咳払いをした。
そんなマオの様子を眺めていると、遠くから荒い息遣いが近づいてくる。
ティオだった。息を切らしながらやってきた少年の目には、悔しさと強い決意が宿っていた。
「……勇者様! マオ!」
「ティオ? どうしたのじゃ、そんなに息を切らせて」
「二人が今朝ここを出ていくって聞いて、急いで追いかけてきたんだ! ……オレも、オレも連れて行ってくれよ!」
「ティオ……?」
「オレ、自分が悔しいんだ! 弱かったから怪しい腕輪なんかに操られて、二人やみんなを危険に晒しちまった……。二人に守られてばっかりで、土壇場で足を引っ張るだけの自分が嫌なんだよ! だからもっと強くなりたい! 二人の背中を追いかけて、今度こそ力になりたいんだ!」
己の弱さを直視し、前に進もうとする強い眼差し。クロードは少年の成長を感じ取りつつも、静かに首を振った。
「ティオ、お前が強くなりたいという気持ちは本物だ。だが、これからの旅はこれまで以上に危険になる。……安易に連れていくわけにはいかない」
「覚悟なんてできてる! 荷物持ちでも雑用でもなんでもやる……だから頼むよ!」
「――いい度胸だな」
後ろから重い背負い袋を担いだフィリアが歩み寄ってきた。旅の支度は完璧に整えられている。
「これだけ腹を括ったんだ。連れて行ってやってくれ、クロード」
「フィリア……お前まで、どうしてそんな格好をしている」
驚くクロードに向き直り、フィリアはふっと不敵に口元を緩めた。
「魔王の娘と元勇者だけで魔界に乗り込むなんて、無謀にもほどがあるからな」
その完璧すぎる旅支度と背負い袋の大きさに、クロードはハと息を漏らした。
「……お前、昨夜あんなに正論で説教しておいて、まさか自分が準備する時間を稼いでいただけか?」
「さあな。筋を通せと言ったのは本心だ。……まあ、一晩あればこれくらいの支度は整うというだけのことだ」
フィリアは白々しく肩をすくめると、クロードの目をまっすぐに見つめた。
「信じてやれなかった罪滅ぼしのつもりで、この村でお前を見守ってきた……だが、結局私は何もできなかったからな。このまま指をくわえて見ているだけで終わらせるつもりはない。過去の悔恨を振り払って、今の仲間としてお前たちの背中を守るために行く。……私なしで勝手に死なれては困るからな」
かつて同じパーティで戦い、一度は離れ、そして再び肩を並べる元仲間としての、力強い言葉だった。クロードは胸の奥が熱くなるのを感じ、息を吐いた。
「……分かった。頼む、フィリア」
そしてクロードは、隣で息をのんで見守っていたティオに向き直った。
「ティオ。……お前も来い。ただし、途中で泣き言を言っても送り返してはやれないぞ」
「……! うん! 頼むよ、勇者様!」
フィリアは肩にかけた弓の位置を整えながら、口元を緩めた。
「私が村で教えた基礎程度じゃ、これからの旅には甘いからな。これからは本物の剣士にしごいてもらうといい」
「へへ、望むところだぜ! 勇者様、よろしく頼むよ!」
◇
村の入口には、旅立ちを聞きつけた村人たちが集まっていた。
昨日、己の正体を明かしたマオに対して、村人たちの温かい眼差しは変わっていなかった。手に手にパンや干し肉、自家製の保存食などの餞別を抱え、次々と押し付けてくる。
「マオちゃん、身体に気をつけるんだよ」
「クロード様、またいつでも戻ってきてくださいね」
「ティオ、足を引っ張るんじゃないぞ!」
「お主ら……妾は魔族なのじゃぞ!? なぜこんなに良くするのじゃ……!」
戸惑い、瞳を潤ませるマオに、村の老婆が優しく微笑みかけた。
「魔族だろうと何だろうと、あんたは一緒に過ごした大切な仲間だよ」
「……うむ。覚えておれよ! 必ずや用事を済ませて、また飯を食べに戻ってきてやるからの!」
涙目になりながら強がるマオの姿に、村人たちから温かな笑いが漏れた。
クロードも深く、静かに頭を下げる。
「みんな、本当に世話になった。……行ってくる」
朝日を浴びながら、四人はゆっくりと歩き出した。
振り返ると、村人たちがいつまでも手を振り続けている。
かつてすべてを失った元勇者と、居場所を探す魔王の娘。そして、過去を超えて共に歩む仲間たち。
小さな村で育まれた確かな温もりを胸に、彼らは新たな一歩を踏み出したのだった。
Claudeが上限に達したため、この話だけ途中からGeminiが生成した文章をもとにしています。




