復讐の計画変更
翌朝。だが、窓から差し込む光は弱く灰色がかっており、お世辞にも爽やかな朝とは呼べない代物だった。
淀んだ空気が、やけに重い。昨夜、夜風が冷たいからと窓を閉め切ったのは、他でもないマオ自身だった。
マオは寝台の端に腰かけて脚を組んで、まだ眠っているクロードを見下ろしていた。
(さて、どこから始めたものか)
昨夜、殺すのを断ったはいいものの、では具体的に何をすればいいのか。実のところマオにはあまり考えがなかった。父の仇を討つということを、これほど真剣に検討したことがなかったからだ。
(とはいえ、生かして苦しめると決めたのだ。まずは肉体と精神を徹底的に痛めつけてやればよかろう。爪を剥ぐか、それとも――いや、それはさすがに後片付けが面倒じゃな)
あれこれ算段した末、マオは指先に小さな火を灯すことにした。魔力の粒がぱちぱちと爆ぜる音で、クロードが目を覚ます。
「起きよ。妾との貴重な時間じゃ、寝ている場合ではないぞ」
「……」
クロードは、ゆっくりと目を開けた。だが、起き上がろうとはしない。ただ天井を見つめたまま、抑揚のない声で言った。
「好きにしろ」
その一言に、マオの中で何かがカチリと音を立てた。挑発でも諦観でもない、本当にどうでもいいと思っている声色だった。
「……ふん。強がりを」
マオは灯した火を、クロードの腕へと近づけた。皮膚に届く寸前で止め、熱だけを感じさせる。
「熱いか?」
「ああ」
「痛いか?」
「……別に」
淡々とした答えだった。火をさらに近づける。皮膚がわずかに赤らむ。それでもクロードは眉一つ動かさない。悲鳴も、うめき声も、身をよじる仕草さえもない。ただ、目だけがぼんやりと天井を見つめ続けている。
マオは苛立ちを覚えて、火を消した。
「なぜ、声を上げぬ」
「……上げたら、何か変わるのか」
その問いに、マオは言葉を詰まらせた。変わらない。この男の言う通り、悲鳴を上げようが上げまいが、この空虚な現状は何も変わりはしないのだろう。
(面白くない)
マオは寝台から下り、部屋の隅に転がっていた古い椅子を引き寄せて腰掛けた。今度は精神を揺さぶる方向に切り替えることにする。魔族に伝わる幻術――対象の心の奥底に眠る記憶やトラウマを、無理やり引きずり出して見せる魔法だ。父から教わったものではない。父亡き後、クロードを捜し出すまでの道中、独学で覚えた拙い技だった。
「……ならば、これはどうじゃ」
指先に魔力を集め、クロードの瞳孔に術をかける。何を見せているのかは、マオにもわからない。ただ引きずり出すだけの、粗末な術だ。だが、クロードの表情がぴくりと動いたのを見て、マオは確信した。
(きた)
手応えを感じ、幻術の力をさらに強めた。だが。
「……知ってる」
クロードは、ぼそりとそう呟いた。
「そんなもの、毎晩見てる。今さら、お前に見せられなくても」
その声には、これ以上ないほどの倦みが滲んでいた。既に何度も何度も、自分自身の悪夢の中で見飽きた光景なのだろう。他人の魔法で暴かれたところで、目新しい痛みなど生まれようもない。
マオは、幻術を解いた。指先から力が抜ける。
「……興ざめじゃ」
吐き捨てるように、そう呟いた。せっかく仕込んだ切り札が、何の手応えもなく空を切ったのだ。膝をついて命乞いをする姿を、少しは期待していたというのに。
沈黙が落ちた。窓の外で、鳥が一声鳴いて飛び去っていく。
マオは、寝台に横たわったままのクロードを、しばらくの間、無言で見下ろしていた。肉体を痛めつけても響かない。心を抉ろうとしても、既に抉り尽くされた場所には、これ以上の傷を刻む余地すらない。
(これは……存外、厄介じゃな)
昨夜見せた「腑抜けた顔」は、ただの諦めではない。痛みにすら反応できないほど、この男の心は完全に壊れ切っていたのだ。これでは苦痛を与えることすらできない。
想定していなかった。てっきり、少し痛めつければ悲鳴の一つも上げるだろうと思っていた。無抵抗で殺されるのを待つ男が、拷問にすら反応しないほど深く沈んでいるとは。
「お主」
マオは静かに問いかけた。
「本当に、何も感じておらぬのか。痛みも、恐怖も」
クロードは、しばらく答えなかった。ややあって、乾いた声で呟く。
「……感じてたら、とっくにどうにかなってる」
その言葉には、初めて何かの実感がこもっているように、マオには聞こえた。感じないのではない。感じすぎて、感覚そのものを閉ざしてしまったのだ。
マオは、椅子から立ち上がった。指先で顎を支え、目の前の男を、値踏みするように見つめる。
(このまま痛めつけたところで、意味がない。何をしても、響かぬ)
苦しめてから殺す、という昨夜の目論見が、早くも音を立てて崩れていた。計画を、根本から立て直す必要があった。
「よかろう」
マオは、宣言するように言った。
「じわじわと痛めつけて絶望させてやる、という手は、やめじゃ」
クロードが、初めてわずかに視線を動かした。マオの方を見る。その目には、驚きというよりも、微かな困惑があった。
「……何を言い出す」
「決まっておろう」
マオは、寝台に横たわるクロードを見下ろした。唇の端に、酷薄な笑みが浮かぶ。
「一度死んだも同然のその心を、まずは生き返らせてやる。感情も、絶望も、すべて取り戻させてやろう」
クロードの眉間に、初めて小さな皺が寄った。理解できない、というふうに。
「……それから、どうする」
「簡単なことじゃ」
マオは、窓の外に視線を移した。曇り空の向こうに、かすかな朝日が滲んでいる。
「生き返った心を、改めて妾の手で、ゆっくりと踏みにじってやる。それでこそ、真の復讐というものじゃ」
言い切ってから、マオは自分の言葉に、わずかな違和感を覚えた。それが何なのか、この時の彼女には、まだわからなかった。
クロードは何も言わず、ただ天井を見つめ返していた。だが、その瞳には、先ほどまでとは違う、小さな戸惑いの色が浮かんでいた。




