花畑と昔話
温泉から戻る道すがら、丘の方角へ差し掛かったところで、マオが唐突に足を止めた。
「せっかくじゃ、風に当たっていくか」
「……また坂を登るのか」
昨日の疲労が、まだ骨の芯に残っている。うんざりした声を上げるクロードに、マオは意に介する様子もなく、さっさと歩き出してしまった。仕方なく、その後を追う。
坂を登り切った先、丘の上には一面の花畑が広がっていた。夜に見た時とは違う、色鮮やかな光景だった。
「ほう……」
クロードの口から漏れ出た感嘆の声を聞き逃さず、マオが得意げに胸を張る。
「ふふん、驚いたか。夜は真っ暗で見えなかったじゃろ。ここも以前ティオに教えてもらったのじゃ。魔界ではこうも花が咲き乱れる土地は珍しくてな」
そう言いながら、マオは花畑の中へと駆け出していった。フリルだらけのドレスの裾を翻し、花々の間を縫うように走り回る。片側だけ結わえた髪が、風になびいて揺れた。
その光景を、クロードはぼんやりと眺めていた。
しばらくすると、マオはしゃがみ込み、花を何本か摘み始めた。
「……こうして、こう……いや、違うか」
見様見真似で、茎を絡めようとしているらしい。だが、うまくいかず、指の中で花がほどけて落ちる。
その光景を見ているうちに、クロードは自然と体が動いていた。
「……そこは、こう持つんだ」
気づけば、隣にしゃがみ込み、手を伸ばしていた。茎の重ね方も、結び目の作り方も、迷いなく体が覚えていた。
だが、指先が花に触れかけたその瞬間、脳裏に別の光景が重なった。
同じように花を編もうとして、うまくいかずにむくれていた小さな影。ピンク色の髪を揺らしながら、笑っていた少女。
「……リナ」
無意識に、その名が口をついて出た。
「なんじゃ?」
マオが振り返る。手には、まだ形を成さない花の束を持ったままだった。
クロードは、はっと我に返った。伸ばしかけていた手を、そっと引っ込める。
「……いや、何でもない」
「妙な奴じゃな」
マオはそれ以上突っ込もうとはせず、また不器用に花と格闘し始めた。
クロードは胸の奥に小さな痛みを感じながら、その手元を見つめていた。花を編む手順は、迷いなく思い出せる。だが、その記憶についてくる、誰かの笑顔までは――まだ、思い出すには早すぎる気がしていた。
「おい、こっちも見てみよ! 珍しい色の花じゃ!」
マオの呼ぶ声に、クロードは重い足取りで花畑の中へと分け入った。胸の奥に芽生えた微かな痛みを押し殺すように、深く息を吐き出す。記憶の影を振り払うには、もう少し風に当たる時間が必要だった。
やがてマオが満足し、二人で村へ戻る帰り道でのことだ。前方に見覚えのある人影があった。弓を背負ったフィリアが、こちらに気づいて足を止める。
「……珍しいな。お前が、こんな時間に外を歩いているとは」
「……まあ、色々あってな」
歯切れの悪い返事に、フィリアは何かを察したようだったが、それ以上深入りはしてこなかった。
「……」
気まずい沈黙が落ちる。クロードはフィリアの視線を正面から受け止めることができず、目を逸らした。変わりたいという気持ちはある。だが、急に何もかも取り繕えるほど器用にはできていない。
「……先に、戻ってる」
それだけ言い残すと、クロードは逃げるように足早にその場を後にした。
◇
残されたマオは、遠ざかるクロードの背中を見送った後、フィリアへと向き直った。
「……なあ、フィリア。前に聞いた時ははぐらかされたが……お主はなぜ、そこまであやつを気にかけるのじゃ?」
フィリアの表情が、わずかに硬くなった。
「……ここで立ち話をするような内容でもないな。ちょうど見回りを終えて戻るところだ。……歩きながらでよければ」
マオは頷き、フィリアと肩を並べて歩き出した。
「本来ならあいつ本人が話すべきことだ。私が語るべきではないと分かってはいる。……だが、お前があいつをここまで連れ出したのを見て、少し考えを変えた」
フィリアは前方に広がる道をじっと見つめながら、静かに語り始めた。
「あいつは王都で、ある冤罪を着せられた。魔族と繋がっている、という言いがかりだ。証言をしたのは……聖女、アイリス様だ」
「冤罪……?」
「当時の私は、恋人だったカイルを失ったばかりだった。冷静さを欠いていて……聖女様の言葉をそのまま信じ、あいつを疑ってしまった。誰かのせいにしなければ、立ち直れなかったのかもしれない」
そこで一度言葉を切り、苦しげに息を吐く。
「だが、あいつが追放された後に頭が冷えた。私の知るあいつが、人間を裏切るはずがない。それなのに……信じてやれなかった私の視線が、あいつをどれほど深く傷つけたか。『裏切り者』と蔑まれる辛さは、私自身がよく知っていたはずだったのに」
フィリアの目には、深く重い後悔の色が滲んでいた。
「カイルはあいつの親友だった。もし生きていたら、あいつを疑うことなんて絶対に望まなかったはずだ。そう思うと、居ても立ってもいられなくなった」
語り終える頃には、フィリアの家の垣根が見えてきていた。
「だから私はあいつを追ってここへ来た。……一度でもあいつを疑い、見捨ててしまった自分への、罪滅ぼしのつもりで」
重い沈黙の中で、マオはフィリアの言葉を深く噛み締めていた。
(あやつ……ただみすぼらしく落ちぶれておるだけかと思えば、そこまでのものを背負っておったのか)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛む。
「……話してくれて、感謝する」
「……いや。あいつのことを、よろしく頼む」
フィリアは静かに微笑むと、木剣の音が響く自宅の庭へと歩を進めた。マオはその後ろ姿をじっと見つめながら、固く拳を握りしめた。




