世話の掛かるペット
料理を覚えてから、マオは台所を、いつの間にか自分の縄張りのように感じ始めていた。
(このあたりも、きちんと整えておかねばな)
ある日、暇を持て余したマオは、台所の隅々まで手を入れることにした。棚の奥、これまで気にも留めなかった場所を漁っていると、布に包まれた何かが目に留まった。
「……なんじゃ、これは」
包みを開けると、中から出てきたのは、すっかり干からびてしなびた野菜だった。一つや二つではない。奥へ奥へと手を伸ばすたび、似たような有様の包みが、いくつも見つかった。
「……」
饐えたような、鼻を突く匂いが立ち昇る。マオはふと、動きを止めた。
(この匂い……)
初めてこの家に足を踏み入れた夜、感じた「カビ臭さ」。あれは、もしや。
(元凶は、これじゃったのか)
胸の内に、ざらついた感覚が広がっていく。村人たちが、善意で持ち寄った食材の数々。それが一度も日の目を見ることなく、こうして誰にも気づかれず朽ちていった。それも、一度や二度ではない。
ふと、部屋の隅に目をやると、先日村人からもらった古着の山も、そこにあった。マオの分は既に着ているが、クロードの分は、最初に袖を通した一着を除いて、綺麗に畳まれたまま手つかずだった。
(これも、か)
一つ一つは、些細なことかもしれない。だが、それが積み重なっていくと、マオの中で、ある確信に変わっていった。
村人たちは、何度も、何度も、差し出してきた。食べ物を。着る物を。言葉を。何一つ見返りを求めず、ただ、勇者への敬意と気遣いだけで。
それに対して、クロードは、何を返してきたか。
何も、返していない。
マオは、干からびた野菜の包みを両手に抱えたまま、寝台に横たわるクロードの前に立った。
「……なんだ、それは」
気だるげに顔を上げたクロードに、マオは包みを突きつけた。
「お主が聞くことか。これは、村の者たちがお主にと持ってきたものであろう。それを、こんな有様で放っておったのか」
「……それは……」
包みの中身が野菜であることに気づいた瞬間、クロードの瞳がわずかに見開かれた。だが、すぐに気まずそうに眉をひそめると、そっと視線を横へ逸らした。
「……忘れてたわけじゃない。ただ、置いたままになってただけで……」
「妾は、仮にも王族の端くれじゃ。民が捧げるものには、それだけの重みがあると教えられて育った。誰ぞの好意には、それに見合うだけの敬意で応えるのが、上に立つ者の務めじゃと」
「そんな、大層な話じゃ……」
「大層な話じゃ! お主は、勇者ぞ! この村の者たちが、どれほどお主を慕っておるか、知らぬわけではあるまい!」
声が、思わず大きくなった。
「食い物を運び、着る物を用意し、それでも何一つ求めず、ただお主の顔色を窺いながら遠くから見守っておる。それを、お主は、当然のように受け取り続けるだけで、何一つ返そうとせぬ」
クロードの唇が、何かを言い返そうと微かに動いた。――だが、喉まで出かかった言葉は形を成すことなく消え、彼はただ固く口を結んだ。
「お主が何に絶望しておるのかなど、妾には分からぬ。分かってやる気も破滅を認めてやる気もない! 生きる気力がないなどと、ただ甘えて立ち止まっておるだけじゃろうが!」
マオの声に、別の色が混じり始めた。
「魔王である我が父を討った男が、民の好意を踏みにじり、腐った野菜の山の上で朽ち果てるなど……そのような、滑稽な死に様、妾が許すと思うてか!」
生き返らせてから改めて絶望させるために生かしてやっているというのに、この男は復讐に向き合うどころか、勝手に一人で腐っていこうとしている。それが無性に腹立たしかった。
「それに、お主は――」
言いかけて、マオは一瞬、言葉に詰まった。
「お主は、自分のことを何一つ語らぬ。村の者たちがここまでしても、心を開かぬ。妾にも、肝心なことは何一つ話さぬ。それが、妾は――」
そこから先は、うまく言葉にならなかった。苛立ちの中に、何か別の感情が紛れ込んでいる気がしたが、それが何なのか、マオ自身にもまだ分からなかった。
「――ええい、もうよい!」
マオは、干からびた野菜の包みを、クロードの膝の上に置いた。
「これが、答えじゃ。お主は、妾がおらねば、これを腐らせるだけの日々を、この先もずっと続けておったのじゃろう。飯を作り、掃除をし、洗濯をしてやらねば、己の身の回りすら整えられぬ」
マオは腕を組み、ふん、と鼻を鳴らしてクロードを見下ろした。
「妾がいないと何もできぬ、まるで世話の掛かるペットのようじゃな、お主は」
言い放った瞬間、部屋に、重い沈黙が落ちた。
クロードは、もう何も答えなかった。ただ、膝の上の干からびた野菜をじっと見つめている。その横顔には、これまでの投げやりな諦念ではなく、微かな、だが確かな羞恥と自己嫌悪が滲んでいた。
……それを見届けたマオの胸に、急激な居心地の悪さがこみ上げた。
(……い、言い過ぎたか……?)
痛みにすら反応しなかった男の心が、自分の言葉で嫌な形に剥き出しになっていく。勝ち誇りたいはずだったのに、胸の奥がざわざわと熱くなった。感情に任せて責め立てるうちに、自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。怒りなのか後悔なのかも判別できぬまま、ただこの場に居続けることが耐え難かった。
「……っ、ええい! 知らん!!」
自分の感情を持て余したマオは、吐き捨てるように叫ぶと、バタンと大きな音を立ててドアを蹴破らんばかりの勢いで外へ飛び出していった。
残された部屋には、干からびた野菜と、静寂だけが残された。




