火の通った一皿
朝食を終えると、なんとなく気まずく家に居づらくなったマオはまた村へと足を向けた。
村を歩いていると、見覚えのある人影に呼び止められた。
「あら、ちょうどいいところに。今朝採れたてのがあるのよ。持っていきなさいな」
昨日の老婆だった。両手には、また新たな野菜が抱えられている。
「い、いや、その、これ以上は……」
マオは思わず後ずさった。昨日の惨敗が、まだ記憶に生々しい。まともに調理できる目処も立たないまま、これ以上抱え込んでは、扱いきれなくなる。
「そう言わずに。多いに越したことはないでしょう?」
押しの強い老婆に、マオはどう断ればいいか分からず、立ち尽くすしかなかった。
「……何をしている」
そこに、聞き覚えのある低い声がかかった。振り返ると、フィリアが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「あら、フィリアちゃん。この子に野菜を持たせようとしてたんだけど……」
「……いらぬ、というわけではないのじゃが」
歯切れの悪いマオの様子と、その傍らで困ったように立つ老婆の姿を見比べて、フィリアは何かを察したように、小さく息を吐いた。
「……さては、料理ができないんじゃないか。受け取っても持て余すから、困っているんだろう」
「うぐっ……! た、たまたま昨日は、野菜が硬かっただけじゃ!」
「誰も昨日の話なんてしていないが」
「あ……」
口を滑らせたことに気づき、マオは慌てて両手で口を塞いだ。その反応を見たフィリアは、呆れと諦めの混ざった息を漏らすと、老婆に向き直った。
「悪いが、少し預からせてもらう。……教えておいた方が、良さそうだからな」
「あら、そう? じゃあ、お願いね」
老婆は、あっさりと納得すると、抱えていた野菜を丸ごとマオに押し付け、機嫌よく去っていった。残されたマオは、両腕いっぱいの野菜と、複雑な表情のフィリアを、交互に見比べた。
「……お主が、教えるのか」
「不服か」
「いや……」
不服というより、意外だった。あの態度からして、これ以上関わってくることはないと思っていたのだ。
「私も、暇ではないが」
フィリアは、そう言いながらも、既に歩き出していた。
「……ついてこい。今から、少し教えてやる」
◇
連れていかれたのは、フィリアの家だった。庭先には、以前見かけた的が、そのまま立てられている。
「入れ」
素っ気なく促され、マオは戸惑いながらも足を踏み入れた。家の中は、質素だが整然としていた。壁には弓と矢筒が掛けられ、生活の匂いは薄いながらも、几帳面な性格が伝わってくる。
家に着くと、フィリアは調理台に道具を並べ始めた。
「まずは基本からだ。……野菜の皮を剥いたことは?」
「……ない。だが、皮が何かは知っておる」
決まり悪げにマオは付け加えた。剥いたことがないと素直に言うのも、少し悔しかった。
フィリアはそれ以上追及せず、小さく頷いた。
「……根本から、教える必要がありそうだ」
そう言うと、フィリアはナイフと根菜を手に取り、実演を始めた。皮を薄く剥ぎ取る手つきは、危なげなく、迷いがない。教え方にも、無駄がなかった。普段からティオに稽古をつけているだけあって、人に何かを教えることには、慣れているようだった。
「こう持って、刃を寝かせる。力を入れすぎるな。薄く、少しずつだ」
「……なるほど」
見よう見まねで、マオも挑戦してみる。最初のうちは、やはり力加減が分からず、皮どころか身の方まで大きく削れてしまった。
「力を抜け。押すのではなく、滑らせる感覚だ」
「……こうか?」
「まだ強い。もっと、優しく」
何度か繰り返すうち、少しずつ、皮だけを薄く剥ぎ取れるようになってきた。完璧とは程遠かったが、昨日よりは、明らかにましだった。
「切る時も同じだ。力任せに叩き切るな。刃を前後に動かして、素材の重みで切る」
言われた通りにやってみると、昨日のような不揃いな塊ではなく、それらしい大きさに切り分けられた根菜が、まな板の上に並んでいった。
「……お主、教えるのが上手いのう」
思わず零れた言葉に、フィリアは意外そうな顔をした。
「……そうか」
短い返事だったが、その声には、わずかに柔らかいものが混じっていた。
鍋に水と根菜を入れ、火にかける。
「火が通るまで、時間がかかる。焦って早く下ろすな」
「……知っておる。昨日、それで失敗したのじゃ」
ぼそりと呟いたマオに、フィリアは何も言わず、ただ小さく口の端を上げた。
しばらく待つ間、二人の間に、ぎこちない沈黙が流れた。マオは、この機会を逃すまいと、思い切って切り出した。
「……なあ、フィリア」
「なんだ」
「お主は、なぜ妾に、こうまでしてくれる。妾が魔族だと知っておるのじゃろう」
フィリアの手が、一瞬止まった。
「……別に、深い理由はない」
そう言いながらも、その表情には、何かを言い淀むような色があった。
「お前が、あいつの世話をしているのは、見ていれば分かる。それだけだ」
「それだけ、か」
「……それだけだ」
繰り返す声には、これ以上踏み込むな、という壁があった。マオもまた、それ以上は問わなかった。焦らず、時間をかければいい。今はまだ、その時ではないのだろう。
鍋の中の根菜が、ゆっくりと煮上がっていく。
「……できた、ぞ」
匙で掬った一口を、恐る恐る口に運ぶ。昨日の硬さが嘘のように、根菜はほろりと崩れた。芯まできちんと火が通っており、優しい塩気が、口の中に広がる。
「……美味い」
思わず零れた一言に、フィリアは満足げに頷いた。
「なら、良かった」
その日、マオは土産に、フィリアから教わった料理を持ち帰った。クロードは、それを一口すすると、驚いたように目を見開いた。
「……昨日と全然違うな」
「フィリアに、教わったのじゃ」
「フィリアに?」
クロードは一瞬手を止め、どこか遠い目をして呟いた。
「……なんでまた、あいつが」
「知らぬ。妾が聞いても、はぐらかされた」
雑な陰を落とすクロードの様子に、マオはそれ以上多くを語らず、ただ黙って匙を動かした。あの女が何を隠しているのか、二人の間に何があったのかは、まだ分からない。だが、少なくとも一つだけは、確かなことがあった。
――あの女は、敵ではない。




