村の案内
翌朝、昨夜の残りで朝食を済ませると、マオはまた村へと足を向けた。
情報収集と、ついでの食材調達。目的は昨日と変わらない。
(本当は、あの女から聞き出せれば早いのじゃがな……)
フィリアの姿を思い浮かべながら、当てもなく村を歩く。取り付く島のなかった態度を思えば、直接訪ねたところで、また追い返されるだけだろう。そう分かっていながらも、気づけば足は、見覚えのある垣根の方へと向かっていた。
乾いた木剣の打ち合う音が、垣根の向こうから響いてくる。
(あの小僧の声か……)
そういえば、昨日も「稽古をつけてもらう」と言っていた。だが、フィリアは弓の使い手のはずだ。剣の指南までできるのだろうか。
妙に気になって、マオは垣根の隙間からそっと覗き込んだ。
案の定、木剣を交える二人の姿があった。フィリアが手本を見せ、ティオがそれを真似ては、あえなく弾き飛ばされている。
「あーもう! なんで当たらねえんだよ!」
「腰が高い。もっと重心を落とせ」
見ていて分かるほど、フィリアの指導は容赦がなかった。マオは垣根の陰から、しばらくその様子を眺めていた。
やがて一区切りついたのか、ティオが地面に座り込んで肩で息をし始めた。そのとき、フィリアの視線がふと垣根の方へと向く。
「……見学か」
冷ややかな声で短く指摘され、マオはびくりと肩を揺らした。隠れていたつもりが、とうに気づかれていたらしい。
「べ、別に、見ておったわけでは……」
言い訳を探すマオの声に、ティオが顔を上げた。
「あれ、マオじゃん!」
弾かれたように立ち上がると、汗を拭いながら駆け寄ってくる。フィリアはそれ以上何も言わず、木剣を片付け始めた。
「なんだ、来てたのか。丁度いいや、稽古も終わったし、村案内してやるよ!」
そう言って、ティオは井戸端や雑貨屋など、村の中を歩きながらあちこちで声をかけて回った。
「よお、婆ちゃん! こいつ、マオ。最近この辺にいるんだ」
「あら、昨日も来てくれた子じゃない。ふふ、もう友達もできたのねぇ」
畑仕事の手を止めた老婆が、人懐こい笑みを向けてくる。マオは、どう応じたものか分からず、ぎこちなく会釈だけを返した。
「こいつ、勇者様のとこにいるんだってさ」
ティオが、悪気なくそう付け加える。マオは内心ひやりとしたが、老婆の反応は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
「まあ、そうだったの! ……道理で、勇者様のことをあれこれ聞いておったのねぇ」
得心したように老婆は何度も頷くと、家の中へ引っ込もうとした。
「ちょっと待ってなさいな。今、うちの畑の野菜を持ってきてあげるから。あの人にも、少しは滋養のあるものを食べさせてやらないと」
「あ、いいって婆ちゃん!」
ティオが慌てて止めた。
「オレたち、これから行くとこあるからさ。今度でいいだろ、今度」
「あら、そう? じゃあ、今度ね」
雑貨屋の店先でも、井戸端でも、似たようなやり取りが繰り返された。ティオが顔を出すだけで、村人たちの警戒は目に見えて緩む。子供の紹介というだけでこれほど通りが良くなるものかと、マオは半ば呆れながらも、その効果を実感していた。
一通り顔合わせを終えると、ティオは満足げに伸びをした。
「よし、こんなもんか。じゃ、次はお楽しみだ。オレのお気に入り、教えてやるよ」
先に立って歩き出すティオの後を、マオは黙ってついていった。
小道を抜け、急な坂を登り切った先は、村を一望できる小高い丘の上だった。見下ろす街並みと遠くの山々、そして丘の一角には一面の色鮮やかな花畑が広がっていた。風が吹くたびに、甘い香りと共に花々が揺れる。
「ここ、村が全部見えるだろ」
眼下の風景と花畑を見渡しながら、ティオが呟く。
「静かでさ、誰にも邪魔されないんだ。頭を冷やしたい時とか、一人でじっくり考え事したい時は、よくここに来るんだよ。……花も綺麗だしさ」
その声には先ほどまでの生意気さが薄れ、代わりにどこか大人びた、静かな響きがあった。マオは何も言わず、しばらく隣に並んで村の風景と揺れる花々を眺めていたが、やがてさりげなく切り出した。
「……なあ、お主。あやつと知り合いなのじゃろう。なぜ、あんな有様になっておるのか、何か知らぬか」
ティオは、意外そうな顔でこちらを見た。
「……さあな。オレだって知らねえよ。……つーか、オレの方が聞きたいくらいだ」
口元に浮かんだのは、自嘲めいた苦笑いだった。
「昔、世話になった人がさ、久しぶりに会ったと思ったら、あんなになってて……何があったのか、聞くに聞けねえまま、ずっとこれだよ」
そこまで言って、ティオはふと我に返ったように口を閉ざした。それ以上は語る気がないらしい。マオも、これ以上踏み込むのはやめた。
(この村の者は、皆、何も知らぬのじゃな……)
マオは落胆を覚えたが、それを表には出さず、ただ風に揺れる花びらへ視線を向けた。
やがて、ティオは重い雰囲気を振り払うように、ぱっと明るい声を張り上げた。
「よし、次! もう一つ、とっておきがあるんだ」
案内されたのは、村外れの岩場の奥、木々に隠れるようにして湧く小さな温泉だった。湯気が、ひっそりと立ち昇っている。
「ここ、村の連中もあんまり知らないんだぜ。オレが偶然見つけたんだ」
得意げに胸を張るティオを横目に、マオは湯を覗き込んだ。ゆらゆらと揺れる水面に、自分の顔が映り込む。
「……湯じゃな」
「そう。冷えた時とか、たまに浸かりに来るんだ。気持ちいいぞ」
湯に浸かるという習慣に馴染みのないマオだったが、温かな湯気が立ち上る様子には、不思議と心を惹かれるものがあった。
(あの腑抜けは、こういうものに興味を持つじゃろうか)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。理由は自分でもよく分からなかった。
「なあ」
隣で、ティオが遠慮がちに切り出した。
「ここ、あの人にも教えてやってくれよ。……オレが直接言うのは、なんか、気まずいから」
その言葉に、マオは横目でティオを見た。少年の表情にはいつもの生意気さが消え、何かに気後れするような色が浮かんでいる。理由を問うつもりはなかったが、その気まずさの根が思いのほか深いことだけは、ひしひしと伝わってきた。
「……ふん。まあ、考えておいてやる」
素っ気ない返事に、ティオは安堵したように表情を緩めた。
温泉から戻る道すがら、先ほどの老婆の家の前を通りかかった。
「あら、ちょうどよかった」
老婆は待っていたとばかりに、家の中から籠いっぱいの根菜を抱えて出てきた。
「もう用事は済んだんでしょう? ほら、持っていきなさいな。うちで採れすぎたやつだから、遠慮しないで」
「……もらってよいのか」
「いいのいいの」
戸惑いながらも、マオは籠を受け取った。とたん、ずっしりとした重みに、腕がぐらつく。
「うわ、重っ……」
よろけるマオを見かねて、ティオが籠をひょいと取り上げた。
「危なっかしいな。……貸せって。オレが持ってやるよ」
「よいのか」
「これくらい、余裕だっての」
言うほど余裕そうには見えない足取りで、それでもティオは籠を抱え直し、先に立って歩き出した。
二人並んで歩き、村外れのクロードの家が見えてくる頃、ティオの足取りが、少しずつ鈍っていった。
家の前まで来ると、ティオは籠をマオの腕に押し付けるように返した。
「じゃ、ここまでな」
「……入っていかぬのか」
「いや、いいよ。また今度な」
短くそう言うと、ティオは踵を返し、来た道を戻っていった。振り返ることもなく、駆け足で。
その背中を見送りながら、マオは籠の中身を見下ろした。
(今日は、多少なりとも土産があるのう)
情報という意味では、相変わらず大した収穫はなかった。だが、両手いっぱいの野菜を前に、マオの足取りは、なぜか少しだけ軽かった。




