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机が勝手に動くので。

この日の雨は、音がなくなったみたいに静かだった。


夕方の空はまだ少し明るくて、街灯の光が早めにともりはじめている。


やわらかくにじんだ光は、ぬれた道をそっとてらしていた。


「こういう静かな日って逆に嫌なんだよね」


早瀬ゆいは、窓に背を向けて事務所のソファに座る


「知らん」


クロは机の上で目を閉じたまま返す。


「今日は何も起きなかったのかも」


「お前は毎日起きてほしい側だろ」


「探偵なので」


「助手だ」


そんなやり取りをしていると、ドアが鳴った。


入ってきたのは、小学生の男の子だった。


ランドセルを背負ったまま、少し緊張した顔をしている。


ゆいはすぐ姿勢を正した。


「いらっしゃいませ!」


クロが小さく言う。


「喫茶店じゃないぞ」


男の子はゆっくり口を開いた。


「部屋が、おかしいんです」


「これはかなり、事件です」



その部屋は古い団地の一室だった。


依頼人――蒼太という少年の部屋。


特に変わったところはない。


教科書。


ゲーム機。


ベッド。


窓際の机。


ただ。


「昨日、ここだったんです」


蒼太が指差した机は、窓際から少し離れていた。


床を見ると、確かに机を引きずった跡がある。


「自分で動かしたとか?」


ゆいが聞く。


蒼太は強く首を振った。


「絶対違う」


「毎日ちょっとずつ動くんです」


クロが部屋を見回す。


「他には」


「夜、音がする」


蒼太は小さな声で言った。


「ギ……って」


部屋の中を、何か重いものが擦れる音。


それが毎晩聞こえるらしい。


ゆいは机に近づいた。


木製の古い机だった。


妙に重い。


「これ、おじいちゃんのお下がりなんです」


蒼太が言う。


「前からここに?」


「うん」


クロが机を見る。


その目が少し細くなった。


「……窓か」


「え?」


「この机、ずっと窓を向こうとしてる」


部屋の空気が少しだけ冷えた気がした。



その夜、ゆいとクロは団地に残った。


蒼太の母親は「気のせいだと思うんですけど……」と困ったように笑っていた。


午前一時。


部屋の電気を消す。


静かだった。


遠くで車の音がする。


団地の配管が鳴る。


そして。


ギ……


ゆいが息を止めた。


暗闇の中で、机が少し動いた。


ほんの数センチ。


ゆっくり。


窓の方へ。


ギ……


ギ……


「動いてる……」


ゆいが小声で言う。


クロは黙って窓を見ていた。


「クロ?」


「……変だな」


「何が?」


「机が窓を見てるんじゃない」


その瞬間。


コン。


窓が鳴った。


外から。


ゆいの肩が跳ねる。


ここは五階だった。


ありえない。


コン。


もう一度。


窓のすぐ外。


カーテンがわずかに揺れる。


ゆいは息を呑んだ。


クロが低く言う。


「開けるな」


コン。


コン。


一定のリズム。


まるで。


「入れてください」


そう言っているみたいだった。


蒼太が震えた声を出す。


「毎日、来るんです」


ゆいは窓を見る。


カーテンの隙間。


そこに一瞬だけ、人影が見えた気がした。


次の瞬間には消えている。


クロが静かに立ち上がる。


そして机に飛び乗った。


「……なるほどな」


「わかったの!?」


クロは窓を見たまま言った。


「これは“入ってきたい”んじゃない」


「え?」


「出たがってる」


部屋が静まり返る。


クロは古い机を軽く叩いた。


「これ、前の持ち主が最後まで使ってたな?」


蒼太の母親がはっとする。


「……父です」


「入院する直前まで、この部屋に」


クロは目を細める。


「窓際で死にたかったんだろ」


誰も喋らなかった。


夜風もない。


なのにカーテンだけが少し揺れていた。


クロが静かに言う。


「この机は、覚えてる」


「最後に居たかった場所とそこから見える景色を」


そのあと。


机は動かなくなった。


窓を叩く音もしない。


数日後。


蒼太が事務所にやってきた。


「ありがとうございました」


ランドセルを揺らしながら頭を下げる。


ゆいは笑った。


「もう音しない?」


「うん」


そして蒼太は少し迷ってから言った。


「でも」


「たまに、机が窓の方見てる時がある」


クロが短く返す。


「放っとけ」


「悪いもんじゃない」


帰り際。


蒼太は少し安心した顔で笑った。


事務所の窓から、それを見送る。


ゆいがぽつりと言った。


「覚えてるんだね」


クロは目を閉じたまま答えた。


「物の方が、人間よりしつこい」


「忘れない?」


「忘れられないんだ」


ゆいは少しだけ黙る。


「それ、いいこと?」


クロはすぐには答えなかった。


「さあな」

お読みいただきありがとうございました

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