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鳴かない時計と止まった三分間

この日は、雨は降っていなかった。


それだけで、ゆいは少し落ち着かない気分だった。


「……事件のにおいが、しない」


「それはいいことだろ」


クロは窓辺で丸くなっている。


だが、その耳だけがわずかに動いていた。


「……来る」


「え?」


それは、ゆいに向けた言葉ではなかった。


午後になるころ、事務所のインターホンが鳴った。


「どうぞー!」


ゆいが元気よく開ける。


「きちゃいました」

榊は手を軽く上げた。


ゆいは少し驚く。


「ふーん」

クロは目を細める


「たまたまです」


榊は笑う。


その“たまたま”は、あまり信じられない軽さだった。


クロは最初から榊を見ていた。


「用件は」


短い声。


榊はクロを見る。


一瞬だけ間を置いて、肩をすくめる。


「特にないですよ」


「特にない?」


ゆいが首をかしげる。


「はい。ただ近く通ったので」


「こういうところ、気になるんです」


榊は事務所の中を一度見回す。


まるで“人の気配”を確認するように。


ゆいは少しだけ警戒が薄れる。


「気になるって……?」


榊はゆいを見る。


少しだけ距離を縮める。


「早瀬さん、相変わらず分かりやすいですね」


「え?」


「すぐ表情に出る」


ゆいはむっとする。


「それ、褒めてます?」


「もちろん」


榊は即答する。


その軽さが自然すぎて、嫌味にはならない。


クロがぼそっと言う。


「軽いやつだな」


「よく言われます」


榊は即答した。


慣れている。


そして、それを直す気もない。



「あ。思い出しました~事件ですよ?たぶんですけど。」


現場はオフィスビルの会議室だった。


壁の時計は三時十二分で止まっている。


「この時間から、ずっと同じ会話になるんです」


榊は説明した。


その口調は軽いが、観察する目だけは曇っていない。


「誰と話しても、同じ三分だけが繰り返される感じで……」


ゆいは腕を組む。


「完全に異常現象ですね」


「そう見えます?」


榊は少しだけ面白そうに笑う。


「え、違うんですか?」


ゆいが聞き返すと、榊は肩をすくめる。


「違うかどうかは、見方次第です」


クロが低く言った。


「お前、また曖昧だな」


榊はクロを見る。


少しだけ楽しそうに目を細める。


「曖昧に見えるのは、まだ全部見えてないだけですよ」


その言い方は挑発ではない。


ただの事実確認のようでもあった。


ゆいは少し戸惑う。


「榊さんって、いつもそんな感じなんですか?」


「そんな感じ、って?」


「全部わかってるみたいな」


榊は一瞬だけ黙る。


そして軽く笑う。


「いや、全然ですよ」


「ただ、見えやすいものがあるだけです」


クロが机の上を見ながら言う。


「音がズレてる」


榊はその言葉に反応しない。


ただ、わずかに頷くだけだった。


「気づくの早いですね」


ゆいが振り向く。


「え?」


榊は壁の機械を見ない。


代わりに、空気の方を見ている。


「仕掛けですね」


クロは榊を見た。


「音の遅延実験か」


榊は軽くうなずく。


「ええ。“時間は音でずれる”ってやつです」


ゆいは拳を握る。


「それって事件じゃないの?」


クロは即答した。


「事件じゃない。仕掛けだ」


榊はそれを聞いて、小さく笑う。


「いいですね、その分け方」


「わかりやすい」


クロは睨む。


「褒めるな」


「褒めてますよ」


榊はあっさり返す。


そのやりとりに、ゆいは少しだけ安心する。


榊は“敵ではない空気”を崩さない。


だが、完全に味方とも言い切れない距離を保っている。


榊はゆいを見る。


「早瀬さんは、ちゃんと気づけてる方です」


「え?」


「違和感の形です」


ゆいは戸惑う。


「それ、どういう意味ですか?」


榊は即答しない。


少しだけ間を置いてから。


「そのままでいい、って意味です」


クロが低く言う。


「評価が雑だな」


榊は笑う。


「よく言われます」


帰り際、榊は軽く手を振る。


「じゃ、また」


ゆいが慌てる。


「また来るんですか?」


榊は振り返る。


少しだけ柔らかい顔になる。


「来ますよ。こういうの、放っておけないので」


クロを見る。


「あなたも、もう少し慣れた方がいいですよ」


クロは即答する。


「慣れる気はない」


榊は楽しそうに笑って、そのまま去っていく。




その夜。


クロは窓辺でつぶやく。


「……あいつ」


「榊さん?」


クロは少しだけ目を細める。


「距離の詰め方が一定じゃない」


ゆいは笑う。


「それって悪いこと?」


クロはしばらく黙る。


それから、小さく言った。


「……悪くはない」


しっぽは静かに揺れていた。


読んでくださりありがとうございました。

この静かな違和感が少しでも記憶に残れば幸いです。

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