3回の心理と、白い置き配
その日は、朝から細かい雨が降っていた。
窓に残る水滴が、街の光をゆっくり歪めている。
ゆいがスマホの画面を見つめながら、困惑したように声を漏らした。
「ねえクロ、また来てる……。これで同じ人から『白い箱が届く』って相談、3回目だよ」
クロは窓の外を見たままつぶやく。
「続きすぎだな」
榊がコーヒーを一口飲み、カップをそっと置いた。
「1回や2回なら偶然。でも『3回』続くと、人って急に特別な意味がある気がしてきますよね」
「意味はいらん。ほしいのは事実だ」
クロが言い放ったその時、カランとドアベルが鳴った。
入ってきたのは、三十代くらいの女性だった。雨に濡れた肩をすぼめ、疲れた顔のまま深く頭を下げる。
「すみません……LINEで相談していた件なんですが」
ゆいが立ち上がった。
「あ、白い箱の……!」
女性は小さくうなずき、胸元を締めつけるように言った。
「家の前にあの白い箱が置いてあるんです。……中に入っているのは、私が昔、忘れたかったものでした」
「忘れたかったもの?」
「捨てたはずの写真とか、失くしたと思ってた鍵とか……。そして、どの箱にも必ず、一本だけ『白い毛』が入っているんです」
女性の肩がかすかに震えている。
「嫌がらせでしょうか。誰かが私を監視して、過去を突きつけているみたいで……怖くて」
クロは静かに机から飛び降りると、短く告げた。
「現場を見よう」
現場は、静かな住宅街の奥にあった。古い一軒家で、玄関先のタイルにはまだ小さな水たまりがひろがっている。
「ここです」
女性が指さしたタイルの上に、一本の白い毛が落ちていた。
ゆいがしゃがみ込む。
「これ……猫の毛かな?」
「わかりません。でも過去の2回は、この場所にあの箱と一緒に落ちていたんです。なのに今日は毛だけで……」
クロはその毛をじっと見つめ、ふっと鼻を鳴らした。
「監視でも嫌がらせでもないな。……あいつは今日、お前がここを留守にしてどこかへ向かったのを知ってたんだよ」
女性が驚いて顔を上げた。
「えっ……? どういうことですか?」
「1回じゃ忘れた記憶に届かない。2回じゃ気のせいで捨てられる。だからあいつは、お前がちゃんと自分と向き合えるまで『3回』届かせたんだ。相馬のところへ戻るぞ。答えはそこにある」
喫茶店。
店内には香ばしいコーヒーの香りが満ちていた。
カウンターで相馬が淹れてくれた温かい珈琲を前に、女性は戸惑ったように座っている。
相馬がカウンターの下から、小さな白い木箱を取り出した。
「実はあなたがうちに来られた直後、この店のドアの前にこれが置いてありましてね」
箱を開けると、そこには古びた小さな首輪が入っていた。
そして、女性の家の前に落ちていたのと同じ、美しい白い毛が数本ついていた。
女性が息を呑む。
「あ……それ、私が昔飼っていた……あの子の……」
クロがソファーの上から静かに告げた。
「あの猫はな、お前が一人で泣きながらここに向かうのを見てたんだよ。『ここなら、傷ついて怯えてるご主人様を助けてくれる』って分かったから、お前を追っかけてきて店の前に最後の箱を置いたんだ」
女性の目から、大きな涙が溢れ出した。
「届いてたのは嫌がらせじゃねえ。お前が『忘れたい』って閉じ込めてた、楽しかった頃の思い出だ。箱に添えられてた白い毛は、お前を守るための『お守り』だよ」
「私……ずっと罪悪感があったんです。仕事が忙しくなって、あの子の最期に立ち会えなくて……だから、あの子と過ごした時期の思い出を見るのが辛くて、関係があるものを全部捨てて、忘れようとして……」
相馬が温かい珈琲をそっと押し出し、優しく語りかけた。
「忘れようとしなくてもいいんですよ。あの猫はあなたを責めてなんかいません。あなたが『忘れたい』と思うほど苦しんでいた記憶を、ひとつずつ拾い集めて箱に詰め、返してくれていたんです。楽しかった頃のあなたに戻ってほしかっただけなんだと思いますよ」
相馬は女性の手にそっと自分の手を重ねた。
「今日届いた箱は、あの子からの『もう泣かないで』という最後の手紙だったのかもしれませんね」
女性は溢れる涙を拭いもせず泣き崩れた。
「ありがとう……。私、ちゃんと前を向くね。思い出も、全部大切にするから……」
その言葉が店内に響いた瞬間、ふっと暖かな風が駆け抜けた。
窓の外、雨上がりの街灯の光の中に、一瞬だけ白い小さな影が揺れた気がした。
それは軽やかに跳ねると、空へどこかすがすがしく消えていった。
クロは窓の外を見つめたまま、素っ気なくつぶやいた。
「まったく……届けるなら一回で済ませろってんだ」
ゆいは泣き笑いのような顔でクロの頭を無茶苦茶に撫でた。
「もう、クロったら。……でも、よかったね」
「や…めろ!」
クロにあくびを噛み殺された店の中には、もう、どこにも恐怖の気配は残っていなかった。
ただ、温かな珈琲の香りと、優しい雨上がりの余韻だけが静かに満ちていた。
「忘れたいもの」と「捨てたもの」は、少しだけ違う気がしています。
たぶん、本当に忘れたいものほど、どこかに残り続けるのかもしれません。
雨の日の話を書くと、静かな音が増えるので好きです。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。




