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第九話 小さな違和感

「どうされました?」


「いや」


 頭の中で、何かが引っかかったのだ。


「反応の順番を、魔力の流れで決める?」


「概略では」


「触媒ごとに?」


「場合によります」


「魔力を一度分けてから入れる方法も?」


 マグヌスの目が僅かに動いた。


「……あります」


「へえ」


 キリオンは、少しだけ懐かしい気持ちになる。


「それ、昔似たような――」


 そこで止めた。


「……いや」


「何です?」


「何でもないです」


「…………」


 怪訝そうな顔をするマグヌスに対して。


 目を細めるのはセレスだった。


「先生」


「今はいい」


「まだ何も言っていません」


「言いたそうな顔してる」


「気のせいです」


 キリオンは、話題を変えるように声を出す。


「その理論って、今はどのくらい使われてるんです?」


「まだ研究段階です」


「へえ」


「ですが、実用化できれば複雑な錬成の成功率を大幅に上げられる」


「それは、とても便利ですね」


「……便利」


 昨日から何度も使っている言葉だ。


 キリオンにとっては本当にそういう感覚だったのだ。


 十五年、二十年昔。


 面倒だった。

 不安定だった。

 失敗した。


 そういう部分が今は、学問として整理されている。


「いい時代になったなあ」


 思わずそう言った。


 マグヌス教授は一瞬、妙な顔をする。


「……そうですな」


 その返事は、少しだけ硬かった。


     ◇


 顔合わせが終わった後。


 ノートルダム学長が、キリオンを学院内へ軽く案内してくれた。


 ……学長自らというのは、さすがに恐縮してしまう。


「お忙しいんじゃないですか?」


「ええ」


「じゃあ無理しなくても」


「構いません」


 ノートルダム学長が笑う。


「私も、セレスティア主席がそこまで推す人物に興味があります」


「やっぱりそこなんですね」


「不満ですか?」


「いや」


 キリオンは首を振る。


「分かりやすくていいです」


 自分が何かを成し遂げたから。


 自分の名前が知られていたから。


 ではない。


 他でもないセレスが、信用を積み重ねた。


 その信用の一部を今、自分が借りている。


「セレス」


「はい」


「迷惑掛けないようにしないとな」


「何がです?」


「お前の顔に泥塗れないだろ」


「先生がそのようなことをするとは、思っていません」


「でも」


「先生」


 セレスは少し語気を強めて、こちらを見る。


「逆です」


「逆?」


「私が、先生の名前に泥を塗らないようにするのです」


「……何で?」


「何で、と言われましても」


「俺そんな有名じゃないぞ」


「知っています」


「じゃあ」


「そういう意味ではありません」


 また、よく分からない話になった。


 ノートルダム学長が二人の前を歩きながら、小さく笑っていた。


 学院の中を進む。


 錬金理論学科。


 錬金工学科。


 錬金薬学科。


 それ以外にもいくつかの学科があり、そのそれぞれに立派な研究棟がある。


 学生の数も、キリオンがいた頃より明らかに増えている。


「すごいですね」


「ここ十年で、学院全体の規模はかなり大きくなりました」


 ノートルダム学長が説明する。


「国からの研究費も増えています」


「いいことですね」


「成果も増えました」


「すごい」


 素直に感心する。


 学生が。

 研究者が。

 教授が。


 より良いものを作ろうとしている。


 その結果、学問が進んでいる。


 キリオンはそういうものを見るのが、昔から好きだった。


 ただ少しだけ、気になることもある。


 例えば廊下の掲示板に貼られた標語。


『標準化された錬成こそ、安全な錬成』


 例えば講演会のチラシ。


『再現性なき技術は、技術にあらず』


「……なるほどな」


 キリオンが呟く。


「何か?」


「いや」


 悪くない。


 むしろ正しい。


 多くの人間が、安全に、同じ方法で、同じ結果を出す。


 それは技術として、とても大事だ。


 だからこそ。


「昔とは違うな」


「どの辺りがです?」


 セレスが聞いてくる。


「ちゃんとしてる」


「昔もちゃんとしていましたよ」


「俺のいた研究室は割と適当だった」


「それは先生の周りだけでは?」


「否定できない」


 キリオンは笑う。


 ただ。


 胸の中に、小さな違和感だけが残る。


 方法が整った。

 答えが整った。

 失敗する必要も減った。


 だからみんな、その方法を疑わなくなったのかもしれない。


 そんなことを、少しだけ思う。


「……まあ」


「先生?」


「何でもない」


 まだ来たばかりだ。


 勝手に決めつけるのもよくない。


 自分は十年以上、ここを知らないのだから。


「まずは勉強だな」


「先生がですか?」


「今の学生が何習ってるか、ちゃんと見ないと」


「それはそうですが」


「何?」


「先生が勉強と言うと」


「嫌な予感?」


「徹夜の」


「しないって」


「信じています」


「疑ってる顔だな」


 そのまま錬金学部の棟へ入ると、廊下を行き交う学生の数が一気に増えた。


 朝の授業が始まる時間が近いのだろう。本を何冊も抱えて急ぎ足で歩く者もいれば、壁際で友人とノートを見比べている者もいる。


 そんな中、セレスに気づいた学生が何人も振り返った。


「……やっぱり有名なんだな」


 キリオンが小さく呟く。


「主席ですので」


 ノートルダム学長が答えた。


「あの若さで、あれほど実務と理論の双方に秀でた錬金術師は、そう多くありません。学院を卒業した者の中でも、彼女ほど早く中央で頭角を現した者は稀でしょう」


「ですよね」


 キリオンは、何故か自分が褒められた時より嬉しそうに頷いた。


「先生」


「何」


「そこで先生が得意げにならないでください」


「だって俺の弟子だし」


「…………」


「お」


「何です?」


「ちょっと嬉しそう」


「気のせいです」


「そうか?」


「そうです」


 口では否定しているが、セレスの口元は僅かに緩んでいる。


 その様子を見ながら、ノートルダム学長は楽しそうに笑っていた。


 やがて一行が錬金学部の中央付近まで進んだところで、前方からマグヌス教授が歩いてきた。


「学長。こちらでしたか」


「どうしました、マグヌス教授」


「本日の予定について、キリオン殿へ説明しておこうと思いまして」


「今日の予定?」


 キリオンが聞き返す。


 自分が聞いているのは、学院内の案内と今後の授業についての打ち合わせ程度だったはずだ。


 マグヌス教授は頷いた。


「ええ。本日は十時から、錬金学部の基礎課程で講義があります」


「はい」


「その冒頭で、学生たちにあなたを紹介します」


「俺を?」


「明日から一部の授業を担当していただくのです。学生側にも、外部講師として誰が来たのか知らせておく必要があるでしょう」


「ああ、なるほど」


 それなら分かる。


 いきなり翌日教室へ現れて「今日から講師です」と言われるよりは、先に顔だけでも見せておいた方がいい。


「では、挨拶だけ?」


「あなたから長々と話していただく必要はありません。簡単な自己紹介程度で結構です」


「それなら何とか」


 少し安心した。


 ところがマグヌス教授は、そのまま続ける。


「その後は、授業を見学していただきます」


「授業を?」


「ええ。昨日、現在の教本には目を通されたのでしょう?」


「半分くらいですけど」


「文章で読むのと、実際にどう教えているのかを見るのとでは違います」


「それは確かに」


 キリオンは素直に頷いた。


「現在の王都学院で、学生がどのような錬金術を学んでいるのか。一度見ておいた方が、明日以降の授業もしやすいでしょう」


「明日から、なんですね」


「はい」


 マグヌス教授は明確に答えた。


「本日は授業をしていただきません。あなた自身の講義は、明日からです」


「良かった……」


「そこまで安心しますか」


「だって今、何を教えるかもまだちゃんと決めてないんですよ?」


「当然、その調整も本日中に行います」


「お願いします」


 さすがに何の準備もなく、学生の前へ放り出されるわけではないらしい。


 昨日から王都へ来て予想外のことばかり起きているため、キリオンとしては少し疑心暗鬼になっていた。


「では、俺は後ろで見てればいいんですか?」


「ええ。席はこちらで用意します」


「分かりました」


「そして」


 そこで、セレスが口を開いた。


「私も同席します」


 キリオンが横を見る。


「お前も?」


「はい」


「仕事は?」


「午前中はこちらへ来られるよう、調整してあります」


「また?」


「また、とは何ですか」


「最近俺のために、仕事調整しすぎじゃない?」


「必要な範囲です」


「主席ってそんな自由利くのか?」


「自由というより、調整しているのです」


 それはそれで大変そうだ。


「でも、今日俺は授業しないぞ?」


「承知しています」


「じゃあ何を見るんだ?」


 キリオンとしては、てっきりセレスが自分の初講義を見に来るつもりなのだと思った。


 しかし、彼女は首を振った。


「今日は先生の講義を見に来たわけではありません」


「じゃあ?」


 セレスは少しだけ考えてから答える。


「先生に、現在の王都学院で行われている錬金術の授業を見ていただきたいのです」


「俺に?」


「はい」


 それ自体は、マグヌス教授が先ほど言った通りだ。


 だが、セレスの目的は少し違うらしい。


「そして」


 彼女は続ける。


「先生が、それをどのように感じるのか。私は知りたいと思っています」


「どのようにって」


「そのままの意味です」


「今の授業が分かりやすいとか、そういう?」


「それも含めてです」


 セレスは穏やかに微笑んだ。


「昨日から先生は、現在の錬金術を何度も『便利になった』『分かりやすくなった』と仰っています」


「実際そう思うよ」


「ええ」


「それが?」


「ですので、実際の教育をご覧になった時にも同じ感想を持たれるのか。あるいは別の何かを感じられるのか」


「…………」


「それを見てみたいのです」


 キリオンは少し眉を寄せた。


「何か試されてない?」


「試してはいません」


「本当?」


「観察しているだけです」


「それも結構怖いんだけど」


 昨日からセレスは、自分が何かを見るたびに妙な反応をしている。


 新しい技術を見た時。

 現代の錬金理論を説明された時。

 マグヌス教授の研究について聞いた時。


 そのたびに、こちらが何を言うのか待っているような節があった。


「セレス」


「はい」


「お前、俺に何を期待してるの?」


「たくさんあります」


「即答だな」


「ですが、それを今すべて申し上げるつもりはありません」


「なんで?」


「先生自身に見ていただいた方が、よいと思っていますので」


「……何を?」


「色々とです」


「また誤魔化した」


 セレスは何も答えず、ただ楽しそうに笑った。


 その表情を見る限り、本人に悪意がないことだけは分かる。


 むしろ、何かとても楽しみなものを待っている子供のようだった。


「ちなみに」


 キリオンが尋ねる。


「俺の授業は見に来ないの?」


「行きます」


「来るんだ」


「当然です」


「仕事は?」


「調整します」


「またかよ」


「先生の最初の講義を見逃すつもりはありません」


「そんな大したものにならないぞ」


「それは私が判断します」


「何で生徒でもないお前が評価する側なんだ」


「弟子ですので」


「理由になってない」


 セレスは全く気にしていない。


 マグヌス教授が二人のやり取りを眺めてから、静かに口を挟んだ。


「初回の正式な講義については、明日を予定しています」


「はい」


「担当していただくのは、基礎課程です」


「それは先ほど聞きました」


「内容については、本日の授業を見ていただいた後に調整しましょう。その方が話も早い」


「助かります」


 キリオンとしても、その方がありがたい。


 現在の学生がどの程度の知識を持っているかも分からないまま教えろと言われても困る。


 町の子供たちに勉強を教える時だって、最初にどこまで分かっているのかを見る。


 相手が六歳なのか十二歳なのかで、教え方も違う。


 錬金術も同じだろう。


「ちなみに、今日の授業は誰が?」


「私です」


「マグヌス教授が?」


「何か?」


「いや、学科のトップが基礎も教えるんだなと思って」


「担当回数は多くありませんが」


 マグヌス教授は淡々と答える。


「基礎だから若手に任せればいい、という考えは好みません」


「へえ」


「上に進むほど、基礎の理解が重要になる。特に現代錬金術は体系的に学ばなければ、応用分野で必ず行き詰まります」


「それは同感です」


 キリオンが頷くと、マグヌス教授の目が僅かに動いた。


「同感ですか」


「はい。何でもそうでしょうけど、最初に変な覚え方すると後で直す方が大変だから」


「なるほど」


 短い返事だった。


 今朝の顔合わせから感じていることだが、マグヌス教授はやはりキリオンを信用してはいない。


 ただ、頭ごなしに排除しようとしているわけでもない。


 セレスが推薦した。


 学長が招聘を認めた。


 ならば講師としての仕事は任せる。


 だが、現在の学院の教育を乱すようなことはさせない。


 そんなところなのだろう。


 キリオン自身としては、それでいい。


 誰かと研究上の優劣を競いに来たわけではないし、教授たちの考え方を変えたいわけでもない。


 ただ、教える機会をもらった。


 なら、自分のできる範囲で学生の役に立つ。


 今のところ、それ以上を望んでいなかった。


「授業はどこで?」


「二階の第三講義室です」


 マグヌス教授が廊下の先へ目を向ける。


「そろそろ学生も集まっている頃でしょう」


「分かりました」


「紹介する際は、私から簡単に説明します。キリオン殿からは名前と、明日以降一部授業を担当する旨を伝えていただければ十分です」


「助かります。長い挨拶苦手なので」


「見れば分かります」


「俺そんな分かりやすい?」


「先ほどから何度も安心されていますので」


 意外とよく見られていた。


「先生」


 セレスが笑う。


「では参りましょう」


「楽しそうだな」


「楽しみですので」


「今日俺、見るだけだぞ」


「だからこそです」


「意味分からんなあ」


「いずれ分かります」


「その言い方最近多いぞ」


「では、先生の初講義の時に改めて」


「本当に来るんだな」


「はい」


 セレスは迷うことなく頷いた。


「今日はこちらから先生を見ていますが、明日は学生たちと一緒に先生の話を聞かせていただくつもりです」


「……余計緊張すること言うなよ」


「楽しみにしています」


「俺は今から嫌な汗出てきた」


 そんなキリオンを見て、セレスはますます楽しそうに微笑んだ。


 そして三人は、学生たちの待つ講義室へと向かった。


 今日、キリオンがすることは、まだ教えることではない。


 今の王都学院が、何を正しいとし、何を学生たちへ伝えているのか。


 それを見ること。


 そして明日から。


 今度は自分が、学生たちの前に立つことになる。


 その実感がようやく湧いてきて、キリオンは小さく息を吐いた。


「……まずは見学、か」


「はい」


 セレスが答える。


「じっくりご覧ください、先生」


「だから、その言い方が怖いんだって」


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