第十六話 先生はやっぱりすごい
「……げ、レオナ・ヴァルグレイブ」
「うわ、セレスティア・レインベル」
夜の大通り、その一角だけ空気が明らかに重くなった。
曲がり角でぶつかりかけた二人は、互いの顔を確認した途端、同じくらい嫌そうな表情を浮かべている。ほんの少し前まで酒の余韻で機嫌よく歩いていたレオナも、一日の仕事を終えて疲れていたセレスも、今は別の意味で完全に目が覚めたようだった。
その間に立つことになったキリオンだけが、どうしていいか分からず二人を見比べていた。
「……知り合いなんだよな?」
「知っています」
「知ってる」
返事だけは揃う。
「仲は」
「良くありません」
「良くない」
「そこも揃うんだな」
キリオンが困ったように笑うが、二人は全く笑わなかった。
先に口火を切ったのはセレスだった。
「それより先生」
「はい」
「なぜレオナ・ヴァルグレイブと一緒に歩いているのですか?」
「何でって」
「アタシと先生は――」
「貴女には聞いていません」
「は?」
レオナの眉が跳ね上がる。
セレスは一切そちらを見ない。
視線はまっすぐキリオンへ向けたままだった。
「先生に伺っています」
「いや、そんな怖い顔で聞かれても」
「怖い顔などしていません」
「してるぞ」
「していません」
「してるって」
横からレオナが口を挟む。
「アンタ、今にも先生を尋問しそうな顔してるじゃん」
「貴女は黙っていてください」
「何でアンタに言われなきゃいけないの?」
「先生と話しているからです」
「アタシも先生と話してたんだけど」
「今は私が聞いています」
「知らないよ」
「待て待て」
キリオンが慌てて両手を上げる。
「飯だよ、飯」
「食事?」
「そう。久しぶりに会ったから、昔の話でもしようと思って」
それを聞いたセレスが、わずかに目を細めた。
「久しぶりに?」
「ああ。昔、旅の途中で一緒だったんだ」
「一緒に?」
「一年弱くらいかな」
「一年弱」
妙に低い声になった。
キリオンは嫌な予感を覚える。
「いや、だからさ。久しぶりの弟子と食事するのは普通では?」
その瞬間、セレスがぴたりと止まった。
「私はしていませんよ」
「……何が?」
「先生と二人きりで、昔話をしながら食事などしていません」
「え?」
「王都へ来てから何度もご一緒していますが、基本的に仕事の合間です」
「そうだっけ」
「そうです」
「いやでも、飯くらい」
「していません」
「……はい」
なぜか怒られた。
横でレオナがにやりと笑う。
「へえ」
「何ですか」
「いやぁ?」
「何でしょう」
「アンタ、先生と二人でゆっくり飯も食べてないんだ?」
「…………」
「アタシは今日したけど」
セレスのこめかみが僅かに動いた。
「というか」
今度はセレスがレオナへ向き直る。
「先ほど先生は、弟子と仰いましたが」
「そうだけど?」
「それは、そこのガサツ女のことですか?」
「誰がガサツ女だ!」
「貴女以外に誰がいるのです?」
キリオンは二人の間で小さくため息をついた。
「いや、レオナも弟子で合ってるよ」
「も?」
セレスが反応する。
「何?」
「今、も、と仰いましたね」
「言ったけど」
「つまり私と同列?」
「弟子って意味なら」
「…………」
セレスが黙る。
レオナがそれを見て、ますます楽しそうな顔になった。
「何その顔」
「別に」
「悔しいんだ?」
「何がです?」
「先生の弟子、アタシだけじゃないって今更知ったの?」
「今更ではありません。先生に他の教え子がいる可能性くらい考えていました」
「でもアタシがそうだとは知らなかった」
「……それは」
「そうだよなー、今知ったもんなー」
レオナは完全に調子に乗っているようだった。
「しかも先生と“最初に”二人っきりで食事をしたのはアタシなんだぞー」
「最初?」
セレスの声がさらに冷える。
「今日、再会したその日に?」
「そう」
「先生から誘われて?」
「そう!」
「……先生」
「俺?」
「なぜです?」
「何でまた俺が怒られるんだよ」
「私は誘われていません」
「そこ?」
「重要です」
「重要かなあ」
レオナが横から笑う。
「何ならさ」
「何です」
「アタシの方が姉弟子なんじゃないの?」
「は?」
「先生と出会った時期で言えば、アタシの方が先かもしれないじゃん」
「待ってください」
「何?」
「私は四年七か月、先生から直接教えを受けています」
「長さで決めるの?」
「少なくとも、貴女の一年弱よりは長いですね」
「でも先に会った方が上じゃない?」
「その理屈はどこから?」
「世間一般?」
「聞いたことがありません」
「じゃあ今日からそうしよ」
「しません」
「お姉様って呼んでもいいよ?」
「絶対に嫌です」
「即答じゃん」
「当然です」
キリオンは頭を抱えた。
どちらも二十代前半。
片や宮廷主席錬金術師。
片や超一流冒険者にして武装錬金の祖。
王国どころか国外でも名の通る二人が、夜道の真ん中で「どちらが姉弟子か」を言い争っている。
「なあ」
「何ですか、先生」
「何、先生」
「恥ずかしくない?」
二人が同時にキリオンを見る。
「先生は黙っていてください」
「先生は今関係ない」
全く取り合ってもらえなかった。
セレスは改めてレオナへ向き直る。
「そもそも貴女が先生の弟子というのも、少々納得できません」
「はあ?」
「貴女の錬金術は粗雑すぎます」
「殺すぞ」
「ほら、その言葉遣いも」
「アンタは綺麗にやりすぎなんだよ。実戦でそんな悠長なことしてられるか」
「国政に関わる錬成を、勘と勢いで行えると思っているのですか?」
「思ってないよ。だからアタシはやらない」
「では私の分野を軽視しないでください」
「そっちこそアタシのやり方を粗雑って言っただろ!」
「粗雑ですが?」
「この……!」
「待て待て、本当に喧嘩するな」
キリオンが慌てて割って入る。
しかし、二人の勢いは止まらない。
「アンタさ、先生から何教わったわけ?」
「錬金術の基礎です」
「それはアタシも」
「具体的には、素材をただ組み合わせるのではなく、反応の理由を考えること。何が変化し、どこで作用し、どうしてその結果になるのかを観察することです」
「ああ」
レオナが一瞬だけ黙った。
「それ、分かる」
「……分かる?」
「先生は、アタシには周り全部見ろって言った」
「周り?」
「地面も壁も木も相手の装備も、錬金術師にとっては素材になり得る。手元に何もないって思うなって」
セレスの表情が少し変わる。
「それは……」
「何?」
「少し、先生らしいと思っただけです」
「でしょ」
「なぜ貴女が得意げなのですか」
「アタシの先生だから」
「私の先生でもあります」
また空気が険悪になる。
だが。
今度はほんの少しだけ、別のものが混じった。
セレスは黙り込み、レオナの言った内容を反芻していた。
周囲の全てを素材として見る。
それは、自分が教わった内容とは全く違う。
自分が先生から受け取ったのは、現象を観察し、理由を掘り下げる姿勢だった。結果だけで満足せず、なぜそうなるのかを追い続けること。
その積み重ねが、今の自分に繋がっている。
国を挙げた金属材料精錬計画。
従来は高価で不安定だった特殊金属の精錬工程を見直し、大規模設備でも再現できる形へ落とし込んだ。
さらに簡略化した技法を各地の工房へ普及させ、軍需だけでなく建築や魔法工学にも使えるようにした。
自分の代表的な実績の一つだ。
だが、その根底にあるのは何だったか。
既存の工程をそのまま受け入れず、なぜこの温度なのか、なぜこの触媒なのか、なぜ小規模では成功し大型設備では失敗するのか。
ずっと「なぜ」を追った。
それは、先生から教わったことだ。
一方、レオナもまた黙っていた。
セレスが言った内容は、自分とはまるで違う。
現象の理由。
反応の構造。
理論。
正直、細かい話は苦手だ。
だが、目の前の相手がそれで頂点まで行ったことは知っている。
宮廷主席錬金術師、セレスティア・レインベル。
国を挙げた金属材料精錬の大型化と汎用化を成し遂げた女。
何万人もの生活や産業に影響を与える技術を、一つの体系として完成させた。
それと、自分。
武装錬金の真髄は、戦場で生き残るために周囲の全てを使うこと。
地面も。
壁も。
時には相手の装備さえも。
根っこを辿れば、先生から言われた「周りを見ろ。使えるものを全部使え」
この言葉から、始まっている。
「…………」
「…………」
二人が同時に黙った。
キリオンだけが、何も分からず二人を見比べる。
「何?」
返事はない。
セレスがレオナを見る。
レオナもセレスを見る。
「……一つ、確認しても?」
「何」
「貴女の武装錬金の基本思想は、先生から?」
「……そうなるね。形にしたのはアタシだけど、最初の考え方は先生」
「…………」
「アンタは?」
「私も、基礎となる考え方は先生からです」
「…………」
また沈黙。
キリオンは嫌な予感がした。
「お前ら、どうした?」
セレスがゆっくり口を開く。
「おかしいですね」
「何が?」
「私とこの女」
「この女って言うな」
「貴女は黙って」
「は?」
「……錬金術以外は、ほとんど正反対と言っていいほど違います」
レオナが少し考える。
「まあ、それはそう」
「私は精密さと理論、安定性を重視します」
「アタシはそこまで気にしないね。実戦で使えりゃいい」
「使えればいい、という言い方は気に入りませんが」
「今そこいいだろ」
「ですが」
セレスは少しだけ目を細めた。
「その両方の根幹に、先生がいる」
「……だね」
二人が同時に、キリオンを見る。
「何?」
キリオンは少し後ずさった。
レオナの表情が変わる。
今日は、人生でも指折りの記念日になった。
先生と再会して。
食事して。
褒めてもらって。
泣いて。
それで終われると思ったら、最後にセレスティア・レインベルと会った。
最悪だ。
最悪だった。
だが。
「あのさ、先生って」
「はい」
「やっぱすごくない?」
セレスが黙る。
その数秒後、セレスの口角が、ほんの少しだけ上がる。
「……奇遇ですね」
「何さ」
「私も今、同じことを考えていました」
「でしょ!?」
「なぜ貴女が嬉しそうなのです?」
「先生だから!」
「私の先生でもあります」
「またそれ!」
「事実です」
お互いがお互いを気に入らない。それは変わらない。
なのに先生の話になると、妙な共通点がある。
「だってさ」
レオナが腕を組む。
「アタシの武装錬金とアンタの錬金術って、全然違うじゃん」
「全くと言っていいほど」
「なのに先生、両方の根っこ教えてるんだよ?」
「……そうですね」
「やっぱすごいじゃん」
「ええ」
セレスも腕を組んだ。
「私も以前から、先生の教えは普遍的だと思っていました」
「普遍的?」
「どの分野でも応用できるという意味です」
「ああ。それは分かる」
「貴女に分かるのですか?」
「喧嘩売ってんの?」
「確認です」
「売ってるだろ!」
「ですが」
セレスは。
少しだけ。
誇らしげだった。
「私が金属精錬を大規模化できたのも、先生に『結果だけを見るな』と教えられていたからです」
「へえ」
「既存の方法を大型設備へ移しただけでは失敗しました。そこで各工程の理由を一つずつ見直し、ようやく安定させることができた」
「やるじゃん」
「当然です」
「その言い方腹立つな」
「事実なので」
「でも」
レオナも少しだけ胸を張る。
「アタシは都市一個救ったけど」
「知っています」
「津波止めた」
「正確には地形を変えて被害を防いだ、でしょう」
「止めたようなもんじゃん」
「言葉は正確に」
「細かい!」
「そこが重要です」
「でも、あれも先生に言われたこと思い出したんだよ」
「何を?」
「周り全部使えって」
レオナが笑う。
「目の前に海と街と土地があった。だったら土地使えばいいって」
「……それを実行する貴女もどうかしていますが」
「褒めてる?」
「半分は」
「残り半分は?」
「呆れています」
「アンタに言われたくない!」
「何ですか」
「国単位で金属精錬変えた女が!」
「必要だったので」
「ほら!」
また言い合いが始まる。
だが。
なぜか。
さっきまでより。
少し楽しそうだ。
キリオンは。
完全に置いていかれていた。
「なあ」
「何ですか、先生」
「何、先生」
「結局お前ら仲いいの?」
「良くありません」
「良くない」
「そこは揃うんだな」
二人は互いを見る。
そしてまた、同時にキリオンを見る。
「ですが」
セレスが少し笑う。
「先生が素晴らしいという点では、意見が一致するようです」
「それだけはね」
レオナも笑う。
「アタシの先生なんだから当然だけど」
「私の先生です」
「姉弟子はアタシ」
「まだ言いますか」
「言うよ」
「では今度、在籍期間と指導内容を整理して――」
「面倒くさっ!」
「逃げないでください」
「何で勝負みたいになってんの!?」
二人の声が夜道に響く。
そしてなぜか、セレスが笑った。
「ふふ」
レオナも、釣られるように笑う。
「ははっ」
「ふふふふ……」
「ははははっ……!」
キリオンは二人を見比べた。
「……なんだこの空気……」




