第十五話 弟子の始まり
「せっかくだし、飯でも食いながら話すか」
体育館を出たところで、キリオンがそう言った。
レオナは一瞬きょとんとした顔をしたあと、すぐに笑顔になる。
「行く!」
「即答だな」
「当たり前じゃん! 先生とご飯なんて何年ぶりだと思ってんの?」
「十年以上?」
「そうだよ!」
先ほどから、そればかり言われている気がする。
キリオンとしても、これだけ時間が経っていたことには改めて驚かされていた。
記憶の中にいるレオナは、まだ十歳を少し越えた程度の少女だ。
背丈も今よりずっと低く、口も態度も悪くて、そのくせ細かな調合になると途端に嫌そうな顔をしていた。
それが今では二十二歳前後。
武装錬金の第一人者として、多くの学生や冒険者を相手に講師までしている。
「……本当に大人になったんだな」
「何?」
「いや」
キリオンは少し考えてから笑った。
「酒も飲める歳なんだよな」
「飲めるよ?」
「じゃあ今日は酒にするか」
「えっ」
レオナが止まった。
「何?」
「先生とお酒?」
「嫌なら別に」
「嫌じゃない! 絶対行く!」
「声でかいって」
さっきまで体育館で学生たちを震え上がらせていた人物とは思えない。
キリオンは苦笑しながら学院の外へ向かった。
◇
夕方の王都は、昼とはまた違う賑わいを見せていた。
仕事を終えた者たちが大通りを歩き、飲食店からは料理の匂いが漂ってくる。
露店では串焼きや揚げ物が売られ、酒場の前にはすでに数人の客が集まっていた。
「王都って、夜も人多いな」
「先生、昔住んでたんでしょ?」
「昔はもう少し静かだった気がする」
「何年前の話?」
「だから十年以上」
「それ、王都が変わったんじゃなくて先生の感覚が古いだけじゃない?」
「……それは、否定できない」
歩きながら、キリオンは周囲を見る。
知らない店が多い。
昔あった店もいくつか残っているが、看板が変わっていたり、建物そのものが新しくなっていたりする。
「どっか適当に入るか」
「待って」
レオナが腕を掴んだ。
「何?」
「そこはちょっと、行きたくないかな」
「何で?」
「……アタシの知り合いが多いんだ」
見ると、確かに酒場の入口付近にいた男たちがレオナを見ていた。
「あれ、レオナ・ヴァルグレイブじゃないか?」
「本物?」
「今日学院にいたって」
「声かけてみる?」
明らかに冒険者らしい装備だった。
「人気者だな」
「人気っていうか、面倒なんだよ」
レオナは少し嫌そうな顔をする。
「冒険者の仕事してると、知り合いが増えるからさ」
「いいことじゃない?」
「大事な相手と、静かに話したい時だってあるでしょ?」
大事な相手、という言葉に少しどきっとした。
「……なるほど」
「だから、個室のあるところ行こ」
「そんな店知ってるの?」
「そりゃ王都にもよく来るし」
そう言って、今度はレオナが先に歩き始めた。
大通りを一本外れ、少し落ち着いた通りへ入る。
そこには派手な酒場ではなく、料理を中心に出している店が並んでいた。
「ここ」
レオナが指差したのは、木造二階建ての落ち着いた店だった。
「高くない?」
「普通」
「レオナの普通、信用していい?」
「冒険者の金銭感覚なめないで」
「一流の冒険者がそう言うと、余計に怖いな」
店へ入る。
店員はレオナの顔を見て一瞬驚いたものの、騒ぐことはなかった。
「個室、空いてる?」
「はい。二名様ですね」
「お願い」
どうやら、本当になじみの店らしい。
案内されたのは二階の小さな個室だった。四人ほど座れる机があり、扉を閉めれば外の声もかなり小さくなる。
「いい店だな」
「でしょ」
「よく来る?」
「たまに。王都で仕事ある時とか」
「へえ」
注文を済ませる。
酒はキリオンが麦酒、レオナは果実酒を選んだ。
「それ甘いやつ?」
「うん」
「意外」
「何が?」
「強い酒を飲みそうだなあって」
「先生、アタシを何だと思ってるの?」
「うーん……強い女性?」
「雑!」
料理もいくつか頼んだ。
焼いた肉。
揚げた芋。
酢漬けの野菜。
魚の香草焼き。
完全に居酒屋のような内容だ。
「じゃあ」
酒が運ばれてきたところで、キリオンが杯を持つ。
「再会に」
「うん」
「乾杯」
「乾杯!」
杯を合わせる。
レオナは一口飲むと、嬉しそうに笑った。
「先生とお酒を飲んでる……」
「そんな感動する?」
「するよ!」
「大げさだな」
「またそれ言う」
「だって」
キリオンも麦酒を飲む。
「俺からしたら、昔会った子供が大きくなってたって感じだから」
「アタシからしたら全然違うんだけど」
「そう?」
「そう」
レオナは果実酒の杯を机に置いた。
少しだけ。
さっきまでの浮かれた顔が落ち着く。
「先生、覚えてる?」
「何を?」
「アタシと会った時」
キリオンは考える。
「……細かくは」
「やっぱ忘れてるじゃん」
「十二年前くらいだろ?」
「十一年ちょい」
「細かいな」
「アタシには大事なんだよ」
レオナはそう言って、少し笑った。
「覚えてるよ」
「本当?」
キリオンは頷く。
旅の途中に寄った、小さな町。
いや、町と呼ぶにも小さいくらいの、街道から外れた場所にある集落だった。
「最初、俺の薬草袋を盗みに来たんだよな」
「お腹空いてたんだよ!」
「確かに、苦そうな顔してたよなあ」
「……最悪だった」
徐々に記憶が鮮明になっていく。
今にも倒れそうな小さな少女。
服は汚れ、髪もぼさぼさ。
それでも。妙に目だけは強かった。
「それなのに追いかけたら、石を投げられた」
「先生が追いかけてくるから!」
「盗まれたんだから追うだろ」
「普通諦めるじゃん!」
「あの薬草、採るのに苦労したんだよ」
「そこ!?」
二人で笑う。
その時、料理が運ばれてきた。
一度会話を止め、皿を並べてもらう。
扉が閉まる。
「でも」
レオナは肉を一切れ取る。
「先生、アタシを捕まえても怒らなかった」
「怒ったぞ?」
「怒ってない」
「盗むなって言った」
「それだけじゃん」
「十分だろ」
「普通は殴られるよ。アタシみたいな、親がいない捨て子は特にね」
キリオンが黙る。
レオナは少しだけ視線を下げた。
「……正直さ、親の顔が見たいって思ったことはあるよ」
その声は、言葉の内容にもかかわらず平静だった。
それだけ昔から、何度も自分の中で整理してきた話なのだろう。
「大人がたまに食べ物をくれたりはした。でも、ずっと面倒見てくれる人はいなかった」
「……」
「仕事できる歳でもなかったしさ」
だから盗んだ。
拾った。
残り物を食べた。
危険な場所へ入って、売れそうなものを探したこともある。
「先生に会った時も、食べるものがなかった」
「だからって人の荷物を盗むなよ」
「今は分かってる!」
「ならいい」
キリオンは笑う。
レオナも少し笑った。
「でも、先生」
「うん」
「あの後アタシに、ご飯をくれた」
「俺も腹が減ってたからな」
「寝る場所も」
「雨、降ってたしなあ」
「怪我も治してくれた」
「錬金術師だから、そのくらいなんてことはない」
「それで」
レオナが少しだけ、声を詰まらせる。
「一緒に来るかって言った」
「……言ったな」
レオナに関する記憶で、最も鮮明に覚えている記憶の一つだ。
集落を離れようとしばらく歩いているときに、少し離れたところをレオナがついてきていた。
「何でついてくるんだって聞いたら、『帰るとこ無いんだ』って言うもんだからなあ」
「そしたら先生が、『じゃあしばらく一緒に来るか』って」
「本当は、ちょっとのつもりだったぞ」
「一年近く一緒だったじゃん」
「結果的にな」
キリオンにとっては、行く場所のない子供をそのまま置いていくのも寝覚めが悪かったという程度のことだった。
次の町まで連れていき、そこで何か考えればいい。
……そのつもりが一つ先の町、そのまた次の町と続き、気づけば一年近く一緒に旅をしていた。
けれど、レオナにとっては違ったらしい。
「アタシには、それが人生の全部だった」
その声が少しだけ震えた。
「初めてだったから」
「…………」
「明日も飯があるって分かったの」
レオナの目から、一粒だけ涙が落ちた。
「おい」
「何」
「泣くなよ」
「泣いてない」
「泣いてる」
「先生のせい」
「俺?」
「そう」
レオナは乱暴に目元を拭った。泣いているところを見られるのが恥ずかしいのか、それでもキリオンから視線を逸らそうとはしない。
「先生はさ、多分覚えてないと思うけど」
「何を?」
「最初に錬金術教えてくれた時」
キリオンは記憶を探った。
「薬?」
「違う」
「火?」
「違う」
「じゃあ……石?」
「それ!」
ようやく思い出した。
街道を歩いていた時だった。脇の茂みから魔物が現れたのだ。
キリオンとしては、それほど手強い相手だった記憶はない。
だが、十歳そこそこの少女にとっては話が違う。
「アタシ、何にもできなかった」
「子供だったからな」
「先生も最初は逃げろって言った」
「そりゃ言うだろ」
「でもアタシ、怖くて動けなかったんだよ」
レオナは昔を思い出すように、自分の手へ視線を落とした。
「そしたら先生さ、『俺には地面があるから大丈夫』って言った」
「……言ったな」
「『ここに石がある。土もある。木もある。だから大丈夫』って」
「……俺、そんな格好いい言い方してたっけ?」
「した!」
「本当?」
「アタシが覚えてる!」
「なら、したのか」
「した!」
レオナは少し怒った顔をしたが、すぐにその表情も崩れた。
「先生が地面を変えて魔物の足を止めて、それから煙を出した」
「地面をちょっと盛っただけだろ」
「それを見て、アタシもできるようになりたいって思った」
「逃げ方を?」
「錬金術を!」
「そっちか」
「先生!」
「冗談だよ」
キリオンが笑うと、レオナも呆れたように息を吐いた。
ただ、その時の出来事が今のレオナへ繋がっていると言われれば、不思議な感じがする。
「でも、細かいのは苦手だったよな」
「それは覚えてるんだ」
「薬とか作らせると酷い顔してたからな」
「一滴ずつ測るの難しくて、こう、むずむずするんだよね」
「今も?」
「今も」
「そこは成長してないな」
「いいの! 今は別のやり方でできるようになったから!」
「まあ、それはそうだな」
キリオンは頷いた。
レオナは、計量そのものは決して得意ではなかった。
決められた量を決められた手順で揃えるような作業をさせると、露骨に集中力を切らしていた。
だが、反応を見る目は鋭かった。
液体の色、泡の立ち方、魔力の流れ、素材の変化。
理屈を理解していたわけでもないのに、どこを変えれば反応が良くなるのかを直感的に当てることが何度もあった。
「レオナは、反応見て調整するのが上手かったよな」
「…………」
「何」
「先生、それ初めて言った」
「そう?」
「そう!」
「言った気がするけど」
「言ってない!」
「じゃあ今言った」
「遅い!」
また涙が落ちた。
「おい、何で褒めると泣くんだよ」
「嬉しいから!」
「面倒だなあ」
「面倒って言うな!」
泣きながら怒り、怒りながら笑う。キリオンの記憶にある少女と、目の前にいる大人のレオナが少しだけ重なった。
「でもさ、俺、本当に大したことはしてないぞ」
「またそれ?」
「いや、これは本当に」
キリオンは少し真面目な顔になる。
「俺がレオナに教えたのって、旅先で襲われた時にどうやって生き残るかとか、簡単な錬金術の基礎だろ?」
「だから、それが――」
「武装錬金を作ったのは、レオナ、君だ」
レオナが口を閉じた。
「武装錬金の第一人者って呼ばれるようになったのも、全部レオナがやったことだろ」
「……うん」
「俺じゃない」
キリオンは穏やかに笑った。
「俺はきっかけになっただけだ。立派になったのは、レオナが頑張ったからだよ」
「……先生」
「だから、ちゃんと誇っていい」
レオナの顔が完全に崩れた。
「うわあああ……」
「何で余計泣くの!?」
「無理!」
「待て待て」
「先生が悪い!」
「分かったから」
キリオンが慌ててなだめるが、しばらくレオナの涙は止まらなかった。
「アタシ、ずっと先生に会ったら言おうと思ってて……!」
「うん」
「アタシ、ちゃんと生きたって!」
その言葉に、キリオンの手が止まる。
レオナは涙を拭きながら、それでも笑おうとしていた。
「先生が生きろって言ったから、アタシ、ちゃんと生きた」
「…………」
昔、魔物から逃げたあと。
震えていた少女に、確かにそんなことを言った記憶がある。
勝てなくてもいい。
逃げてもいい。
格好悪くても、生きていれば何とかなる。
まさか本人が、十年以上も覚えているとは思っていなかった。
「……そうか」
キリオンは少しだけ目を細めた。
「よく頑張ったな」
「……うん」
昔そうしていたように、レオナの頭へ手を置いた。
「先生」
「何」
「アタシもう子供じゃない」
「知ってる」
「じゃあ頭撫でないで」
言われて、キリオンが手を離そうとする。
「……いや、もうちょっと」
「どっちだよ」
「今だけ」
「はいはい」
頭を撫でられながら、レオナはようやく少し落ち着いた。
武装錬金の第一人者。
超一流の冒険者。
学生たちを一声で黙らせる厳しい講師。
昼間に見た姿からは考えられないくらい、今のレオナは昔のままだった。
◇
店を出る頃には、王都の空はすっかり暗くなっていた。
大通りには魔力灯が灯り、昼間とは違う柔らかな光が石畳を照らしている。酒場や飲食店の並ぶ一角にはまだ多くの人がいたが、学院へ近づくにつれて人通りは少なくなっていった。
「飲んだなあ」
「先生、そんな飲んでないじゃん」
「歳取ると残るんだよ」
「また歳の話してる」
「本当なんだって」
キリオンが肩を回すと、レオナは呆れたように笑った。
「アタシより元気そうだったけど」
「レオナが泣き疲れただけだろ」
「泣いてない!」
「店員さん心配してたぞ」
「先生のせいだから!」
「俺、今日何回悪者にされてる?」
二人並んで夜道を歩く。
レオナの宿は学院から少し離れた場所にあるらしい。冒険者として王都へ来る機会も多く、長年利用している宿があるとのことだった。
「レオナは明日も学院?」
「午後からね。また講習」
「忙しいな」
「先生は?」
「俺は午前に講義がある」
「じゃあ見に行っていい?」
キリオンは想像する。
講義室に、レオナとセレスが座っている様子を。
「……講義どころじゃなくなるだろうから、来ないでくれると嬉しい」
「えー」
「えー、じゃない。レオナが講義室に来たら絶対大騒ぎになるだろ」
「それは……確かに、そうかもだけど……」
反論のしようがないのか、レオナの語尾から勢いがどんどんなくなっていく。
キリオンは笑いながら歩き続けた。
「でも、レオナは本当にすごいよな」
「……先生、今日褒めすぎ」
「事実だろ」
「もう今日のアタシ、限界なんだけど」
「また泣く?」
「泣かない!」
「ならいい」
「絶対楽しんでるでしょ」
「少し」
「やっぱり!」
レオナが軽く肩を叩く。
「痛いって」
「え、そんな強くしてないけど」
「レオナの基準で叩くなよ」
「あ、ごめん」
先ほど体育館で見た拳を思い出すと、軽くで済んでよかったと思う。
「先生、弱くなった?」
「歳だな」
「便利に使いすぎじゃない?」
「便利なんだよ、歳って言葉」
そんな他愛のない話をしながら、二人は王都学院へ続く大通りまで戻ってきた。
ここまで来れば、キリオンの宿舎まではそれほど遠くない。
「じゃあ、この辺でいいぞ」
「送る」
「レオナの宿は逆方向だろ」
「先生、お酒入ってるし」
「酔ってない」
「でも歩くのは遅いじゃn」
「だから歳」
「またそれ!」
結局、レオナはもう少し一緒に歩くことになった。
十年以上ぶりなのだから、まだ離れたくないのだろう。
キリオンの方も、実のところ聞き足りないことは山ほどある。
少しくらい遠回りしてもいいか。
そう思っていたところで、二人は通りの角へ差しかかった。
「先生、明日もご飯行こうよ」
「毎日は無理だって」
「何で?」
「お互い仕事があるだろう」
「夜は空いてる」
「俺も講義がある」
「夜は、空いてる」
「押しが強いなあ」
キリオンが笑った、その時だった。
曲がり角の向こうから足音が近づき、人影が姿を現す。
互いに死角になっていたため、キリオンが気づいた時にはかなり距離が近かった。
「あ」
「先生!」
レオナの反応は早かった。
キリオンの前へ半歩滑り込み、自分の身体を間に入れる。
相手も急いで足を止めたため激しくぶつかることはなかったが、レオナと相手の肩が軽く触れた。
「すみません」
「こっちこそ、ごめん」
二人がほぼ同時に謝る。
そこで初めて、レオナが相手の顔を見た。
向こうも同じように顔を上げる。
「…………」
「…………」
空気が変わった。
キリオンからはレオナの背中しか見えない。それでも、つい今まで気軽に話していた彼女の肩が僅かに固くなったのが分かった。
そして向こう側。
淡い金髪の女性も、疲れていた表情を一瞬で険しいものへ変えている。
「……げ」
先に声を漏らしたのは、セレスだった。
「レオナ・ヴァルグレイブ」
レオナも心底嫌そうに眉を寄せる。
「うわ」
そして吐き捨てるように、その名を呼んだ。
「セレスティア・レインベル」




