第十四話 武装錬金の祖
特別講習の終了を告げる鐘が鳴っても、体育館の熱気はなかなか収まらなかった。
演習場の中央では、最後の模擬戦を終えた参加者たちが息を整えている。見学席では学生たちが興奮した様子で感想を言い合い、先ほどまで使われていた錬成具や触媒について身振りを交えながら議論していた。
そんなざわめきの中、女教官が演習場の中央へ戻る。
「集合!」
大きな声だった。
歓声とは違う。よく通る、芯のある声。
それまで散らばっていた学生や外部参加者たちが、すぐに彼女の方へ向き直る。先ほどまで模擬戦で盛り上がっていた空気が、一瞬で訓練のものへ戻った。
キリオンは見学席から、その様子を感心しながら眺めていた。
「慕われてるなあ」
「というより、恐れられている部分もあると思います」
隣にいる見習い研究員が小声で答える。
「怖いの?」
「かなり厳しい方だと聞いています」
「へえ」
確かに、今の彼女の表情を見る限りでは納得できる。
模擬戦中には動きに迷いがなく、戦いが終わった今も学生たちを見る目は鋭い。若い女性ではあるが、少なくともこの場で年齢を理由に軽く見る者はいないだろう。
「今日はここまで!」
女教官が参加者たちを見渡す。
「最後に一つだけ言っとく」
学生たちの姿勢が自然と正される。
「今日教えた技を覚えたからって、自分が強くなったなんて勘違いするなよ」
先ほどまで興奮していた学生たちが静かになる。
「武装錬金は便利だ。相手の足を止めることもできる。壁も作れる。武器も作れる。地形だって利用できる」
女教官は演習場をゆっくり歩きながら、一人ひとりへ言い聞かせるように続けた。
「でもな。それができることと、生き残れることは別だ」
キリオンの目が、少しだけ細くなる。
「実戦じゃ、相手は待ってくれない。錬成具を落としたら拾うまで待ってくれるわけでもないし、手順を間違えたからってやり直しさせてくれるわけでもない」
学生たちの中には、真剣な顔で頷いている者もいる。
「一番大事なのは、自分が何をできるかじゃない。今の状況で、何をすれば生き残れるか考えることだ」
そこで、女教官は一度言葉を切った。
「逃げろって言ってんじゃないぞ」
数人がわずかに顔を上げる。
「いや、違うな」
彼女は少し考え直す。
「逃げてもいい」
体育館が静かになる。
「逃げられるなら逃げろ。勝てない相手に格好つけて死ぬくらいなら、泥まみれになってでも生き残れ」
その声には、先ほどまでの豪快さとは違う重みがあった。
「仲間がいるなら連れて帰れ。依頼に失敗しても、生きてれば次がある。死んだら終わりだ」
キリオンは、その言葉を聞きながら何となく昔を思い出していた。
似たようなこと。
誰かに言ったような気がする。
「武装錬金は、敵を倒すためだけの技じゃない」
女教官は自分の腕に装着された錬成具を軽く叩いた。
「生き残るための技だ。それだけは忘れんな」
「はい!」
今度は返事が揃った。
「よし。解散!」
ようやく。
講習が終わった。
◇
「すごかったな」
キリオンは素直にそう言った。
学生たちが演習場から出ていくのを眺めながら、まだ席を立たずにいる。
「はい」
見習い研究員も頷く。
「武装錬金については、私も実演をここまで近くで見るのは初めてでした」
「君、錬金学部だろ?」
「研究分野が違いますので」
「ああ、そういうものか」
学院が大きいだけに、同じ錬金術でも専門が違えば知らないことも多いのだろう。
「しかし」
キリオンは演習場を見る。
すでに模擬戦は終わった。
学生たちが使った錬成物も、片付けが始まっている。
「よく考えられてる」
「武装錬金が?」
「うん」
ただ攻撃するだけではない。
壁を作る。
地形を変える。
相手の装備を利用する。
視界を奪う。
自分の動きやすい場所へ誘導する。
「昔なら全部、それぞれの錬金術師が勝手にやってたことだ」
「先生も?」
「まあ、多少は」
「また多少ですか」
「だって多少だからな」
見習い研究員が苦笑する。
「先生の多少は、少し信用できなくなってきました」
「何で?」
「昨日から色々見ていますので」
「大したことしてないだろ」
「規定量を手で量る方は、少なくとも私は初めて見ました」
「あれは慣れだって」
「魔力量を反応に合わせて即時調整するのも?」
「それも慣れ」
「……そういうことにしておきます」
「変な言い方するなよ」
キリオンは笑う。
ただ。
実際。
自分の戦い方など、大したものではなかったと思っている。
旅をしていた。
危険な場所へも行った。
素材を探して森へ入り、山へ入り、時には魔物の巣に近づいたこともある。
だから戦う方法を覚えた。
ただそれだけだ。
「戦えないと困ったからな」
「普通、錬金術師は護衛を雇います」
「金なかった」
「…………」
「若かったし」
「それで自分で戦ったのですか?」
「戦うってほどじゃないよ」
キリオンは少し考える。
「逃げるために足止めしたり、地面崩したり、煙撒いたり」
「それは十分戦闘では?」
「倒すためじゃないから」
「基準がよく分かりません」
「俺も今説明してて分からなくなってきた」
二人で笑う。
そして。
キリオンは再び演習場の方を見る。
先ほどの女教官は、参加者の何人かと話をしていた。
「……誰だったかなあ」
「まだ気になります?」
「うん」
やっぱり。見覚えがある。
顔……というより表情だろうか。それから身体の動かし方も。
「昔会ったことあると思うんだよな」
「有名な方ですから、どこかで肖像画などをご覧になったのでは?」
「いや」
キリオンは首を振る。
「武装錬金自体、今日初めて知ったし」
「そうでした」
では、どこでだろうか。
「十年くらい前……?」
「先生」
「何」
「その考え方、完全に物忘れを気にする年配の方です」
「やめてくれ」
思わず額を押さえる。
「最近、本当に人の名前出てこない時あるんだよ」
「四十歳ですよね?」
「四十だからだよ」
「まだ早いと思いますが」
「君もそのうち分かる」
「分かりたくありません」
「酷いなあ」
そんなやり取りをしていた時だった。
演習場の女教官が、こちらを見ていた。
◇
レオナ・ヴァルグレイブは、講習後に残った学生から質問を受けながら、何気なく見学席の方へ視線を向けた。
特に意味はない。ただ、まだ誰か残っているのか確認しただけだった。
そこで、目が止まった。
「…………」
見学席に、一人の男がいる。
眼鏡を掛けていて、少し草臥れた雰囲気がある。昔より明らかに歳を取っているし、記憶の中にある姿とも少し違っている。
それでも。
「……え」
レオナの口から、声が漏れた。
「先生?」
質問していた学生が首を傾げる。
レオナは答えない。
もう一度、見学席を見る。
間違いない。
「え?」
「どうされました?」
「ちょっと待って」
声まで変わっていた。
先ほどまで学生たちへ厳しく言葉を投げていた武装錬金の第一人者は、もうそこにはいない。
見学席にいる男がこちらを見て、自分を指差した。
「俺?」
その瞬間、レオナの表情が完全に崩れた。
「先生!?」
体育館中に声が響く。
「先生じゃん!!」
「……え?」
次の瞬間には走り出していた。
近くにいた学生たちが慌てて道を開ける。演習場の端から階段へ向かい、そのまま勢いを落とすことなく駆け上がっていく。
「先生!」
「待て待て待て!」
キリオンも立ち上がったが、もう遅い。
「先生ーっ!」
レオナはそのまま飛びついた。
「ぐえっ」
思っていた以上に勢いが強かったらしい。
「ちょ、重っ!」
「先生!」
「分かった分かった! 誰!?」
「はあ!?」
レオナがぴたりと止まる。
キリオンの肩を両手で掴み、その顔を真正面から覗き込んだ。
「アタシ!」
「うん」
「アタシだよ!」
「ごめん」
「嘘でしょ!?」
周囲は静まり返っていた。
見習い研究員も、学生も、外部から講習を受けに来ていた者たちも、全員が二人を見ている。
他人にも自分にも厳しく、近寄りがたいことで知られる武装錬金の第一人者、レオナ・ヴァルグレイブ。
その本人が今、まるで長年会えなかった飼い主を見つけた大型犬のようになっていた。
「先生!」
「うん」
「名前言ってくれ」
「レオナ!」
「レオナ……」
キリオンが目を細める。
記憶を辿っているらしい。
「レオナ」
「そう!」
「……あ」
ようやく何かが繋がった。
「レオナ!?」
「遅い!」
「うわ!」
今度はキリオンの方が本気で驚いた。
「お前、あのレオナ!?」
「あのレオナだよ!」
「でかくなったな!」
「そこ!?」
「だって小さかっただろ!」
「何年前だと思ってんの!」
「十年以上?」
「そうだよ!」
レオナは怒っているようにも、笑っているようにも見える。
ただ、嬉しくて仕方がないのだということだけは、誰の目にも明らかだった。
「先生!」
「うん」
「何で王都にいんの!?」
「講師」
「は?」
「学院の」
レオナの顔に、ゆっくりと笑みが広がっていく。
「マジで?」
「マジで」
「最高じゃん!」
「何が?」
「全部!」
「説明になってない」
キリオンは苦笑した。
その周囲では、学生たちがもう声を潜めることすら忘れて話し始めている。
「先生って言った?」
「レオナ先生が?」
「セレスティア主席も先生って呼んでなかった?」
「同じ人?」
「え?」
見習い研究員も完全に固まっていた。
「先生」
「何?」
「……この方とも、お知り合いなのですか?」
「知り合いっていうか、昔、旅の途中で会った」
「それだけ!?」
レオナがすぐに割り込む。
「先生!」
「だって事実だろ」
「もっとあるじゃん!」
「何が?」
「アタシに錬金術教えた!」
「基礎だけだろ」
周囲がまたざわめいた。
「え?」
「教えた?」
「武装錬金を?」
「まさか」
レオナは周囲など気にする様子もなく、キリオンへ詰め寄った。
「先生が教えてくれたから、アタシは今ここにいるんだよ」
「大げさだなあ」
「大げさじゃない!」
即答だった。
「先生が言ったんじゃん。周りにあるもの全部使えって」
「…………」
「武器持ってなくても、錬金術師なら素材はそこら中にある。地面でも壁でも相手の装備でも、使えるもの使えって」
「ああ」
キリオンの中にも、ようやく記憶が戻り始める。
小さな少女だった。
細かい作業は苦手で、計量をさせればすぐ面倒くさそうな顔をする。けれど反応を見る目だけは妙に良く、こちらが説明する前に「こっちの方がいい」と感覚で選んでしまうことがあった。
「言ったかも」
「言った!」
「でもな」
キリオンは困ったように笑う。
「いや、俺が教えたのは旅先で襲われた時の逃げ方とか、簡単な足止めくらいだぞ?」
「それが始まりなんだって!」
「武装錬金はお前が作ったんだろ?」
「そうだよ」
「じゃあ俺関係ないじゃん」
「ある!」
「どこが」
レオナは少しも迷わなかった。
「アタシの全部の始まりは先生だから」
その一言で、周囲の空気が一気に変わった。
「全部?」
「武装錬金の祖の?」
「始まり?」
「え?」
「じゃあこの人……」
あちこちから声が飛び始める。
見習い研究員は額を押さえた。
「ちょっと待ってください。情報量が多い」
「君まで?」
「先生!」
「はい」
「昨日、セレスティア主席の師だと聞きました」
「まあ」
「今日、武装錬金の祖からも師だと言われました」
「そうらしいな」
「そうらしいな、ではありません!」
「俺に怒るなよ」
レオナが楽しそうに笑った。
「変わってないなあ、先生」
「お前は変わったな」
「そう?」
「強くなった」
「……見てた?」
「見てた」
「どうだった!?」
一気に距離が近くなる。
「すごかったよ」
「本当!?」
「うん」
「どこ!?」
「全部」
「先生それ雑!」
「じゃあ……」
キリオンは少し考えた。
「最後の相手の壁、触媒だけじゃなくて相手の素材見て崩し方変えただろ?」
今度はレオナの表情が止まった。
「……分かった?」
「多分」
「一回見ただけで?」
「反応違ったから」
「…………」
「どうした?」
次の瞬間、レオナはまた大きく破顔した。
「やっぱ先生だ!」
「何で?」
「分かる人ほとんどいないから!」
「そうなの?」
「そうだよ!」
キリオンとしては、見れば分かる程度の感覚だった。
だが、それを聞いていた武装錬金の学生たちは、明らかに先ほどまでとは違う目でキリオンを見ていた。
「一回で?」
「レオナ先生の技を?」
「え?」
キリオンがそちらを見る。
「そんなすごいこと?」
沈黙が返ってきた。
「先生」
見習い研究員が疲れたような声を出す。
「もう少し、ご自身の基準を疑っていただけませんか」
「今日そればっかり言われるな」
「言いたくもなります」
レオナはそれを聞いて腹を抱えて笑った。
「はははっ! 先生、昔からそれ!」
「何が」
「自分ができること、みんなできると思ってる!」
「そんなことないぞ」
「ある!」
即答だった。
「アタシが小さい頃も、地面崩すくらい簡単だって言った!」
「簡単だろ?」
「ほら!」
「いや、脆い場所見つけて」
「それができないんだって!」
「そう?」
「そう!」
周囲に残っていた学生や講習生たちは、その会話を聞きながら好き勝手に憶測を始めていた。
「地形利用って、武装錬金そのものじゃない?」
「レオナ先生の原型?」
「じゃあ、この人何者?」
「昔学院いたって」
「論文は?」
「知らない」
「セレスティア主席とレオナ先生の師?」
「そんな人いる?」
キリオンは周囲を見回した。
「何かすごいことになってない?」
「先生のせいです」
見習い研究員が即答する。
「俺?」
「はい」
「レオナのせいじゃ?」
「アタシは事実言っただけ!」
「ほら」
「どっちもです!」
少し強めに言われた。
「……すみません」
キリオンは何となく謝った。
◇
その後、ようやく周囲も少しずつ落ち着いていった。
とはいえ、学生たちはまだこちらを見ている。そこでレオナが「解散って言っただろ!」と一喝すると、今度こそ逃げるように散っていった。
「怖いなあ」
「先生?」
「何でもない」
「今怖いって言った!」
「言ってない」
「聞こえた!」
「昔より耳いいな」
「誤魔化すな!」
そう言いながら、レオナは本当に楽しそうだった。
キリオンは改めてその姿を見る。
先ほど演習場に立っていた時とは別人のようだ。
厳しく、隙がなく、周囲を圧倒する教官。それが今はキリオンのすぐ横にいて、よく笑い、よく喋り、昔と同じような顔をしている。
「先生」
「何」
「本当に久しぶり」
「そうだな」
改めて見ると、どうにも不思議な気持ちになる。
昔は小さかった。泥だらけで、傷だらけで、細かい調合を嫌がっていた。それでも何度失敗しても諦めず、自分に向いた方法を勝手に見つけてしまうような子だった。
「立派になったな」
「…………」
レオナが止まる。
「何」
「それ」
「何が」
「先生から言われるの、ヤバい」
「ヤバい?」
「嬉しい」
「ならよかった」
レオナは少しだけ視線を逸らした。
「アタシ、先生に見せたいものいっぱいある」
「武装錬金?」
「それも」
「他にも?」
「ある」
キリオンは少し笑った。
自分が何か大層なことを教えたつもりは、今でもない。
逃げる。
生き残る。
そのためにも錬金術は使える。
手元に材料がなければ周りを見る。
地面も、壁も、そこに転がっている石も、状況次第では使える素材になる。
ただ、それだけを教えたつもりだった。
それが今では、武装錬金という一つの戦闘体系へ育っている。
「すごいな」
「何が?」
「お前」
「……先生」
「武装錬金も」
キリオンは演習場へ目を向けた。
「俺がやってたのとは全然違う」
「当たり前じゃん」
「うん」
「アタシが作ったんだから」
「そうだな」
その答えを聞いて、キリオンは素直に嬉しいと思った。
「すごいよ」
レオナがまた黙る。
「先生」
「何」
「今日アタシ殺す気?」
「何で?」
「褒めすぎ!」
「褒めただけだろ」
「先生からは違う!」
「面倒だな」
「面倒って言うな!」
少し離れたところでそのやり取りを見ていた見習い研究員が、ぽつりと呟いた。
「……本当に、先生なんだな」
「何?」
「いえ。本当に何でもありません」
今日、彼がマグヌス教授へ報告しなければならないことは、さらに増えた。
予定外の講義。
教本にない実験。
セレスティア主席。
そして、武装錬金の祖。
「……報告書、長くなるな」
「大変だな」
「誰のせいだと」
「俺?」
「先生です」
「何でだよ」
レオナがまた笑う。
その笑い声を聞きながら、キリオンは少し考えた。
聞きたいことは山ほどある。
昔別れた後、どうしたのか。
どうやってここまで来たのか。
そして、この武装錬金というものをどう作り上げたのか。
「レオナ」
「ん?」
「この後、時間あるか?」
その言葉を聞いた瞬間、レオナの顔がまた分かりやすく明るくなった。




